最終話 脚本を書くということと、ウマ娘について
演劇脚本が無限にあるように、無限の書き方があるのだろうか。
それは正しい、が、少し間違っている。
自分で意識して変えない限り、その人に適した一通りの書き方が無数にある。
その総量が無限というだけで、ほとんどの人にとって脚本の書き方は一通りだ。
刃こぼれしない包丁のようなもので、買い替えに迫られなければありものでいいし、興味がある人はいろいろな包丁を試してみたくなるだろう。
さて、モチヒトとサレルノである。
演劇の地方大会に向けての部内締切まで一週間というところで、ようやくモチヒトは脚本執筆に取り掛かる。自分がこれなら書けるという、一曲を探していた。モチヒトは「この曲が流れる」クライマックスに向けて逆算で脚本を書くのが一番しっくりくる。そのための一曲がなければ話にならない。それも、最近「良いな」と思った曲でないとダメだ。「以前から温めていた一曲のために書く」というのは、少し覇気が強くなって、読み手や演者に負担がかかるものが出来てしまう恐れがあるし、その覇気というのは、かつての感動、感情に追いつくために自分が無理をして書くから生まれるものにほからない。つまり、感動の鮮度が落ちている、そういう曲で脚本を書いても良いものにはなり得ない。もちろん、モチヒトにとってはそんな気がする、くらいの意味でしかないのだが。
そんな曲が見つかるのを願って、好きでもないテレビをダラダラ流し見していると、瞬間、脳みその中のありとある部分が了解してくれたような、自分の認識する世界全てに合点がいったような衝撃におそわれる。それはCMで流れた曲で、モチヒトは辛うじて聞き取れた英語歌詞をGoogleに突っ込んで、祈るように検索ボタンを押す。果たして、曲名は簡単に出てきた。あまりにも有名な曲だからだ。脚本は往々にして独りよがりになりがちだが、名曲には普遍性があり、脚本のエグ味を中和してくれる。最後のピースにして、脚本執筆の世界に飛び込むための入り口の鍵を、モチヒトは手に入れた気がした。
サレルノはいつでも自分には80点以上の脚本が書ける気がしていて、実際そうなのだからしょうがない。導入があって、展開して、意外な展開と葛藤があって、最後は期待通りだけど、ちょっとひねったところに着地すればみんなが喜ぶ。そのことを守れば、好みこそあれ、出来が悪くなるはずはないのだ。なのにモチヒト君は、どうしてこんなにがんばって脚本を書こうとしているのだろうと思う。イチから自分で作ろうとするから、指針としてのロジックがないと書けない気がしてしまうのだ。まず作ってみる。そして、筋が通るようにロジックに合わせて形成する。石塊に埋まっている完成図を救い出せるのはミケランジェロのような一部の天才だけだ。ロジックという道具を手に入れる前に、製造過程を洗い直して見るべきではないか……。と、サレルノは思うが、彼が気を悪くするかもしれないから言わない。そもそも、サレルノだって、ロジックに合わせて形成などしないのだ。さっきの話は、もし彼に適した書き方があるならどうアドバイスするかという話で……。それならば彼女は天衣無縫の才能で脚本を仕立て上げるのか。そうではない。すでに構造もロジックも整っている作品が世の中にはたくさんある。そしてそういった作品は強度と普遍性がある。ならば取る手段は一つである。構造を借りる。構成を借りる。ロジックを借りる。テーマはひねる。
つまり、サレルノはパロディを書く。
モチヒトは動画配信サイトにアクセスして、例の曲を聴き込む。動画は見ない、イメージに補正がかかってしまうからだ。目を閉じて意識を集中しているうちに、脳裏に脈絡の無いシーンが次々と浮かび上がる。カクテルドレスを着た女性が/ボロをまとった男が/冴えないメガネの少女が/ギャンブルに/人生に/恋に/負けて/負けて/負けて/それでも笑顔で/笑って/顔は見せずに/退場して/退場して/退場して行くシーンだ。敗北するも、底抜けに明るい、人間の強さのような、意地のようなを改めてつよく感じた。あとはそのシーンにたどり着かせるにはどうすればいいか。誰をたどり着かせるのか、登場人物を配置して、その結末に向かって物語を練り上げていく。
サレルノは世の中の作品のすべてが、何かしらのパロディであると考えている。既存作品の影響を免れた作品は存在せず、もし存在していたら、それは作品の体をなしていないだろうと思う。だから、パロディに対して嫌悪感も忌避感もない。ただ、構造や構成を幾ら流用しても、キャラクターを流用すると、不味いことになりそうな気がするし、実際そうなるだろう。なので、今回元ネタにしようとしている、ある「歌」のように、事象と感情だけがうっすらと表現されている作品くらいが、キャラクターもうっすらしているしちょうどいい。奇しくも、サレルノもモチヒトのように、楽曲をベースに脚本を書いていた。
一週間が経った。
演劇部の部員の前に、モチヒトとサレルノの脚本が並んでいる。皆で目を通したあと、無記名投票によって、次の大会の脚本が選ばれる。
モチヒトとサレルノ、お互いに相手の脚本からを読み始める。
サレルノの脚本の大筋はこうだ。
主人公は中学生の男の子。良いな、と思っていた女の子と、紆余曲折あって、流星群を見に行こうと約束をする。決行の午前二時、待ち合わせの場所にたどり着くと、そこに居たのは見知らぬおじさんで、一言「こんな時間に娘をやれるわけないだろ……それはそうと、私も目がなくてね。やるんだろ?天体観測」。
この出会いから始まる、中学生と、同級生のお父さんの交わす友誼。そして別れ。奇跡のようなめぐりあい……。
「BUMP OF CHICKENじゃねーか……」
モチヒトは呟いた。が、周囲の部員はサレルノと部長を除いて要領を得ない顔をしている。が、それでもこの脚本に没頭し、ときに笑い、涙を浮かべるものがいる。サレルノのパロディが、原作から離れても成立している証拠であった。何よりキャラクターが良い。お父さんのお茶目さと、娘の同級生に本気で"栄転を受け入れるべきか"なんて相談しちゃうような情けなさ。中学生たちの感情の揺れ動き、特に女の子が、男の子から楽しげに天体観測(それも、自分の父親とのだ!)の話を聞くにつれ、宇宙への興味が増していくのがさり気なく描かれていて、ラストのJAXAの入社試験で、男の子の面接官が女の子なのが、さわやかな驚きと笑いに転じている。この人はキャラクターの人なんだな、とモチヒトは思う。だから構成を既存の作品に丸投げして、それでも別作品になってしまうんだ。
――二次創作とかやったら、オリキャラが人気出て、地獄生み出すタイプだな。
モチヒトの脚本はこうだ。
戦争か、災害か、何にせよ大きな傷跡を残す街で、スリをしながら糊口を凌いでいる少女エリザベスは、偶然かつての友であるイレーヌと再会する。裕福な商家の娘であった彼女は物乞いにまで落ちぶれていた。それでも日々に幸せを感じ、楽しげに過ごす彼女に、エリザベスは尊敬と、どす黒い嫌悪感を抱くのだった……。
よく出来ている――とサレルノは思った。徹底してイレーヌを神聖視して描きながらも、それが嫌味にならないのは、読者――演じる場合は観客の――の違和感や疑問を、エリザベスや他の登場人物に代弁させているからだ。そして、それでもイレーヌの生き方は「良い」気がする。
このあたりはキャプテン翼でブツブツ言ってたのが生きてるのかな。構成も悪くない。
出会い、関係性の展開、裏切り、それでも失われないもの。ビターだけど、少しの希望を感じるラストシーンも良いものだと思う。仕上げてきたなあモチヒト君。と思う。
ただ、だ。
キャラクターが生きていない。
登場人物の多くが女性だが、女性である必要性がない。セリフや行動の細々としたところに、男性が書いた息遣い、クセを感じる。それはキャラクターの練り込みの甘さだろう。素直に男性で書けばいいのに……。それ以上に、全員がお話を進めるための舞台装置のように感じてしまうのが良くない。お話を進めるための推進力をキャラクターに感じないと、我々は作為として感じ取ってしまう、それは劇への没入を阻害するのだ。
私の方が断然出来が良い。サレルノは素直にそう思った。
投票は粛々と勧められ、モチヒトとサレルノを含む六人の投票用紙がティッシュ箱に収められた。その上に部長が自分の一枚をポトリと落とし、即座に開票を始めた。
「サレルノ」
「サレルノ」
「どっちでもいい」
「井脇ノブ子」
「モチヒト」
「両方好き」
「モチヒト」
「同票数だけど、アタシがモチヒトに入れたから、次の大会の脚本はモチヒトのホンで行く。異論は……」
部長は部員たちの顔を見回し、ぽかんと口を開けているモチヒトとサレルノの二人に目をやって「ふたりともかよ、ちょっと来な」
と、視聴覚室の横の準備室に入るよう二人に命じた。
「別に、どっちでも良いっちゃいいんだけどさあ」
首を鳴らしながら、モチヒトとサレルノの気色を確認する。横柄なようで、それなりに後輩の反応を気にかけている姿に、二人は落ち着きを取り戻す。
「まあ、出来はサレルノだよね。完璧。演劇の正解って感じ」
ペシペシと脚本の束を手の甲で叩きながら続ける。部長の好評な講評は続いているが、一言でいえば「出来が良い」に集約される。そして、彼女は以前、似たような評価を下すモチヒトに対して文句を言ったことがあった。
「出来が良い、ってことは、私の脚本は、部長の胸を打たなかったということですか」
「あたしが出来の良さに重点をおいてないってだけだよ。出来が良くって損なことはない、可愛げはなくなるけど、それはいつものことでしょ」
だって、三年生の卒業公演のときは私もサレルノの脚本に投票したし。可愛げがないのが悪いわけじゃないよと、部長は続ける。
「ただ、これ、解釈の余地がない。よく言えば隙がないってことなんだけど……私達が演じることで、そのキャラクターに命が吹き込まれ、魅力的になるビジョンが見えてこないんだよ」
モチヒトは怪訝に思った。自分は、サレルノの脚本の登場人物を魅力的だと思ったからだ。そんなモチヒトの雰囲気を感じ取ったのか、部長は鼻から息を吹き出し、
「あんたは脚本を書くから、サレルノのキャラクターが完璧に見えるかもしれないけど、完璧なキャラクターは、完璧な舞台装置と一緒だよ。あんたの脚本のキャラクターを高品質にしたのがサレルノのキャラクターだ」
そして、そういうキャラクターを描く奴は、心の中に生きたキャラクターがいない奴だ。と、自嘲気味に部長は話を切り上げた。
「でも待ってください。サレちゃんのキャラが俺のより高品質だったら、いよいよ俺の脚本を選ぶ理由がないじゃないですか」
「完璧な舞台装置は、あたしたちで勝手にいじくれないんだよ。アイデアを出したり、セリフを変えることも拒否するんだ。だから完璧なんだけどさ。そうすると、あたしたちで遊べ……あたしたちでより良いものにする、賭けすら出来ないんだ」
モチヒトには、部長の言葉が、サレルノへの最高級の賛辞に思えた。
「俺の脚本は、出来が悪いから選ばれたと」
「だーかーらー、出来の良さはどうでもいいって言ったでしょ。あたしたちでより良く出来て、より良くなる可能性のある方を選んだだけだっての。つーかさー……」
先程までモチヒトの方を向いていた部長は、目線だけサレルノに移して、
「あんた、全力で書いて無いでしょ」
こう、吐き捨てた。
「……結果は伴ってるじゃないですか」
「否定しないあたり、自分でも分かってるんでしょ。あんたは自分でコントロール出来そうな題材でしか書かない。パロディが多いのも、ひねり過ぎた話の責任を取ってまとめるのが怖いからだ」
サレルノは押し黙る。部長が言っていることがすべて本当ではない。しかし、そういう自分がいるのも否定できない。脚本を何度か書いてきて、自分の思い通りにならなかったことがないのだから、全力も出しようがないし、無理もしようがないのだ。
「その点、モチヒトのは良かったよ。構成がしっかりしているところに加えて、自分の実力以上のものを描こうとするから、隙が生まれる、その隙こそが、演者や観客が解釈を差し挟めるところなんだ。サレルノの脚本は90点。だけどモチヒトの脚本は、70点の脚本を、あたしたちの力で、100点に出来るかもしれない脚本なんだ」
そして、そういう脚本の方が演者が乗り気になって、いい作品が出来やすい。ただ役のクオリティを追求するのは、高校生には酷さね……。と部長はまとめた。
高校生のくせに――と、モチヒトとサレルノは思いながらも、色々言いたいことを言ってすっきりして退出していく部長の背中を見送るしかなかった。
モチヒトとサレルノは呆けていた。モチヒトは選ばれた理由が、サレルノは選ばれなかった理由が、自分の中で整理できていないのだ。
沈黙を破ったのは、サレルノだった。
「多田君は恋をしない」
「え?」
「動画工房の話をしたとき、モチヒト君言ってたよね。自分たちが分かりすぎているものは、面白くなくなるって」
「面白くなくなるとまでは言ってないけど、そうだな、想定したことと、自分たちが用意できたものの齟齬をどう埋めるか、というのが創作の醍醐味なのかもね」
「私、今回の脚本、全然無理して作ってないんだよね。作れるものを作ったらコレだった」
だからかな――とサレルノは細い息を吐く。モチヒトにとっては、さらっとそんなことを言えるのが羨ましいし、少し嫌味に思える。
「俺は、ラストシーンから描くから。俺が一番カッコいいと思って、感動したラストシーンに、俺と同じ感動で、観客にたどり着いてほしいから」
だから、無理しかしてないし、自分の実力以上のテーマを選んでしまったとも思う。だが、それが良かった。モチヒトは気づいていないし、サレルノも思い至ってはいないが、今回の脚本は、モチヒトの実力以上のものが出ている。それは、モチヒトが自分の実力を度外視して、出来るか出来ないかを考えないで、愚直に脚本に向かった結果だ。
「私も、私の好きと向き合うことにするよ。私は私の脚本、出来が良いとは思うけど、好きかといわれれば、普通だし。何より"出来が良いなんて評価は聞きたくない"って言ってた私の自己評価が"出来が良い"とか、超ダサいしね」
歯をのぞかせて笑うサレルノの表情はまさに、不敵という感じで、モチヒトはなんとなく嬉しくなった。
「ウマ娘。ってアニメがやってるのさ」
「うん?」
「実在の馬を擬人化した女の子たちがレースをするお話で、実際のエピソードをベースにした物語が見どころなんだけど」
競馬好きの兄貴に聞いた話なんだけど、と前置きする。
「サイレンススズカっていう、すげえ速くて、ダイナミックなレース展開をする大人気の馬がいたのさ。でも、スズカは四歳の天皇賞のレース中に骨折して、そのまま安楽死させられてしまう。全盛期に差し掛かったところだったから、みんな"もしこの骨折がなかったら"と惜しんで、叶わぬ夢を見たと。……で、ウマ娘だと、サイレンススズカがケガから復活する話をやる」
モチヒトは言い終わる前から半笑いになり、サレルノは口を半開きにする。生ぬるい夕方の視聴覚室準備室のせいだけではない汗が、二人の顔に浮かぶ。
「私そんなの書けない。絶対書きたくない」
「俺もだよ……」
競馬ファンひとりひとりの心に宿った夢を凌駕する話を描かなければいけない、そんなことは不可能だ、どんな脚本を出しても、きっと批判は避けられない。だが、
「やろうとすることが大事なんだ」
自分の中の不可能を、無理を押してでも、自分が描きたいものを書くこと、それこそが、
「傑作を書くための条件――」
「自分が"書く"人間であるために必要なこと――」。
二人は顔を見合わせて、深くうなずき、共に視聴覚準備室を後にした。
書きたいことを書くのだ。書きたいことがないのなら、それを探す。そして、それを大切に温めて、自分の中で育てるのだ。まるで日々に張り合いが出てくるようじゃないか。モチヒトは笑った。笑わざるをえないのだ。埃っぽい床に倒れ込んで、天井を見ながら笑い続けた。サレルノも笑った、笑いながら視聴覚室の机の上に飛び乗り、次から次へと片足だけで渡っていく。一応の義理で視聴覚室に残っていた部長が声を失い、二人を見ている。
二人はずっと笑っていて、その笑いは、たしかな力に満ちていた。
おわり。
ドウガキタン タナカノッサ @tanakanossa
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