内々定持ちだけど生理用品愛用者で隠れ女装男子やってる 著:岩尾葵

内々定持ちだけど生理用品愛用者で隠れ女装男子やってる ①

「うぇーい、お疲れ! 今夜は俺の驕りだ、しこたま飲んでくれよー」

柔らかい橙の電灯の元に、カンとガラスの音が鳴る。音頭を取る先輩は妙に上機嫌で、それを囃し立てるように笑い声がどっと沸き上がる。まだ今年度が始まってから四か月も経っていないというのに、もう今年も留年することを高らかに宣言した先輩の乾杯に、誰かが先輩の金じゃないですけどねー、と笑いながら横やりを入れた。

「先輩、今年も留年なんスか~? もう六年目っすよね」

「そろそろゼミから追い出されちゃうんじゃないのー?」

「いーのいーの。俺はまだまだモラトリアム満喫するんだから。親の脛齧って豪遊。これぞ大学生の醍醐味」

うわ、相変わらずのクズですねえ、あと何年もつやら、と調子を合わせる後輩たちのディスリスペクトを受けながら、先輩はオーダーを取りに来た店員に枝豆とから揚げを注文した。隣に座る俺に、温太は何か食いたいものは、と尋ねてきたので、我に返って咄嗟にメニューに目を通し、写真を指さした。

「キムチで」

「お、いいねー。店員さんキムチも。今日はこいつの祝いだからね、とびきり辛いので頼むわ」

「ちょ、先輩。祝いと言っていて何で激辛オーダーするんですか。嫉妬はよくないですよ」

「誰がてめえみたいなのに嫉妬するか、俺はうまい酒を飲みたいだけじゃ」

「はい、本音が出てますよ。今の聞きました? みなさん」

調子よくしゃべる先輩に心ばかりのツッコミを入れると、周囲から聞いた聞いた~と声が上がる。結局自分が飲みたいだけじゃないですか、せっかくの内定祝いなのに温太君かわいそう、と先輩への非難と俺への同情が湧き上がる。薄く広がってきた煙草の煙りの中に、笑い声は浮かんでは消えてを繰り返す。ブーイングが始まらん勢いの流れで、先輩がタジタジになり、そのタイミングでちょうど、店員さんが先ほど頼んだ枝豆を運んできた。

今日は俺の内々定祝い。先輩が知り合いを集めてこの飲み会を主催をしてくれた。その点に関しては感謝の一言に尽きる。

大学生活の集大成は、就職活動だ、などとはよく言われるが、その通説でいえば俺の大学生活は順風満帆だった。つい先日、業界トップの総合商社の内定を貰って卒論に着手し、大学四年の夏にしてついにあとは卒業を待つのみとなった身は、最早日々飲み会をこなし快楽を貪るだけの完全な放蕩生活。最初のうちは戸惑いながらであった就活の面接も、思い返せば聞かれていたことに面白おかしく答えていたらいつの間にか終了していた程度ものに成り代わり、気づけば本命の商社の面接にもあっさり合格していた。今や苦でもなく、楽でもなく、逆に「こんなものに苦戦して留年や自殺までする奴がいるのか」という拍子抜けする人生の一通過点だ。卒論もその後の生活も、何らつつがなく進んでいて、若干物足りない。

が、そんな俺にもここ最近一つだけ生活に刺激があった。内々定を貰った会社の最終面接前日に、彼女に振られた。狙いすましたかのような最高のタイミングだった。彼氏の就職面接がある前日に関係を断つその勇気はほとほと見上げるものだったが、原因は自分にあるとわかっていたので引き留める気にもなれなかった。逆にまあ持ったほうかな、という感想だ。その前の彼女は二か月、その前は一か月程度の短い付き合いだった。最終面談の前日に別れを切り出した彼女は、俺みたいなのに半年付き合ってくれたのだから、ある意味感謝しかない。別れた彼女には皆、ぜひとも幸せになっていただきたい。が、次に自分が付き合う相手は、もう少し見極める必要がありそうだと学んだ。やはり、次は自分のしたいことをちゃんと受け入れてくれる子がいい。出来れば、広い心を持ってるとなおよし、だ。

「だあー、もうやってらんない!」

向かい側の席の女の子が飲み干した中ジョッキを勢いよく机に叩きつけた。ダンッと割れんばかりの音に驚いてそちらを伺うと、この世の不幸を凝縮したような胡乱な瞳に、敵意全開で睨み付けられていた。酒に酔ったのか彼女の顔は赤らんでおり、怒り出しそうな、泣き出しそうな、いずれにしてもあまり好ましくはなさそうな感情を湛えた表情をしている。比較的小柄な体格と滑らかな髪、それに酒を飲む前はおそらく透き通るような白さだったであろう肌の様子からして、黙っていれば美人なタイプであろう。しかし、それより今はこの状況に対して本能的な危機感を覚えた。明らかに、女の子が不機嫌な理由が、この飲み会の空気、そして今敵意をむき出しにしている対象である俺にあることを察したからだった。

女の子はこちらを睨み付けた状態で、ずいと顔を寄せてきた。

「何よぉ…就職したことがそんなに偉いわけ?いい気になっちゃって何?就職できない人への当てつけですかぁ?」

「はい?」

「ちょ、ちょっと山野井ちゃん……やめなよこんなところで」

女の子の様子がおかしいと察した先輩が女の子の持って後ろに引こうとする。そうか、この子は山野井というのか、と思ったのもつかの間、案外その子の力が強く、先輩の腕は簡単に吹っ飛ばされた。おいおい、マジかよ、先輩これでも元合気道部だぞ。入部して二カ月でやめたらしいけど。

「うるさいわねえ、この世の内定持ちは須らく敵なのよ。どう見ても人生充実してますー、みたいな顔しちゃって。どうせ家に帰ったら可愛い彼女が肉じゃが作って待ってるんでしょう?あー、やだやだこれだからリア充は」

やれやれ、といった様子で額に手を当て、前髪を掻き上げる。動きに合わせてフレグランスの香りが僅かに鼻腔を刺激するが、すぐに傍らで煙草を吸っていた奴の煙にかき消された。この女の子はなぜ内々定祝いのためと知りながらこの飲み会に来たのだろう。煙臭い居酒屋の空気の中で、山野井の着ているゴスロリ服の黒レースが拳の震えに合わせて小刻みに揺れている。見たところそこそこに上質な服装に煙草の煙を移して、ケンカを売るくらいなら、来なければいいのに。早々にご退場願いたい気分であるが、言われっぱなしなのも何となく性に合わず、開会直後に運ばれてきた生中で喉を潤し、口を開いた。

「いや、俺シングルなんすけど。この間彼女と別れたばっかだよ」

「えっ」

「ていうかそうやって他人の幸せ妬んで何になるわけ? 僻みに明け暮れてる時間があったら少しでも自分が幸せになる方法考えたらどうなの。こんな浮足立った飲み会来てないで求人誌読むとか、就職課行くとかさ。自分の解釈で人を測っても、勘違いするだけでいいこと一つもないでしょ」

山野井があからさまに驚いた様子で瞬きをする。頼んでいた酒を喉を鳴らして二口飲み、そのあとにまた俺の顔を凝視した。しまった、少し言い過ぎたか。飲み会はノリが第一。酒の勢いに任せて説教をするなんて言うのは、おっさんがやることだ。空気だって悪くする。これは反省しなければならない。

「なんて、嘘、ウソ。ごめん、ちょっと君、可愛かったからかってちょっと寂しそうな顔を見たかっただけだって。悪いね、って」

「か、可愛い……?」

「そうそう、その服、君によく似合ってるよ」

リップサービスとはまさにこのことをいうのだろう、というような適当な褒め方だったが、目の前の半開きだった胡乱な瞳は、何回か瞬きをするうちに大きく見開かれていた。酒を飲みに来たのに説教をされたから、驚いているのだろう、と、思ったが、山野井は先ほどとは打って変わってわずかに陶酔するような、まるで盛りを迎えた猫が甘い声を出すときのように蕩けそうな表情に変貌した。酒の力も相まってか、頬に紅が走っている様が怪しげな色気を演出している。そんなに怒っているのか、と勘違いするほど俺もバカではない。見る奴が見たら完全に勘違いしそうな光景だ、と思うのが先だった。山野井はわずかに体を前のめりにさせて、俺と距離を詰めた。

「あのぉ」

「何かな?」

「さっきははしたない恰好をお見せしてしまってすみません。実は、私も先日彼氏と別れたばかりで……よければその時の話、聞いてくれませんか」

「いや……」

「関心がないとは思いますが、私と彼が出会ったのは……」

疑問形で聞いているにもかかわらず返答を待たずに始まった山野井の恋愛話を聞き流す必要に迫られ、俺は自棄になって中ジョッキを一気に飲み干した。

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