第4話
「リリエ、ちょっと手伝ってくれ」
「なんですかそれ」
先生が大きな荷物を持って帰ってきた。
ずいぶんと大きくて重そうだ
なんでも私のものらしい。
「炉と金床と、ハンマーも買ってきた。いいものではないが」
「え、ちょっと、なんで」
「自分の剣を打って欲しい」
「あ、え」
声がうまく出ない。私が鍛冶をしていたのは十年ほども前の話だ。
無理だと言いたい。きっとうまく出来ない。
無理だ、出来ない、したくない
「あ、あの、疲れたから、部屋で、休んでくる」
「ん、そうか。すまないな。庭に設置しとく」
「…」
私はそのまま部屋に閉じこもって、ずっと出ていかなかった。朝になるまで。
私はまだベッドの中。
私はあのまま、声をかけられても部屋を出ずに布団にくるまっていた。
何度かうとうとして、夢を見て、起きて、また寝た。
今はうっすら空が明るくなってきているので、日の出前ぐらい。もう寝る気はしない。
誰も居なことを確認してから部屋を出ると、居間には食べ物が置いてある。
食べながら庭を見ると鍛冶作業用の小さな炉と金床が置かれていた。
それを見ると、心にザリザリしたものが湧き上がってくる
湧き上がる感情を言葉にできない。
私の中で忘れたはずの気持ちがどんどんどこかから流れ込んでくる。
居ても立ってもいられず、私はまたバックパックを背負うと先生に何も言わず迷宮へ向かった。
起きたらまたリリエが居ない。
今日はむしろ早起きなぐらいであるのに、居ない。
ご飯は食べてあるようなので、体調が優れないというわけではないらしい
昨日は事実、元気がなかったように見えた。
おそらく疲れていただけだろうとは思う。心配しても仕方がない気がする。
ただ何も言わずに迷宮に行くのは流石に困る。
一応ノートには危険な魔物やその他諸々を書いてあるが、浅いところまでしか書けていない。
昨日の今日で無理はしないと思うが…あの子の事はちょっと分からない。
一見、猪突猛進に見えるし、普段は深く考えてなさそうなのは事実だ。
だが察しがよく思わぬ機転が利く様子を見せることがあるし、初日の座学でも質問は的を得ていた。
教えているうちに最初の印象からは考えられないほど頭のいい子だと思った。
深く考えないのは、まるで何か自分の状況を冷静に考えることを拒否しているようだ。考えすぎだろうか。
ふっ、と自嘲する。自分がかつてそうであって、今もそうであるからだ。
目の前に何か目的があると思い込んで、もっと先の不安を押し込んで忘れようとする。
だが彼女の迷いは彼女のものだ。
彼女の中にある意志を信じよう。いや、信じたいのか。
どちらにせよ俺には待つことしか出来ない。
ああ、これではまるで
まるで、ヒモみたいだ。そんな心を家事で押し殺そうとソファから立ち上がった。
今日も順調だ。もう草も分かるし、ネズミは見つけ次第駆除する。
ムカデも頭を潰しさえすれば問題にならないし、群れない分ネズミより楽。
探索は順調なはずなのに、気分はずっと重たい。
イライラするし、集中できない。
ずっと頭の片隅に先生が居る。
いや鍛冶道具だ。先生のせいだ。
私はノートを見る気にもならず、ずんずん進んで階段を降りる。
西の外れの迷宮なら大丈夫だ。
ネズミ、ムカデ、トカゲ。それらしい草を根っこごと引っこ抜く。
虫も適当にビンに詰める。
またネズミ。ネズミは安いのに。
ムカデ、草、階段降りる。ネズミ、ムカデ。石を拾う。重い。階段降りる。
ネズミ、草、ネズミ、虫、痛い、階段降りる。
ネズミ。石。虫。ムカデ。トカゲ。階段降りる。
イライラする。私は。なんで
ドンッ
後ろから鋭い衝撃を受ける。
「たっ!」
振り向くと、ギチギチと音を出す甲虫が居た。私の身長ほどある。大きい。
肉食性の虫、迷宮大シダ虫。聞いたことしか無い。
まともに剣が通らないという話で、よく調子に乗った新人が犠牲になるとか。
迷宮中層の厄介な部類の魔物。中層?私はいつの間に中層まで
「ぁ…」
肩にベッタリとしたものが着いている。
革で補強された服が破れて、肩の肉が裂けて血が流れている。ぶつかった時に引っ掛けられた
ギチギチギチ
私は覚悟を決めて剣を振りかぶって叩きつける。
固い!!
カァンと高い音がして簡単に弾かれる。
シダ虫が近づいた私に突進する。口が開いているのが見える。鋭い口が。
「ひっ」
私はどうにか躱す。
躱したつもりだった。ブーツが破れ、スネからふくらはぎまでざっくり切れた。
肩と足の傷が熱を持ってずくずくとうずく。
痛みはない。まだ動ける。動いてどうする?逃げる?
ジリジリと私は距離をとろうとするが、意に介さず甲虫は私に向かってきた。
「ああっ!」
ガァン!
捕食される恐怖を塗りつぶすように大きな声を出して、剣を横薙ぎに振る。
反動をうまく使って回避するが、剣が通る気配はない。
ギチギチギチ…
シダ虫は打撃の衝撃があるのか、少し間を置いて振り返る。
鋭い口の上の真っ黒な目。
食べられるんだ、私は。そう分かる。
どうせ食べられるなら、楽になってからのほうが。いや
死にたくない。死ぬなら楽に死にたい。嫌だ、死にたくない。
死にたい?嫌だ。まだ。だって、だけど
みんな死んだ。東の見張り塔の迷宮。中層。罠。最初はジンガ。あっけなかった。
二匹のダンジョンウルフ。じき四匹、八匹。
ヘルガは魔法が使えたし、ニーニャは私より遥かに早かった。
セッカは私より強くて、頭が良かった。
みんな、私より先に死んだ。私をかばって。
スラムで生き延びて迷宮に挑める年齢になるのは一握り。
生計を立てられるのは更に少ない。
セッカの夢は、迷宮に挑むことだった。
他の皆もそうだ。スラムで育った子供はそれだけを夢見る。
私は、私は違った。
いつか、母さんのお店を買い戻す。そのために、強くなって英雄になって、勇者に
傷が疼く。痛い。血が流れる。私の体から。
私の血。寝物語に父さんは、私の血の秘密を教えてくれた。
ドワーフの鉄と火の血が私には流れている。母さんの父さんのおじいさんがドワーフだった。
同じように、受け継がれていく、鉄と火の技がある。母さんも、その先祖も、父さんも
私も。
一番古い記憶。
母が一心不乱に鉄を打っている。
暗い作業場。明かりはない。
真っ赤に燃える炉と、真っ赤に燃える鉄。
炉の赤が母の顔に差す。槌を振り下ろすと、赤い鉄から火花が飛ぶ。
鉄に、炉に、火花に、私は手を伸ばした。
その赤。灼熱の、私の血。
手に持った剣の鉄が震える。鋼を感じる。
剣の先まで自分の手になったように感覚が通る。
甲虫の硬い殻まで意識が通る。
そうか、あれは鉄だ。そして『継ぎ目』がある。
私は手刀を振り下ろすように、『継ぎ目』に剣を落とした。
切るのではなく、甘い仕事を咎めるような気持ちで。
ガツッ
剣が止まる。甲虫の背を深く切り裂いて、頭の半分まで通った所で引っかった。
手が剣から離れてしまい、はっ、と慌てて後ろに飛び下がるが、足がもつれて尻餅をついた。
だが甲虫はビクビクと揺れた後、ゆっくりと目から光を失っていく。
次第にはっはっはっ、と自分の息が聞こえた。
肩が、足が痛い。寒さを感じる。
急いでバックパックから薬草を取り出して食べる。傷につける。布で巻く。血が溢れている。
できる限りゆっくり息を吸って吐いて呼吸を落ち着ける。涙が溢れている気がする、汗か?
応急処置が終わるが、足のほうはきつく縛っても血が少しずつ出ている。
しかし、私は甲虫から剣を抜くと、その関節部に剣を突き立て殻を剥がし始めた。この鉄が欲しい。どうしても。
殻の繋ぎ目に剣を入れるとパキっと音がして簡単に剥がれる。
その重い殻をはみ出しながらもバックパックに詰めると、足を引きずりながら上層へ向かう。
この次、中層レベルの魔物に出会えば、多分死ぬ。
何故か私は、無性におかしくなって笑った。絶望的だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます