第2話 キャプテン翼~キャプ翼ってどうして最高なの?
夕日の差し込む放課後の視聴覚室。
現在は部活の時間真っ只中だが、校庭での活気ある声も、演劇部の発声練習も、吹奏楽部の音合わせも聞こえない。
二年生の模試の最中、声出しを封じられ、ただただやることのないモチヒトとサレルノは、例によってアニメの話を始める。
「今期はキャプ翼」
「まじ?」
モチヒトの意外な一言に、サレルノは思わず向き直る。
『キャプテン翼』の名はサレルノでも知っている。一定以上の世代は皆少なからず触れている伝説的なサッカー漫画で、Jリーガーはもちろん、海外リーグのプレーヤーにもファンが多い。今となっては当たり前のことだが「フィールドでは状況に合わせて自分の判断でアクションを起こしていい」という考えは、キャプテン翼が読まれるようになって広がったという。つまり、日本のサッカーに貢献著しい名作、もはや無条件に価値を認めざるを得ない古典であった。
そして、往々にして若者は古典に触れる気はないのだ。
「視界にも入らなかったわ」
「俺も、課題終わった後、ちょうど一話をやる時間だから見ただけなんだけどさ。ハマった」
「深夜帯なの?あれって子供向けじゃないの」
「みんな配信で見てるし、関係ないんじゃないかな」
モチヒトもサレルノも、ゴールデンタイムという言葉を知らないくらい、19時に家族揃ってテレビを見るという風景は遠いものになった。わざわざそこまで見たくないチャンネルを奪い合ったり、我慢して見たりしたくない。部屋で好きな動画を見ればいいし、そもそも親が19時に落ち着いて食卓につけることが稀だ。
「でさ、やっぱ出来が良いのさ」
モチヒトは、CGを使いながらも不自然さを感じさせない動画やらを絶賛する。サレルノは「不自然じゃない」ことが評価に直結しないタイプなので聞き流す。それよりも。
「出来が良いとかの話はつまらない。モチヒトくんが感動したところを言ってよ」
「あ、ごめん。そうだね、こういう前置きは、俺自身もそこまで重視はしてないんだよね」
そういう、必要だけど重視していないことに付き合わせる申し訳無さや、失礼さを少し噛み締めつつ、モチヒトは息を整えて言う。
「キャプテン翼は宗教の美しさなんだ」
サレルノは少し、唖然とした。
・・・
「南葛小と修哲小の対抗戦が迫る時期、弱小の南葛小に、翼というサッカー少年が転校してくるんだ」
「翼に感化されて、みんな頑張るわけね」
よくある話だな、とサレルノは思う。まさに古典、というわけだ。
「でも翼って、熱血とかじゃないんだよね。俺についてこいってタイプでもない。声を荒らげないし、厳しい感じじゃないんだ」
翼は状況を楽しむ、強そうな選手には挑戦状を送り、新しい技を見せつけられたらモノにしようとする、運動が苦手なチームメイトが成長したら褒める。翼の一挙手一投足の後には状況が好転して、楽しい雰囲気が生まれる。
「完璧超人じゃん」
「完璧超人というか、それが人だと嫌味な感じが出ると思うんだよ。でも翼は嫌味ではないんだよ。底知れないという感じはあるけど……」
それでね、とモチヒト。
「素人の寄せ集めみたいだった南葛小のみんなが、翼と出会ったことで、本来なら見られない景色を見られるようになるんだよ。修哲の子たちだってそうさ」
とりわけ石崎などはそうだろう。南葛小の石崎了というキャラは、もし翼と出会わなかったら、中高でサッカーをやっていなかったかもしれない。プロになることなどもちろんあり得なかった。翼に引っ張られて、持っていた才能以上のものが引き出されたのだ。
「翼と出会い、サッカーをすることで、彼らはサッカーの真髄に触れたんだよ。それは楽しさかもしれないし、サッカーに向かう姿勢かもしれないし、でも、それは接した人間にしかわからないんだ」
だから俺はこう思ったんだ、とモチヒトは真剣な顔で、言う。
「翼は、サッカーそのものなんだよ。サッカーが人間の形をしたもの、それが翼なんだ」
「いやいや、そんな得体の知れないものとサッカーして楽しいの?!」
「知らない。知らないけど、みんな笑顔だよ」
「言い方が怖い!それじゃまるで……」
と言いかけて、サレルノは口元をおさえた。
「まるで、宗教だ……」
・・・
「こういう、そのスポーツの体現者が現れて、周囲が感化されるというジャンル自体は昔からあったんだと思う。熱血による強制じゃなくて、自然と周囲が襟を正してしまうような……」
モチヒトはスポーツ漫画から例を挙げられないが「YAWARA」や、「BAMBOO BLADE」などがそうだろう。
「ジョジョの一部なんかも同じやつだと思う。ジョナサン・ジョースターという人格者に感化されて、周囲の人間も、いい人間たろうとする……」
「ジョジョはわかんないけどさ、ジョナサンなんやらも、何かの真髄だったり、体現者だということ?」
「うん、誇り高き人間の体現」
「正気?」
「だって、ジョジョってそういう話だから……」
「私ジョジョダメかも」
「第一部がとりわけそういう形ってだけで、二部以降は別に……。実際、第一部は説教臭いって嫌う人もいるんだよね」
「誇り高き人間を見せつけられ続けたら、そりゃあね……」
と、サレルノは右手をモチヒトの方へ向け、彼が話すの制しながら、浮かんだ考えを整理する。そして。
「キャプテン翼は説教臭くないの?」
「うん、翼はすごいキャラだけど、説教とはちょっと違う」
