第15話
「マズい」
中層にて、ネズミレーダーは完璧に機能していた。
低層のオオムカデより強い毒を持つ中型のアカムカデや
素早く羽が退化した甲虫の迷宮ゴミムシ等を早期に検知して順調に進んでいたはずだが
「ん?あれ、ちょっとかわいい」
突然、スケルトンネズミがひっくり返ってしまった。
完全なる服従。手も足も出ないというサインだ。
「群れに、何かがあったんだと思う…」
「全滅?」
「全滅でしょうな」
「そ、そう決まったわけでは…」
だが可能性は高い。大ネズミはいわば迷宮の三時のおやつ。
迷宮に生息する肉食のモンスターで大ネズミを捕食しないものは居ない。
ゾンビ化して動きが遅くなった大ネズミが平らげられてしまうのは自然の摂理と言える。
「ほら、ネズミ出てきた」
リリエが地下ガエルの腹を開くと、どう見ても俺の札が貼ってあるネズミが出てきた。
「…捕食されてたから精度が高かったのか」
敵対的な魔物と比較的穏やかな魔物の見分けがはっきりと付いたのは
『仲間が襲われている!』というリアクションをスケルトンネズミが取っていたからのようだ
そして今のこのリアクションが示すのは唯一つ。
「つまり、全滅…」
「そういってるじゃん」
「そういってますな」
やはり自律行動は全然思い通りに動かない。
いや、操縦しても思い通りに動かないのは間違いないが。
俺の手駒は今、ひっくり返ったスケルトンネズミ一匹だ。
「新しいゾンビを作ったほうが宜しいのでは?」
「ふぅむ…」
パウダーを確認するが、ネズミのスケルトン化のため使い心許ない在庫だ。
中型以上の魔物のゾンビ化にはどうも足りなさそうに思える。
蟲鉄は採れていないが帰ろうか…シダ虫は大型の危険な魔物だ。
リリエが単独で撃破した経験があるとはいえ、誰であっても不意打ちなら致命傷を受けかねない。
その危険性を出来る限り減らすためにネズミレーダーを導入したが全ておやつとなった。
「…先生」
「あぁ、リリエ、すまんが帰ろうと思う」
「先生!!」
「ん?」
衝撃とともに床に転がる。
リリエ?が体当たりをしてきた。大きな影。赤い。
「ミマサカ殿!リリエ嬢!!」
「だいじょう、ぶ?」
迷宮オオシダムシは迷宮に産出する赤鉄鉱を好んで食べる。
赤鉄鉱は含まれる魔力が上がれば上がるほど赤くなる。
通常のシダムシの殻は黒。ほぼ目的を持たない唯の鉄だ。
だが長期間生存し鉄鉱を摂取し続け殻に魔力を流し、赤くなる個体がいる。
貴族などのやんごとなき人々は詩作にて『蟲の赤』という語を用いるらしい。
成る程、これは確かに歌に詠まれる色合いだろう。
艶のある黒の表面を煙が漂うように紅い模様が走り、それが仄かに明滅しながら優雅に動いている。
「剣が!」
リリエの得物が根本から折れている。
鍛冶屋が打った蟲鋼にも関わらず、それに当たって折るほどの硬度。
俺の元いた世界の基準ではこれも迷宮オオシダムシだ。
だが明確に厄介さが変わる、通称は『アカシダ』。
「ガチッ」
工業製品が可動するような硬質の音。
死が目の前にある。爆発、兵士の部品、土の味。
「ギィーッ!!」
足元のスケルトンネズミがアカシダに突っ込む。
俺を守らせるために保護欲を強くしていたことを思い出す。
スケルトンネズミはそのままあっけなく砕かれたが、その僅かな時間でリリエとドンキホーテ氏の後ろへ下がることができた。
「どうだ?」
「吾輩のステッキでは恐らく砕けないかと」
「せめて剣があれば…」
「逃げるのは」
「前も今回も無理そ」
アカシダは俺たちの方を向いて触覚を動かしている。
このまま立ち去ってくれないかと祈ってみるが、その気配はない
手を顔の前で強く組む。震えている。
息を大きく吐くと、脳裏に虫が潜る。
「では、吾輩が囮になってお二人が逃げるのは?」
「却下」
「…リジの赤緑、サガン砂、月下の花びら、リーズの加護、ウズの膠、ジンジョウの毛…」
「先生?」
声は聞こえるが、頭の中には入ってこない。
残りのゾンビパウダー、手持ちの道具、迷宮内でも使える図形。呪文。
迷宮オオシダムシは研究が多い。有用だからだ。
「二分、二分だ」
俺はリリエとドンキホーテ氏にそう言うと鞄の中から道具を取り出して並べた
時間が惜しい。地面に物を並べて図形を描く。パウダーを撒く。
三角、丸、自分の不器用さがもどかしい。ビリン草。
「何事で?」
「わかんないけど、二分!」
「はっは!成る程!」
リリエとドンキホーテ氏がアカシダの気を引く。
シダムシの動きは直線的で、周りを回るように動くと飛びつきや体当たりを躱しやすい。
サンバガクの絵、サンバガクは山の神であり現世の罪を洗い流す冥府の神でもある。
そして図表時に構成する線の数が実に多い。
「ちぇあ!」
ドンキホーテ氏の渾身の振り抜きがアカシダの頭部を捉える。
しかし硬い音がしてドンキホーテ氏の方が体制を崩してしまう。
サンバガク!急げ!髪の束が二つだとリンダキアになる!呪文!
「二方の黒!山岳の西!ウーラム!サガーラ!血!甲虫!ニーム!闇!雷の朝!にがっ、ニギの花!」
「お爺ちゃん!」
リリエがアカシダの前に飛び出して一瞬アカシダが怯む。
だがアカシダはリリエにそのまま突っ込む。呪文!
「くろがね!シッタリア!セイガの木!セーパ!ルシュトレンアガルスクレタ!」
取り出しておいたネズミの頭骨を踏み砕く。
大量の札と図表に囲まれたゾンビパウダーの線に、パチパチッと火花が散る。
パウダーの線の無い先、アカシダまで火花が届くと、その目から光が消え、停止する。
成功した?
「…リリエッ!」
「大丈夫!」
リリエが転びながら手を振る。
急いで駆け寄って起こすと、手甲で受けたらしい。厚さや強度的に可能には思えない。
お腹や手足に大きな傷がないか確認する。
「せんせ、ちょっと恥ずかしい」
「あっ、ああ、すまん」
「一体これは何が起こっているので?」
ドンキホーテ氏はアカシダに近寄って頭部を覗き込んでいる。
「フレッシュゴーレムです。生体機能を壊さずに神経系を乗っ取りました。」
「はぁ、分かりませんが、成る程。」
「先生こんな事できたの」
「いや、初めてだ。それとネズミが全滅した分の魔力と環境に関わる位置が良かった。」
運良く階層数も方角もサンバガクが使える位置だった。
サンバガクは多様で強力な冥府の意味を持つが縛りが厳しい。閉鎖環境実験ですら忌避される程だ。
冥府の神とリーダーであるネズミの頭骨で支配下にあったゾンビネズミの魔力を回収できた。
同じことは多分二度とできない。
もしこれが大迷宮のオオカミなんかだったら無理だ。虫とは神経系の複雑さが違う。
そしてフレッシュゴーレムというのが重要になる。
「スケルトンネズミの呪いが一番大きなラインになってる。憑依に近い状態だ。」
「はぁ~。解けたりは?」
「入った時点で、あればだが、意識系は切れてる。憑依が解けても生ける屍だ。」
「ちょっと怖い」
「とりあえず帰ろう、これ以上は危険だ。」
「これ良い鉄だよね!」
「ああ」
「赤蟲鉄は値段が一回り違いますぞ」
帰りは驚くほど楽だった。
アカシダは中層では上位の捕食者であり、縄張り争いが大好きな通常のシダムシすら接触を避ける。
便利すぎて解体せずに俺のペットにしたいが急で無理な術式のため、いつ憑依状態が切れるかわからない。
地上へ上がる階段の前でナイフを使って頭部を切り離す。
アカシダの強さもスケルトンネズミの呪いも惜しいが、それを再利用する為のリソースが無い。
「先生すごかったよ」
リリエが褒めてくれるが、ネズミレーダーは失敗したし足手まといだった様に思う。
もっとしっかりとした準備をすれば、そもそも剣は折れなかっただろう。
少し目を伏せてしまっていると、ドンキホーテ氏が話し始めた。
「ミマサカ殿、迷宮では何があるか分かりません。」
「故に迷宮の中では生き残ることこそ最も大事なのです。」
「最善を尽くし、生き残った。それが凄い事ではないでしょうか。」
「むは、冒険小説の受け売りですがな。」
「いえ、ありがとうございます。」
確かに不測の事態は常に起きる。
人間はその中では最善手を打ち続けることしかできない。
それが生存に繋がることも、残念ながら繋がらないこともある。
だから生きて帰ってくるという事実だけが世界にある結果なのだ。
ラクルエスタ国立大学が見える。
薄暗い路地、空き地、何故か路地裏にある果物屋。
そこを過ぎて三軒隣。大きいが少し古い平屋の建物。
「ただいまっ!」
リリエは平屋のドアを開けると大きな声で言った。
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