第18話

「せっ!」


リリエ嬢の剣が、硬いと評判のシダ虫を真っ二つにしました。

きっとこの西の外れの迷宮に潜る他のどの冒険者も同じことは出来はしないでしょう。

首や胸の繋ぎ目の隙間から神経に致命傷を与えるのが正攻法とされるシダ虫ですが

リリエ嬢にかかれば、まるで地下カエルと大差無いように正面から唐竹割りにされております。


「黒いのは柔らかいね。赤いの居ないかな」


リリエ嬢は今日も赤蟲鉄を狙っているようです。


「ふぅむ。それらしい反応はないな」


ミマサカ殿は足元のスケルトンネズミの様子を確認して答えております。

ネズミレーダーは改善され、リーダーネズミスケルトンと小ネズミスケルトン八匹による精鋭体制になりました。

何より骨だけだと捕食されないというのが利点とのこと。成る程。


ミマサカ殿は「ちょっと」とだけ言うと殻を剥がれたシダ虫に幾つかの薬液をかけております。


「使うなら剥がなかったのに」


「中身に用がある」


中身とは…内臓や神経でしょうか、何に使うのか分かりませんが。

ネクロマンサーは準備と資源が全てと常々言っておられるので、しっかり回収したいのでしょう。


二つに割れた頭部に札をかざすとパチパチと火花が散り、手に持った瓶の中に淡く光る玉が落ちました。

綿毛のようですが仄かに明滅する美しい球体です。


「わ、綺麗」


「シダ虫の魂と精神の一部だ。一時的に可視化してある。」


瓶の中の光が徐々に弱くなっていきます。


「虫にも魂があるのですな」


「正確には多目的に励起された魔力ですね。精神と一緒にすることで多少保存が効きます」

「その分用途が狭くなってしまうので、出来る限り早く使いたいですが」


「ネクロマンサーも大変ですなぁ。」


「リリエに着いていくので必死ですよ」


ミマサカ殿は謙遜しておりますが、中層でもしっかり自分の仕事を考えこなされています

吾輩の目にはミマサカ殿も一端の冒険者に写っておりますとも。

しかしそんなミマサカ殿が焦ってしまうのも無理も無いほど、リリエ嬢はまさに英雄。

この娘なら、きっと一足飛びに先の世界へ行ってしまう。そう思えてしまいます。


ふと自分の掌を見つめると、インクの染み込んだ指に皺だらけの皮膚。

齢五十と少し。普通ならば終わりを考え始める年齢と言えましょう。

近頃はもう少しだけ、と信じてもいない神に祈ってみたりも致します。


きっと英雄の道を歩む冒険者と一時でも共にあれることが、どれほど救いとなるか。

この老いた身が憎いとは口が裂けても言えません。


「お爺ちゃん!」


リリエ嬢とミマサカ殿が先行します。

吾輩は老いた身を奮い立たせ、その背を追って歩き出しました。


ーーー


今日は雨だ。

自宅では皆でリビングに集まってドンキホーテ氏の収支報告を聞いている。


「と、言うわけで、昨日の探索分がこれだけになります。」

「加工があるので多少はズレますが、まあ少なくはならんでしょうな」


そう言って帳簿を見せてくれる。

ドンキホーテ氏が来てから一気にお金のめぐりが良くなった。

俺が無理に貯金しようとして粗食になったり、リリエが無計画に材料を買って粗食になったり

瓶がない道具がないのに金もないとか、そういうことがなくなった。


食費や材料費はもとより、何に使うための積立であるとか

減価償却から考えられる換え時や替えるもののランクまで。

これだけはっきりとお金が使えるという安心感があると活動しやすい。


赤蟲鉄は採れなかったが、蟲鉄は三匹分もある。

リリエの生産力と品の出来ならば帳簿通り、かなりの収入が期待できるだろう


「リリエの装備はどうなってます?」


「自作なのでかなり安く揃えられてますが、質はギルドの中堅どころと大差ないかと」


「リリエだけなら、もう下層レベルでしょうね」


「…吾輩には詳しいことは分かりかねますな」


「ふぅむ…」


正直に言えば、リリエに付いていく自信がない。

当然といえば当然。彼女は冒険者になって実は結構な期間が経っている

装備が揃い気力体力が充実した現在、中層をこえる実力を十分に持っているのは間違いない。

シダ虫を正面から二つに割るなんて言うのは、どんな冒険日誌にも出てこない。

理由は明白だ。その実力を持っているなら、下へ降りる。

俺がリリエの足止めをしてしまっているであろう事実ははっきりしている。


「ミマサカ殿、いかがなされました?」


押し黙った俺をドンキホーテ氏が訝しむ。


「…俺は山籠りをしないといけないでしょうか…」


「一朝一夕で強くなるのは無理でしょうな」


下層は中層の比ではないほど苛烈だ。

このままでは自衛すらままならないかも知れない。

俺が使えるリソースの増大が必要になる。どれだけ頑張っても巷の魔術師のようにはなれない。


「ミマサカ殿、実は相談があります。」


「…ん」


本の虫が起動しかけた俺にドンキホーテ氏は神妙な顔で語りかけてくる。

彼は五十を過ぎて突然冒険者となった身。

会計業務とは違いステッキ術は熟達はしているが達人には遠い。

今は問題なくとも、この先間違いなく戦力的な問題が立ちふさがってくるであろうことは明白だ。


俺は一冊のノートを差し出す。


「これは…?」


「ええ、とある錬金術師が編み出したらしい魔術の一つ、金貨術です。」

「面白いのは金銭を魔法に干渉させるという部分ですね。」


ドンキホーテ氏はノートを手に取りパラパラと流し見る。


「魔術は…無魔力ではないですが、どうも才能に欠けるらしく」


「恐らく俺と同じでしょう。論理的思考が魔法の理解の妨げになっているんだと思います」


もし俺に金貨術が使えていたら今頃魔導技師にでもなってゴーレムを作っていただろうか。

いや、そんな金銭的余裕はないだろう。高価な素材も大量の魔力も全部金銭で支払うのは悪夢的だ。

何より金貨術は『レートの遵守』が他より厳しい特徴がある。主なる金貨は市場のままにだ。


ドンキホーテ氏は掌にコインを乗せてなにか試している。

金貨術の創始者の本やその理論、または後世の研究をまとめたノートであるが例によって俺は説明できない。

知識としての説明はできるが、どうしろこうしろという経験や感覚上の説明は無理だ。

むしろ概要を説明しただけで、なんとなくいい感じにやってしまうリリエが稀有なのだ。


といって誰かに習うにしても金貨術はマイナーだ。

マイナーというか、完全にではないが技術的には失伝している。

もし習得している魔術師が実在したら学会でちょっと話題になるぐらいの術だ。

パっと出来ないようならこだわる必要はない。出来なくて普通のやつだ。


「一応、金貨術は自分用に調べたやつですんで、また何か思いついたらノートにまとめますね」


「んん、いや、それには及びません。」


「相場を感じるのが魔術感覚らしいです。その時点で俺には無理でした」


「むはは、それなら確かに吾輩に一日の長がありますな」

「ミマサカ殿、『値段のないものは発現できない』というのも魔術としては致命的では無いでしょうか?」


「逆に労働と捉えることで、全ての事象が範囲に入る可能性もありますね。」


「ははあ、成る程。しかしそうなると即時発動させるには特急料金が必要になるということですな。」

「この魔術に頼るより、実際に雇ったり買ったほうが良いのでは?」


「使い手が居ない理由が分かってきてしまいましたね…」


ドンキホーテ氏はノートの余った白紙に数字と記号を書いてコインを乗せた。

簡易な術式を完成させたらしい。


「むむ?料金不足ですかな。」


「ここの文法は?」


その後、式を変えたり何枚かコインを乗せて発動させようとする。

かなりの量のコインを乗せたあたりで、バチッと錬成反応が出て、コインが消えた。

そして紙の上には屋台のサンドイッチが乗せられている。

これが金貨術か


「おお、すごいですね」


「あ、サンドイッチだ。もらうね」


後ろから来たリリエがひょいとサンドイッチを取ると食べながら自室へ入った。

俺とドンキホーテ氏はリリエの背中を見送って、更に数秒固まっていたが

ドンキホーテ氏が不意に口を開いた。


「実用的なコストではありませんな」


「…そんなにですか?」


「計算しましょう。サンドイッチ料金、空間時間コスト、労働換算、あとは税。」


「魔術の税って何に払ってるんでしょうね」


「もしかして開発者の錬金術師の方に?」


「一応、故人です」


「魔法に謎はつきませんな」


受け取った手元の紙に書かれている計算結果はサンドイッチを運ぶ距離と時間がほぼ全てを占めるものだ

迷宮内で使った場合は危険手当なども入るのだろうか。

冒険者への依頼の相場が関わってくるのだろうか。どちらにせよ魔術の行使のコストとしては現実的ではない。


「コストを下げるには、通常の魔術のように類感や感染の法則ですね」

「思い入れが強いものとかそういうので上手くコストを捻出したり」


「んんむ」


ドンキホーテ氏はしばらく考えていたが、はっ目を見開いた。


「名案が?」


「…先程のお金は、今日の食費です」


今日は昼も夜も素麺らしい。

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