「あーっ……もしかして、それ自体がすごいこと?」
「そう。お話自体も面白いけど、俺が一番感心したのはそこ。こういう形態のお話だと、宗教っぽく見えたり、説教臭く感じさせたりするはずなのに、そういう感情にたどり着かないようになってる」
「何が違うのかな。サッカーの翼と、誇り高き人間のジョナンザ」
「ジョナサンね」
「個人崇拝に行きにくいのかな」
「それはあると思う。さすが○○……とか、やはり天才か……みたいなノリにキャプ翼はならないから。翼がやるなら俺もやる!という空気は、崇拝に傾かずに、不気味な感じを出さない」
思案し、視線を宙に漂わすサレルノ。
「で、それのどこら辺が、宗教の美しさ云々なの?」
・・・
「俺たちは、宗教を怖いと思う。宗教のきまりに縛られている人、可愛そうだとか、窮屈だと思う」
「知らないってのが大きいけど、まあそうね。生活リズムや趣味嗜好に口出されるのとか嫌だし」
「でも、信仰している人は、心穏やかであることが多いんだよね」
「神を近くに感じられていると安心するとか?」
「そうそう。教義で女性は顔を隠さなきゃだけど、そのお陰で顔の良し悪しで差別をされたり、悪口を言われたことはないとか」
「あー、日本はロコツかもね」
自分の顔が整っていないことをネタにして、笑いを取りに行く人たちや、そうやって笑いを取る人間はどんなに罵っても構わないという風潮に思いを馳せる。
「理屈でわかるところはわかるけど、大半はその宗教に包まれている人にしか、その安らぎはわからないんだよ。だから、宗教というものを勧めるとき、人は、ちょっと体験してみない?という」
「でも、わけわからないものを勧められるのは怖いし、不快感がある」
「じゃあ、これはどうだ。その宗教に触れている人がみんな笑顔で、人生が好転し、その宗教を指針に毎日エネルギッシュに頑張っている姿を見せられたら」
「……ちょっと良いかなと思ってしまう」
「それがキャプ翼!」
「そうくるか~!!いやいや、そんなこと言ったら、楽しく部活やってたら何でも宗教でしょ」
「でも、そういうアニメ見てて、宗教っぽ~いって思わないでしょ。宗教の匂いを感じるきっかけが、俺は体現者の存在だと思うんだよ」
「体現者と、彼によって運命が変わっていく周囲の人の存在が、宗教っぽいと」
「一神教の匂いがしてこないか」
話をまとめようとするモチヒトに、なんとなしの不安と、ほころびを覚えて、サレルノは口を抑えて黙りこくる。そして、
「それを一神教とするのはまあいいよ。でもさ、本当にそれに感動したの?宗教モノとして不快感がなくて素晴らしいな~って、感動するもんなの?そこに楽しいって感情はあるの?」
モチヒトは息を呑む。いつしか牽強付会、自分の論理をいじくるのが楽しくて、自分がたまたま深夜に見た作品の面白さに心打たれ、運命を感じたあの感動をないがしろにしている気がする。
「サレちゃんが言ってた、出来が良いって評価はつまらないってやつ……」
「モチヒトくんは、どんなシーンに惹かれたのさ」
「……ああ、翼のコーチのロベルト……彼は、元サッカー選手だったんだけど、事故で二度とプレーヤーとしてフィールドに立てなくなってしまった。でも、翼にサッカーを教えているうちに、コーチとしてやっていくのもいいんじゃないかと、新しい夢を見つけられたシーン……」
翼のプレーは、夢を失った大人にも、夢を見させることができた。それを宗教的な神がかりと断じるのは簡単だ。だが、簡単に片付けたくはない、心打たれるシーンであった。
「俺は、感動を、説明しやすいように無理やり当てはめたんだな。自分の中のわかりやすさに飛びついたんだ」
そのことが、自分の感動を貶めてしまうということもわからずに――と、モチヒトはうつむき、重い息を吐き出した。
「わかりやすさを重視すると、いろいろなものを犠牲にする。それは仕方のないことだけど、犠牲にしちゃいけないことだけは、分けておかなきゃいけないよね」
「全くです」
「でも、考え方のフレーム自体は悪くなったんじゃない。モチヒト君が脚本を書くときに、キャプテン翼について考えたことや、キャプテン翼の出来が良いと思ったところを、噛み砕いて自分の作品で再現するのには役に立つんじゃないかな」
脚本。
そうなのだ。
モチヒトはアニメオタクだが、沢山のアニメを浴びるように見ているのには好きだからという他に理由がある。
この秋に控える高校演劇の大会。
そこで上演るための脚本を書く。それに役立てるためだ。
そして、
「まあ、私もコンペに出すけどね。一応。いちおー」
このサレルノさんも大会用の脚本を書く。
上演するのはもちろん一作。
彼女に勝つため――。
三年生の引退公演の脚本ですら任されたサレルノよりも素晴らしい脚本を書くとっかかりを、モチヒトはアニメを見て、考えるのだ。
・・・
「まとめとくか」
「まとめといて」
「体現者が周りを変えていく作品は美しい。でも、さじ加減を間違えると宗教っぽくなるかも」
「そこ残したのね」
「この骨子に気づけたのはやっぱ大事かな、と」
「なるほどね」
施錠して、鍵を職員室に返して、二人は家路につく。
どちらの頭にも「体現者」を題材にした、脚本のアイデアの目覚めが渦巻いている。
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