第16話
「吾輩に提案がございます」
この家はダイニングとリビングがつながっておりとても広い。
さらにリビングには大きな窓があり、そこから直接ウッドデッキを通って庭へ出れる。
リリエはだいたい庭に設置した鍛冶場に居るが、今はリビングに居る。
赤蟲鉄の加工は特殊らしくいまだ模索中だ。
「どうしたのお爺ちゃん。ほしい武器ある?」
「いえ、冒険日程のことです」
確かに日程は細かくは決まっていない。
そろそろ決めてしまってもいいかも知れない。
「冒険者は体力が資本。無論皆さん頑健でいらっしゃる。」
「ふむ」
「吾輩が商会に居るときも、連日連続で迷宮に潜っている方も少なくありませんでした。」
事実だろう。この世界の人間は凄まじく丈夫になれる。
スタート地点は俺が元いた世界と変わらないが、天井に際限がないと言っていい。
「しかし吾輩は、その様な日程には賛同しかねます。」
「計画のない冒険は無謀と言えましょう。」
「無計画、無目的のまま迷宮を漫然と探索すれば、むしろ危険を招きます。」
「なので冒険の準備をする為の日を設けるべきです。」
「日を跨いで探索する予定などは?」
「無いですね。それをするには資源もメンバーも足りないです。」
迷宮での寝泊まりは危険があまりに大きい。
しかし微細迷宮の中層程度なら問題ないが、大迷宮の深層へ潜るとなると時間も相応にかかる。
そのため大迷宮へのアタックをする有力団なんかは大量の物資と非戦闘員を連れて日を跨ぐことを前提に日程を組む。
「で、あれば休日という名目で冒険の準備をする日を設けましょう。」
「この団特有の問題として生産日も設けたほうが宜しいのでは?」
「なるほど。いいですね。」
それは間違いない。むしろ現状リリエの刀剣が主な収入源であるので冒険で鍛冶ができないのは避けたい。
俺も生産に手間がかかるわけではないが時間がかかる。
さらには準備したリソースが迷宮内での手札に直結するので、そのための時間があるのはいい。
「では冒険、生産、休み。これをローテーションしましょう。今日は生産で、明日は休みです。」
「えー、休みって何するの。」
リリエは不満そうだ。
彼女の頑健さなら毎日迷宮へ潜り、帰って鍛冶をする生活も可能だろう。
だが彼女にこそ、鍛冶と冒険以外の物事に関心を持ってもらいたい。
「そうですな…人生の、潤いです。」
「…?」
リリエはぴんと来ていないようだ。
俺も実はぴんと来ていない。この世界に来る前も来てからもあまり休みとは縁がない。
研究員も学士も、訓練はいざ知らず前線でも休みなど感じられるものではなかった。
「そろそろ煮えましたかな」
ドンキホーテ氏は台所へ行くと煮たものから湯を切り皿に盛って来た
見た目は素麺。いや、全部まるきり素麺だ。
素麺の歴史は古いらしく数百年前からあるらしい。製法を知る転生者が居たのだろう。
「失礼」
そう言うと素麺を一盛り取り分けて部屋の隅の祭壇に供える。
これはサンバガクの祭壇であり、こういう細かい積み重ねが神との親和性を上げるらしい。
無魔力に親和性は意味がない気もするが、俺はこの見返りのない神との距離感が丁度いい。
「いやぁ、敬虔ですな」
「助けられましたからね。」
「食べよ」
「ああ」
素麺は実に素麺だった。
「叩けばいいんでしょ」
「うーん」
食後、私は黒くなった赤蟲鉄の棒を持ちながら言う。
失敗というよりは、感覚で言えば叩き方を間違えた感じだ。
だけど黒くなっても普通の蟲鉄とは違う。打った時の感触が少し跳ねる。
そして槌がよく入る。
「叩けばいいよ」
「うーん」
多分、先生の知ってる知識とはかけ離れた解決方法だと思う。
こんな言葉に出来ない事を本にしてやろうというやつは、おかしい。
「魔術的閉鎖環境で加工するのが現代では一般的だ」
「分かる」
殻に閉じ込められていた赤が抜けていったのは間違いない。
多分、先生が言う『目的』が無くなったんだと思う。
蟲の目的のまま使うには魔術的閉鎖環境か、最低限の加工での使用になるだろう。
魔物を素材に扱う専門の武具職人はそういうのが得意だと聞いたことがある。
だけど、私は鍛冶屋だ。
「でも多分これ、叩けば赤に戻せるよ」
「むむ?うーむ。成る程」
先生が言うには鍛冶屋が叩く方法は下火だ。
でも私は叩けと教わったし、叩くのがいいと感じる。
そして、間違いなく赤蟲鉄は『叩く素材』だ。
「リリエのは恐らく現代の金属加工とは違う系譜の鍛冶だ」
「なんとなく思ってた。」
「駄目とは言わないが、資料が少ない」
「うん」
「というか、資料にできないタイプの技術だろう」
「分かる。」
「学術資料や歴史学資料が主になるが、一応ノートにまとめる。」
「鍛冶ギルドでそういう技術を持っている人を探してみてもいいが、望みは薄いと思う。」
「うん。ありがとう。」
先生は出来る限りのことをしようとしてくれている。
でも此処から先は、私が鉄と向き合うことでしか見えない領域の話だ。
多分、同じ鍛冶師でも、父や母が生きていても、共有できない世界。
庭に出て鍛冶場に火を入れて黒い赤蟲鉄を炉にかける。
炉には備え付けの魔法陣があったが、削って刻み直した。
槌も先生には言ってないが最初のとは違う。
鋳造しようかと思ったが、結局これも打った。
今、この場は全て支配できている。
いや、出来る限りのものはしている。
火も鉄も風も地面も私じゃない。
でも鍛冶というサイズでここで起こるのは、私の領域の、私のことだ。
真っ赤に熱された赤蟲鉄を金床へ置く。
一瞬、鉄を眺め、覚悟を決めて振り下ろした。
落ちた槌から帰ってくるのは、素直さ。
どんな姿にでも、何にでもなる、形をくれと、鉄が叫んでいるような金属音。
この先、どれだけ硬く、どれだけ鋭く、どんなに従順な鉄が手に入ったとしても
この鉄にこそ生涯をかける価値があると『分かる』。
打つ前にあれこれ考えていたのが嘘のように澄み切っている。
どうしようとか、こうしようとかそういうのは全く無い。
体が知っていて心に感じる、私の鉄の形。
「…大きい」
私の目の前には、自分の背丈を超えるほどの長剣が打ち上がっていた。
少し細身で、殆ど黒に見える深い赤色。
黒い失敗作にも見えるが、少し傾けて感触を確かめると、赤くてよく通る。
「出来た…」
どっ、と疲れる。
昼すぐだったのに、日が傾いている。もう夕方?
柄は幾つかあるし鞘は納められればいい。
研ぎは長くて厄介だが、今日中に終わるだろう。
とりあえず先生に見せて、お爺ちゃんに自慢しよう。
いい匂いがしてくる。今日のご飯は、多分いいお肉だ。
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