第8話

「美作徹です。えっと通じてますか?」


ニヤニヤと俺を取り囲んだ奴らは笑っていた

その意味が分かるのはそう遠くない後だ


知識と記憶の力『本の虫』

役立たず。この国は戦争中らしい。

召喚できる数には限りがあるとのこと。とんだ迷惑だ。お互い様に。


剣は重くて持ち上がらなかった。十キロはあっただろう。

俺の身体能力は残念ながら前の世界と変わらない。


知識がついて、カタコトに言葉が喋れるようになる。

次は魔術らしい。何も出なかった。落第。


『本の虫』による知識集積を見込まれ指揮系統の訓練。異例らしい。


失笑される。

それはそうだ。俺の指揮した仮想軍は無意味に散らばっていた。

補給線、連絡線、兵站輸送。この世界では全て無意味だった。


おそらく、異世界の人間に指揮系統を荒らされたくないがために、碌な資料が渡されなかったためだ。

そんな事しなくても、俺には将器もなければ決断力もないというのに


走る。あどどれ位?新兵にはそんな事知らされない

走れという命令があれば死ぬまで走る


走る、吐く、食べる、寝る。

ただ繰り返した。本はない。


友だちができた。アンヴィ。

戦場で半分になって死んだ。


対魔塹壕で引き起こされると敵軍に捕まっていた。

待遇はそれほど悪くなく、訓練がないぶん新兵キャンプよりマシだった。それでも本はなかった。


一応、異世界人なので捕虜としては上等らしい。

だがあの国が身代金を払ってくれるとは思えない。


釈放されると引き取りに現れたのは、小さな髭の老人だった。

身長は百五十センチぐらいで髪と髭は刈り揃えられている。その目は光を含んでギラギラとしていた。


「デルフ・ストレイマン。ラクルエスタで教授をしている。君はどの世界から?」


ラクルエスタ国立大学は居心地が良かった。

まるで前の世界と地続きのように、研究と報告と論文。


だが異世界報告書が出来た時点で大学を去った。

自分がこの世界に来た理由がなにか知りたかったからだ。


自分が魔術が使えないことは知っていたが、どうも魔術を応用した道具も無理らしい。

俺は錬金術ギルドを辞した。引き止められたが、このままではここでも大学と同じ生活になると分かっていた。


だが職を辞してやることなんてなかったし、理由を見つける気力は薄れていた。

俺にはもしかしたらこの世界に居る理由なんてないのかも知れない。


そう思った時、黒い感情が湧く。

俺は、この世界にも前の世界にも誰にも求められずに彷徨っているのだ、と。


俺にどれ位、生きている意味があるだろうか。その時は惰性で生きた。


子供を拾った。探索者の子供だ。リリエという。

そこから俺の記憶は色鮮やかになり、密度が増す。


たった一週間ほどなのに、この世界に来て過ごした二年より長く感じる。

彼女はどんどんと俺の思わぬ先へ進んでいく。


「ぐっ!」


俺は手槍とは名ばかりの先端を尖らせた木の棒の腹で大鼠を受け止める。

重みに取り落としそうになるが、必死に耐える。


大鼠は飛びついた勢いのまま後ろへ背中から落ちて素早く起き上がる。

俺は不器用に槍を突き刺そうとしたが、失敗する。


「キッ!」


また大鼠が飛びかかってくる。必死に棒で払いのける。

短くもった石突に当たる部分が鼠の腹に偶然めり込み、鼠は壁に叩きつけられる。


「ギッ!キキッ!」


壁から床に落ちて少しもがいた後、鼠は起き上がって逃げていった。


「…ぶはぁっ!」


息を吐いて、息を吸った。息を止めていたらしい。

棒から手を離そうとして、完全に硬直した指を難儀しながら剥がす。


荷物から薬草を出してふとももの消毒と止血。傷は浅い。


大鼠一匹にこの有様だ。このまま進めばそのうち死ぬだろう。

口の中に、土と鉄の味がする。幻だ。




あー。最悪の気分。

先生と喧嘩して迷宮に飛び込んだはいいが、もう降りる気もなければ上がる気も、まだしない


こうして下層の上と下をつなぐ階段に腰掛けている。

座ったときは大丈夫だったがおしりが冷たい。ここの地面は階段を含め全部湿っているらしい。


気づいたときには手遅れだったので、気持ち悪いがそのままだ。きもちわるい。


手元の蟲鉄の剣を見る。地面からの長さは自分の顎ほどまである長剣だ。

小さい自分が持つと大きいサイズに見えるが、実は割と一般的なサイズのはずだ。


出来は自分のモノながら、結構いいと思う。

これなら細工とか勉強して立派な鞘とかをつければ売り物になるだろう。


たぶん、そうやって生きていくべきなんだと思う。

冒険者でいたいとか、英雄を目指したいとか、勇者とか。


ぎゅう、と手を握る。頭では分かっている。馬鹿で愚かだと。

皆、その馬鹿で愚かな事のために死んだんだと。


スラムでは、ギルドの見習いになれず、美人でなく、犯罪者にならなかった子供は冒険者になる。

私達はそのどれでもなく、ただ単純に馬鹿だった。


セッカはとびきり馬鹿で、頭も要領も見た目もいいのに、自分から冒険者になった

いつか、ちゃんとした孤児院や、コネも知識もないスラム出の冒険者を受け入れるための冒険団を作ると言っていた


私はセッカならきっとできると思った。支えてあげたいと思ったし、自分にはその力もあると自惚れてた。


でも死んだ。当然だ。


人間は迷宮制覇に挑めば死ぬ。迷宮に生活の糧を求めてもまあまあ死ぬ。

ベテランがギリギリの準備をして安全を確保して迷宮に入っても、まだ死ぬのだ。


上がりをスラム街に配って装備も貧弱なままの新人の私達がそこそこ活動できてただけ運がいい。

セッカは頭がいいから、その途中で死んでしまう可能性のほうが高いのは知ってたと思う。


自分の夢に巻き込みたくなかったから私をかばったのだろうか。

それとも私が単純に大切だったから?


イライラしてきた。馬鹿だ、みんな。


私も。


立ち上がって階段を登る。もう決めた。


上層に登ると、みすぼらしい長身の男が棒を杖にして立っている。

眼鏡のつるが歪んでいるし、重症ではなくても怪我が多い。


知っている。でもここに居るはずがない。


「…先生?」


「…リリエ」


言いたいことや聞きたいことがありすぎる。

でももう関係ない。私は決めた。拳を作った手が、握りすぎて痛い。


「私、勇者になります。」


鼻の奥がじんじんして唇を噛む。泣いちゃダメだ。


「何故だ」


「私が馬鹿で、でも行かなきゃならないからです」


先生は整えるようにゆっくり息をはくと、私を見た。


「俺も行く」


私は少なからず動揺する。戦闘恐怖症は、どうやって

でも私が一番聞きたいのは違う。この人もセッカみたいに…私を守って死ぬ?


「…どうしてですか?」


「俺が、この世界に来た理由だからだ」


それだけ言うと、先生はゆっくり膝をついて倒れた。


「うわ!先生、起きて」


「…む、う、すまん」


引っ張り上げて肩を貸すつもりだったが、身長差のせいで懐に潜り込んでしまう。

面倒になっておんぶして運ぶ。足が引きずられているのは仕方ない。


「鼠…」


「ふんっ」


突っ込んできた大鼠を踏み殺す。一匹二匹なら剣も必要ないだろう。

幸い下層の浅いところだ。このまま上まで帰れる。最悪先生は転がして戦えばいい。


それより、噛みしめる。

先生と私は今日、パーティーになった。

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