内々定持ちだけど生理用品愛用者で隠れ女装男子やってる ②
「謝って済むなら警察いらないわよ。反省する気があるなら、態度を改めろってことよね、結局」
「あっはい」
最近別れたという元カレとやらの話を始めてから二時間が経過したころ。ようやく落ち着いたのか、山野井は話の最後をそのように締めくくって何杯目かになるシャンディーガフを煽り、一息ついた。恐ろしいほどのマシンガントークで勢いよくまくしたてる様はさすが女というべきか、それともそれはこの子だからなのか。いかに淑やかさを装っても、その人物が元から持っている人となりというのはそうそう簡単に変わるものではないのだと思い知った。そしてさらに恐ろしいことには、俺たちが出会ったのは今日この場所が初めてだという事実だ。何が悲しくて初対面の他人の恋愛事情を二時間も聞かねばならないのか。しかも就職活動に失敗したが内定を貰ったと嘘をつき続けていて、それがバレたことで逆切れの後破局とか、結局原因は山野井にあるし被害者面で話をするものだから聞いていて何ら面白味はない。そしてそのことを指摘するとおそらくまたへそを曲げられる。この女、極めて面倒くさいタイプだ。相談と言いながら全面的同意を求めてくる典型的な感覚人間だ。
笑いながら「なるほど」と「確かに」を繰り返している間に終わってくれたらしい話の後、山野井は、あ、ちょっとごめんなさい、と席を立った。
「お花摘みに行ってきますね」
はいはい、お手洗いね、そんなところまでかわいい子ぶらなくていいからね、というのは内心にとどめて置き、山野井にいってらっしゃいと作り笑いで手を振る。と、その拍子に、立ち上がった山野井のポシェットから、白くて四角いものが落ちた。何だろう、と落下した物体に視線を落とす。
それは生理用ナプキンだった。羽のような軽さでありながらも内部に女性の経血を支えるための複雑な構造を持つ、およそ女であれば誰でも使用したことがあるであろう生活消耗品。まだ汚れを知らない純白な綿布は緩やかなガーゼに包まれ、指先程度の小さくて可愛らしい花柄のシールで止められている。通気性を重視しているのか、湿気を逃がすタイプのコットンでできているようだ。肌ストレスがなさそうな良い品を選んでいる。――これは、ソフィアの昼用か。
この女はどうやら今日それほど重くないらしい。しかも酒をあれだけ飲めるところからして、体調は結構よさそうだ。月のものが来ている女性には、体調を崩して放火まで働いてしまうような人から、全く影響を受けない人まで様々だが、山野井は後者であるように思われる。と、思わず凝視してしまいそうになるのをこらえ、視界の端に映った紙ナプキンから視線を外し、手元の酒をあおる。山野井は無表情にそれを拾い上げ何事もなかったかのようにお手洗いに向かった。こういう時の女は決まって無表情だ。恥ずかしそうにすると、かえって目立つからだろう。
暫くしてお手洗いから山野井が帰ってきた。
「わー、私、丹君の隣に座っちゃお~」
当たり前のように俺の隣に腰を下ろす。やけに上機嫌になった山野井が、体を密着させるようにして近づいてきた。髪には少し煙草の匂いがついているが、全身からは相変わらず柑橘系の香水の匂いがした。
「それにしてもぉ、こんな美形のお兄さん振るなんて勿体な~い。どうしてそんなことするのかなあ」
「んー、性格の不一致ってやつじゃないかな。ほら、相性って結構大事だしさ」
「えぇ、丹君だったら誰とでもうまくやっていけそうなのに」
「よく言われるよ。でも、案外そうじゃないんだよね。結構何回も彼女に振られてるしさ」
自分に理由があるとはわかっている。わかっているが、それを止めてしまうのは、自分自身納得できない。男として引けない時もあるのだ。多分。
「嘘だぁ。絶対付き合ってた女の我儘が酷かったからでしょう」
「本当だよ。しかも理由は俺のほうにあるし」
「えー」
そろそろお開きの時間です、と飲み会終了の合図とともに、立ち上がり店を出る。外に出るなり、山野井にぶっ飛ばされて以来こちらの方を申し訳なさそうに見るだけになった先輩の姿を見つけ、すみませんでしたと内心で謝った。家のある方向に足を向けると、すかさずまた山野井が近寄ってきた。
「丹くーん。私酔っちゃった。おうちまで送ってくれない?」
「お、温太お持ち帰り~?やるぅ」
「違いますよー、帰るところは私の実家ですぅ、そんなんじゃないです!」
「いやー、モテる男は辛いねぇ」
「本当ですよ」
