第7話
心当たりのある場所は全て回った。
冒険者ギルド、教会、スラム街まで。
だが彼女の行きそうな場所など本当のところ俺にはわからないはずだ。
この街にどんな友人がいるのか、街のどこでどう育ったのか、そんな些細なことすら知らないのだ。
途方に暮れた俺は自宅の暗くなった居間で彼女から貰った短剣を眺めていた。
白く透き通った刃は質の良い蟲鉄を叩いて鋼にしたものだ。
シダ虫は鉄鉱を食べ自分の殻を純度の高い鉄で作る生態を持っている。
そのため生きたインゴットとも言われ、大シダ虫の蟲鉄は剥いでそのまま加工できるので古代から頻繁に使用されている。
だが剥いだままの不純物が多いシダ虫の蟲鉄は黒く柔らかく不均一であり、それはそれで用途があるが武器の刃には向かない。
大シダ虫の蟲鉄を叩いて不純物を取り除き、硬く白い鋼にするのはとても大変な作業らしい。
そんな蟲鋼を非戦闘員の俺に、何故渡したのか。
彼女が伝えたかった真意がなにか。
だから、俺は彼女の最も行きそうな場所に、まだ行っていない。
明かりがポツポツと灯る狭い路地の一角にまばらに人が集まっている。
今から遡ること五十三年前、とある研究員が市街を騒がす大鼠の大量発生の調査を命じられた。
その研究員は下水に廃墟や大施設の屋根裏まで虱潰しに調査したにも関わらず大鼠の発生場所は掴めなかった。
さらに大鼠の生体解剖の結果は驚くべきことに迷宮で産まれた個体だという。
しかし当時見つかっていた市内の迷宮はラクルエスタの大迷宮のみ。大迷宮に大鼠は生息しない。
そこで研究員が出した結論は「未だ発見されない迷宮がラクルエスタ市内にある」というものだった。
当然、委員会では成果が出ない言い訳とされ、学閥でも浮いた。
だが研究員は諦めなかった。調査命令が取り下げられても、旧ラクルエスタの遺構が怪しいと調査し続けた。
そしてこの路地の一角に遺棄された水道の入口があることを突き止める。
その水道が迷宮化している事実も。
それがラクルエスタの『西の外れの迷宮』。正式名称『プロトン水道微細迷宮』
微細迷宮ゆえの非常に簡素な入り口には日が沈んでも冒険者がそれなりにたむろしていた。
迷宮に昼夜は関係ないので、夜でも構わず探索は続けられているのだ。
そんな年若い探索者たちがまばらに降りていく階段は、石造りの壁に穴を開けたように狭く暗い。
唐突に気温の低さとは違う悪寒を感じる。
俺は手槍を握りしめて震えを誤魔化す。
気を紛らわせるために荷物を見た。
バックパックには簡素な傷薬や魔力工程を経ていない弱い水薬が入っている。
その他色々。手元にある有用そうなものは大体持ってきた。
腰の短剣を確認し、その重みを感じる。
ふと辺りを見回すと入り口で屯している冒険者たちが遠巻きに俺を物珍しげに見ている。
かれこれ十数分近くここで突っ立ているからだろう
ここまでは来たが笑ってしまうほど先に進めない。
今、リリエが迷宮の階段から上がってこないかと期待している自分の弱さに辟易とする。
ドクドクと心臓が鳴り汗が吹き出してくる。
降りる。この階段を。兵士の残骸。降りる。爆発。降りる。リリエ。
「……ひゅっ」
俺が息を吐いた時には階段を二段降りていた。ここまでの記憶はない。
ただただ自分の呼吸の音と、ぐわんぐわんと耳に響く音が聞こえる。
視野が狭まり呼吸が苦しい。めまいがする。
左手が何かに触れ、思わず掴む。
それはリリエの短剣だった。その柄を強く握った。
不意に少しだけ息が多く吸えて、目の前がちょっとだけ明るくなる。
(進める)
体中を圧迫するような恐怖が緩む安堵と、さあっと広がる背の冷たさを誤魔化すように
自分の足が前に進んだ事実のみを考えた。
階段を一歩、また一歩と下りた。
足元がふらついて階段から落ちそうになる
違う。下まで降りきって、足をさらに下ろそうとして地面に阻まれただけだ。
顔をあげると、左右に数メートル幅の石造りの通路が広がっている。
所々に水たまりがあり、付近には布や骨やゴミがある。
ここはもう迷宮の中。
右に進む。ここの地図は頭に入っている。薄暗い石造りの通路は、
対魔塹壕を思い出させる
あの日にもしもう少し後衛よりに敷設していれば?違う。まず英雄の突破速度が早かった
英雄を阻むための魔術は対英雄戦の基本になる。その魔術の対象とされない英雄隊が出てきた時点で対処は不能だ
あの英雄隊はどこから出てきた?敵の拠点はあの辺りにはない。兵站輸送無しで敵陣突破?
違う。兵站輸送など前の世界の常識に過ぎない。英雄ならば自動車を超える速度で山中を移動できる
補足されていない英雄を中途半端なあの後衛拠点に投入した理由は?
対魔塹壕の敷設による塹壕戦の唯一の解は英雄による突撃だ。故にどの塹壕が弱く突破できるか情報が欠かせない
俺が配備された後衛拠点は塹壕線の詰まったところにあった、密度が高く固いが崩れれば一気に後衛まで届く
あのような場合の塹壕の敷設は一時的な防御能力より突破を前提として塹壕の更に後ろに防御線を作るべきだ
俺は
ドン、と何かが足にぶつかった。
鋭い痛みとぞっとする悪寒が走る
口に血を付けた大鼠が振り向いた。
自分の太ももからは血が出ている。
血。対魔塹壕でも出た。訓練でも。
もっと前、召喚された時にも。
召喚された時、たしか俺は無感動に自分の名前を名乗った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます