第9話

迷宮からの帰還の負荷でリリエの足の傷が開いた。

そのため、傷の治りがどれほど良くても一週間は迷宮に潜らないと約束させた(二週間にしたかったが値切られた)


そして俺はどうしようもない現実と向き合う必要に迫られる。

有り体に言えば戦闘能力の低さについての問題を一週間以内に解決しなければ、置いていかれる。


リリエの戦闘能力は下層に手間取らず、中層クラスを相手にして不足なし。

戦闘だけなら立派な探索者と言って差し支えない。


一方俺は大鼠一匹に命のやり取りをするレベル。

子供どころか幼児レベルの戦闘力しかない。


この国立大学の図書館にて蓄えた莫大な知識を、どうにか戦闘能力に結び付けられないか。

税金対策の書類作業の合間に常にそんなことを考えていた。



「団の結成には所属パーティーが必要ですよ」


「俺がリリエと組みました。」


怪訝な顔をしたマリーさんに慌てて取り繕う。


「偽装じゃないですよ。」


「偽装のほうが良かったです。」


ため息をつくマリーさんに書類を提出してリリエとパーティーを組んだことを申請し、そのパーティーから団の申請を出す。

団になると本拠地の建物の税金が下がったり収益にかかる税金が個人より安くなる。


本拠地を持ったり迷宮産出品を大規模に商うぐらいの規模のパーティーの集合が団だ。

ただ実は制度上、最低一パーティーから結成できるので不動産を持っている俺はこれ幸いに申請した。


「…戦えるんですか?」


「戦います」


「じゃあ、はい」


ピっと差し出された測定器に手を乗せる。

測定結果が出力され、マリーさんは断りもせず用紙を見ている。


「…戦闘恐怖症は、小さくなってますけど」


言外にとても戦える技能レベルや種類ではないと言われている。


「…知識で強くなれる技能とかないですかね」


「はぁ、魔術師とかどうなんですか。」


「魔術は何か全く使えないみたいで…」


「はぁ?魔力無いんじゃないですか。」


「そんなことありえ」


否定する言葉の途中、俺の『本の虫』が脳内の記憶領域へ潜り込んで目ぼしい事例や症例を漁りだす。

こういうイメージが出るときは大抵は大量の情報を処理している時だ。


「…ますね」


数秒後。結果は、ありえる。

俺にとってはいい話なのかどうか判別し難い。


「開拓歴になってからの資料でも複数、俺と似たような症例が無魔力と診断されてます」


今までは『魔術が発動しない』や『魔導具が使えない』等を念頭に置いて考えていたが

それらの原因の大半が『精神的な忌避や逃避』を原因としていたため自分でも戦闘恐怖症周りが原因だと思っていた


まさか無魔力というものがありえるとは。絶対数は少ないが研究論文までいくつかある。


と思っていると、マリーさんがまた怪訝な顔をしていた。


「あ、技能です、あの『本の虫』っていうやつの、調べられるんです」


「はぁ…なるほど…」


納得しているのかしていないのか、曖昧な笑顔である。

団の申請は無事通ったがマリーさんからはメンバー勧誘を真剣に考えろと何度も釘を差された。




帰宅すると、居間でリリエが蒸した芋に牛乳の脂肪分を分離させた加工品をかけたものを食べていた。

しばらく俺は彼女が芋をはぐはぐと食べているところを見ていた。


「せんせ」


「ん?」


リリエが席を立って腕を伸ばして俺の眉間をグイグイと指で押す。


「なんかあった?」


む、と声が漏れた。

難しい顔をしていたのかと、その時初めて気づく。


「大丈夫だ」


そう言ったら自分の中で何かがふっと溶けて消えた。

そうだ、まだ何もしていない。どうにかする。そのために『本の虫』がある。はずだ


リリエは満足したように「ん」とだけ言うと庭の鍛冶場へ向かった。


俺はソファに座るとゆっくり目を瞑った。脳裏で本の虫が蠢く気配がする。

知識はある。ラクルエスタ国立大学が誇る大図書館の蔵書を、全て読んだ。


魔術、基礎理論、応用論、コスト削減、膨大な著書と論文がある。

次いで無魔力症の研究論文。考察される原因と魔術の原理を合わせ回避方法を考える。


人間が持つ、否、殆どの人間が持っている『魔力を感じ、操作する器官』が無いのが無魔力症だ。


これが先天性か後天性かは論文によって分かれる。

だが魔術基礎理論の『魔術とは全て、意志の方向と量である』という前提を考えると後天性だろう。

かといって心理治療でどうにかなるかと言えば難しい。


おそらく俺の無魔力症は『本の虫』と無関係ではない。殆ど勘だが、それだけに確信に近い。

脳内に冷凍してバンクされる文字が世界の曖昧さという熱を吸い取ってしまうような感覚がある。


世界に魔法がある。だが俺はそれを感じる余地はない。

分かるのは現出した結果と、目に見える過程だけ。

だからといって魔術の行使が全く不可能というわけでもない。

魔術は普通、なんの補助もなく行使するものではない。


意味を付加してベクトルの方向を整える補助、魔力を付加してベクトルの量を増やす補助。

種類は二種類だが、これは同時に行われる。方向のない魔力は存在できないからだ。


つまり安定状態にある魔術補助要素を、何らかの方法で励起すればその方向の魔術は行使されるのだ。

普通は自分の魔力でやる。さらにベクトルの方向や量の調整も自分の感覚でやる。

補助要素は様々だ。呪文や魔法陣や呪具呪物、『意味』を持つものは全て魔法の範疇にある。


『意味』をうまく整列させれば、魔術になる。理論は簡単だ。


だが、『意味』は一定ではない。言葉、物、神すら土地やコミュニティや領域に縛られ

またその領域内での『意味』も時間やイメージとともに僅かずつ変化している。

魔力感覚が無い以上、繊細な操作は無理だ。


つまり、誤差に左右されない強い『意味』が要る。それと事象を起こさんと励起されたまとまった魔力が。

特に励起された魔力が厄介である。魔術の信管とも言うべきものだ。

これが適当でいいなら、そこら中で爆発や落雷が魔法原因で起こっているはずだ。しかしそうではない。

励起されない魔力は相当な高濃度でも安定状態になる。


逆に人間や生命や知性体が『魔術を使う』として励起した魔力は周囲のポテンシャルを軽く飛び越えて事象を成す。

だが逆に周囲の状態自体を飛び越えやすくする方法もある。

それが結界や神殿などと呼ばれる『魔法環境』と呼ばれるものだ。

これはより領域による『意味』を強調した場のことであり、静電気を貯めるようなイメージでもいい。

その条件を満たす方向の魔術であるなら、格段に強力かつ励起しやすくなる。

ちなみに治療院等は大体が『善き神』の領域として定義されている。


『起こりやすい場所で、起きてしかるべき魔術を外部から励起する』。

極めて単純だが、これしかない。


「せんせー!お昼!」


庭から催促するようなリリエの声がする。お昼ご飯か。

俺は昼の支度をしながらリリエが芋を食べていたことをうっすら思い出したが、忘れることにした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る