俺の一言に、皆がどっと笑いを漏らす。自信ありそうな人間が放つ本音というのは得てして他人を楽しませるために言っていると思われがちなのか。そんなこと言わないでくださいよぉ、とわかりやすいまでにあざとく体を寄せてくる山野井に、今日も世の中って平和だなぁと薄笑いを浮かべつつ皆の元を離れた。
山野井の家は比較的大学から奥まったところにあるらしく、途中で幅十メートルもない細い道に入った。暗くて狭い夜道にひしめく居酒屋のネオン、大通りを走る車のフロントライトの光。都会ではあるが、快晴だからか夜空にわずかばかりの星も見えた。酒を飲んだ女と歩いていれば、それなりのロマンを演出できそうなものはたくさんあるようだ。俺ではなく、別の誰かを呼べば、この街頭の演出も少しは役に立ったのかもしれない。山野井は酒場の勢いに疲れたのか、家につくまでの間は比較的静かに喋っていた。ぽつり、と呟く。
「今日帰っちゃったら、またいつ会えるかわからないですね」
「うん」
「あの、良かったら連絡先教えてくれませんか?フられた者同士、仲良くやりましょうよ。私、また丹君に会いたいなあ」
この子はなんでこんなわかりやすい誘い方しか出来ないんだろうなぁ、と思いつつ、鞄の中を漁るしぐさを見せる。
「ああごめん、今日携帯おいてきちゃったみたい」
「そうですか……じゃあ」
そのまま帰るのかと思ったら、山野井がさらに俺の方に体を寄せてきた。腕をとり、指を絡ませ、肩まで触れたと思った拍子、飲み会の時の先輩をぶっ飛ばしたときの勢いで、思い切り押し飛ばされる。背後の鉄製フェンスに背中を支えられ、何とか二人で倒れこまずには済んだ。
「ちょっと山野井さ」
「せめて私に、今日の思い出を下さい」
俯いて前に流れる髪をかき上げ、赤らめた顔をずいと寄せてくる。いやいや、ちょっと待て、何だ思い出って。だが大胆な行動に思わず一瞬だけ跳ねた心臓に対して、ここまで来てもなお冷静な思考回路は、今この状況をどう回避するかということを早速考え始めていた。
この子もまた自分の美しさに自信がある子なのだろう。だからこういう行動がとれる。そして狙えば振り向いてくれると思っているのだ、その自信故に。
「あのさ、ちょっと待って」
寄せられてきた顔を手のひらで遮る。山野井は突然の行動に驚きつつも、何? と不満そうな声を上げていた。
「ところで今日君の使ってるナプキンどこのメーカーの製品?」
「え……」
「ほら、あれ、さっきお手洗いに行ったときに落としたあれだよ。俺の見立てでは多分、ソフィア。結構通気性を意識している方なんだね」
俺を押し倒そうとした勢いはどこへやら、その発言を聞いた山野井の表情がぐにゃりと歪んでいく。紳士だと思っていたが飛んだ変態だった、とでも言いたげな苦悶の表情は、戸惑いと不審とがにじみ出ている。軽く酔いが回った俺の脳には痛快な刺激だった。
「え、ちょっと待って、あなた何言って……」
「やっぱり結構蒸れる?あと可愛いポシェット持ってるよね。ピンクで花柄の綿の奴」
「う、うぁ……」
「んー、やっぱりソフィアだと思ったんだけど違うかなぁ。じゃあ第二候補でアリスかな」
「ひっ……」
「あ、ごめんもしかしてナプキン派じゃなくて、タンポン派、だったかな…?」
「いやー!」
その瞬間、山野井は黄色い悲鳴をあげて俺から飛びのいた。これまでの密着が嘘だったかのように俺を睨み付けたあと、短距離走を走るときのように全速力で裏路地から逃げ去る。当然俺が追いかけるわけもなく、山野井の背中はどんどん小さくなっていく。
コンクリートに押し付けられた体を起こし、ズボンについてしまった小石を払う。やれやれ、と思うと同時に、山野井から逃れられたという事実が、俺を安心させる。これでおそらくもう、山野井と再開することはないだろう。なかなか危ない橋を渡りそうになった。これだから、自信のある女の子は恐ろしい。
だがそんな恐ろしい女の子もこの話題を振りさえすれば、確実に退かせることができる。付き合っては別れる、という流れを俺が繰り返しているのも、九割方この流れだった。これらの経験から判断するに、どうやら女性は生理用品にかかわる話が苦手らしい。今日みたいに女性に迫られ危険な状態に陥りかけたとき、俺はそれを逆手に取り彼女たちをドン引きさせることで事なきを得ている。
フェンスを支えに立ち上がり、帰ろう、と思った。山野井に付き添っている間に思っていたよりも夜が更けてしまった。明日は一限目から授業が入っている。何の刺激もない大学生活が、また始まるのだ。
一つ楽しみがあるとすれば――明日の授業が終わって帰ってきてからのひとときを想像しながら、俺は家路をたどった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます