ドウガキタン

タナカノッサ

第1話 動画工房論~「多田くんってどうなん?」

校舎の四階にある視聴覚室は、放課後演劇部の練習場になる。

しかし三年生の引退公演を終えた翌日に集まる人などおらず、

「鍵を借りた」+「返した」=「部活をやった」

のアリバイ工作のために駆り出された二人が居るのみだった。

二人は視聴覚室の隅の四人がけの椅子の端に座って、

各々がケータイをいじりながら、各々の時間を潰していた。


「サレちゃん、今期何見てんの?」

ケータイから目を上げず、男子学生が同級生の女子に声をかけた。

「今期何見てる」とは、オタクの業界用語で「現在放映中のアニメで何を見ていますか?」の意味である。ありきたりの自己紹介よりその人の人となりを把握できると専らの噂だ。


「ん、ペダルと、グールと、ソーマ。あと、銀英伝を見なきゃなあとは思ってる。」

「続編と、面白さが保証されてるOVAのリメイクしかねえ。どんだけ堅実なの」

「堅実もなにも、面白い作品じゃなきゃアニメになれないんじゃないの?そんなこと言ったらアニメ見てる人は全員堅実じゃん」

字面だけ追うと噛み付いてきたかのようなことを、同級生の女子-サレルノは普段と全くトーンを変えずに言った。

「あー、ごめん。言葉足らずでした」

「や、こちらこそ、圧ってごめん」

世の中には無意識に他人に圧をかける人間がいる。圧のかけかたは人それぞれだが、無意識なタイプは無意識に周囲に敵を作り、そのことに気づいて気を病んで、かといってどうにかなるものでもない。そういう人間がいて、サレルノはそれだった。

「きっかけというかさ、話したかったんだよ」

「今やってるアニメ?」

「そう。見てたら話しやすい」

「私、見てなかったわけね。別に気にしないのに。どんどん話してよ」

「それ結構、圧だからね。発表会みたいにされてから話すのハードル高いんだよ」

「ごめんごめん」

サレルノは本当に申し訳なさそうに、でも結構どうでも良さそうに謝った。

一方、男子学生の方-モチヒトは少し息を吐き、視線を泳がせる。

話しかけるまでは整理されていたのに、さっきのやりとりで少し散らかってしまった心の中の原稿を拾い集める。

「『多田くんは恋をしない』知ってる?」



・・・


「あ、一話見たよそれ」

サレルノは引き出しの奥にあったはずの分度器を手探りするような顔で、

「でも、なんで見たのかも、どんなアニメだったかもよく覚えてないんだよね」

と言った。

「多田くんが恋をする話だよ」

「多田くんが恋をするの?」

「いや、まだしてないんだけどさ」

「してないじゃん……」

看板に偽りありじゃん……とサレルノはつぶやく。

「サレちゃん、"動画工房"って知ってる?」

アニメを作っている会社なんだけど……と、モチヒトは準備していた動画工房のホームページを表示させ、新しい順に動画工房が関わったアニメタイトルをサレルノに見せていった。

「あー、知ってる知ってる。花丸のDVD私買ってるし」

「DVDなんだ。BDじゃないんね」

「私の部屋BDを再生できる機械ないのね。居間で両親の顔色伺いながら見るのやだし。だったらDVDで良い。安いし。DVDでもBDでも、特典はつくしね」

「特典大事なんだ」

「特典大事。見るだけなら配信サイトでもいいじゃん。特典があったり、パッケージがきれいだと、買うのも嬉しい」

動画配信サイトでアニメ視聴の殆どをまかなっているモチヒトには新鮮な感想だった。お金を出すことがなんだか嬉しい、それはきっと素敵なことだ。

「花丸のほかは……あ、うまるちゃん見た。それと、曇天に笑うと、月刊少女野崎くん…は見たことある。全話じゃないけど」

それを聞いてモチヒトは、我が意を得たりという顔をした。

自分の論の最後のピースはサレちゃんがはめてくれるだろう。

「多田くんは恋をしないって、動画工房の初のオリジナルTVアニメ作品なんだよ」

「ああ、堅実って言われた理由わかった。私みたいなタイプは、こういうふわっと出てきたようなアニメ、見ないと思ったんでしょ」

「うん、ごめん。でも見てたよね」

「……そうなんだよ!そう!たしか、刀剣仲間に言われたんだよ。花丸作ってる会社のアニメが始まるよって。だから見たんだよ」

「すごいなー動画工房、もうブランドだ」

「私は記憶を失い。刀剣仲間は、私の花丸課金が虚空に吸い込まれたってキレてた」

「失っちゃったか、記憶……。友だちはキレちゃったか……」

「モチヒトくん、あれ、なんだったの?」

「心霊現象のネタバラシをせがむような顔はやめてよ……。えっと、前置きから。本作は、月刊少女野崎くんの制作スタッフが再集結って触れ込みで宣伝されたんだよ」

「野崎くんは面白かったよ」

「うん、野崎くんは面白いよ。でも、野崎くんが面白いことと、オリジナルのアニメがうまく作れることって関係ないでしょ」

「目安にはなると思うけど、オリジナルアニメで結果出してないと……あ」

「そうなんだよ、初のオリジナルアニメだから、比較対象がない。だから野崎くんを呼んできた、こんちわーって」

「野崎くんこんちわーって言わないでしょ」

「でも、野崎くん一人じゃ説得力に欠ける。これ、宣伝している人たちも思ったんだろうね。みんな揃ってこんなことを言い出した。"ラブコメの動画工房のオリジナルアニメ"と」

「ラブコメ作品を作るのが得意な会社なら、ラブコメのオリジナルアニメもうまく作れると」

たしかにそうかもね、とサレルノは頷く。

でも、待てよ。

「いやいやいや、花丸も、曇天も、うまるちゃんだってそうだ!野崎くんを除いて、私が見た動画工房、四分の三がラブコメじゃないんだけど!」

「うまるちゃんはラブコメって説もあるんだけど……そうなんだよね。俺はこのサイトに載ってる作品、結構見てるけど、どれも面白いよ。でも、ラブコメってジャンルに入るアニメ、すっげえ少数派なんだよ」

モチヒトは星空へ架かる橋と、夏雪ランデブー、未確認で進行形の三つの名前を挙げたが、それらはどれも、2015年以前の、そこまで新しくない作品だった。

「ラブコメの、動画工房ってのは、誤認なの……?」

「誤認じゃない。けど、正しくはないと思う。それなら日常コメディの動画工房って方がまだ正しいと思う」

でも、それも正しくない。モチヒトは息を吐いた。

「一貫性がないんだよ。そのくせ、なんでも面白いんだ」

サレルノは再び動画工房の作品リストに目を落とした。そう言われると、全く方向性も出自も違う作品が押し込められているリストが異様に思えてきた。そのくせ、妙に収まりが良い。

収まりが良いということは、共通しているモノ自体はある、ということではないか。

「……モチヒトくんは、動画工房が、何の動画工房だって理解しているってこと?」

モチヒトは、首をかしげたまま頷いた。まだ、自分の中で整理しきれていない。だが、話さずにはいられなかった。

「俺は、動画工房は、"作品理解の動画工房"だと思ってる」



・・・


こめかみに汗が光った。こいつはこんなことを言うためにどれだけ緊張しているのだ、と、サレルノは思わないでもないが、

「それは、なぜ」

聞かないわけにもいかないし、それなりに気にもなってはいるのだ。

「まず、動画工房の最初のTV作品、Myself ; Yourselfの話をさせてほしい」

「今更口を挟まないよ。どうぞ」

「ありがとう。そうだな……」

モチヒトは再びケータイを操作し、契約しているアニメ配信サイトでMyself ; Yourselfの1話を流し始める。金田朋子のユカイな声が視聴覚室に響き渡る。サナという少年が引っ越すことを、仲良しの友だちたちが惜しんでいる。サレルノは、彼らが成長したあとに再開して……というお話だなと予想する。

「OPを見てほしいんだ」

ポップなイントロ、文化祭のゲート。自分以外が色を失った世界。

沈んだ顔の仲間たち。十二時にたどり着けない時計。炎の前に立ち尽くす長髪。

象徴的なシーンが続く。

からのサビ。桜舞う文化祭のステージで、仲間たちがバンドを組んでいる。

開放感。アグレッシヴなギターの横にマイペースなバイオリン。

堅実なリズムギター、おっちょこちょいのキーボード。

リズム隊はさっきのサナと、その友人のやんちゃそうな男の子だ。

文脈はわからないが、ただワクワクする予感に包まれた。

「楽しそう……」

サレルノは思わずつぶやいた。モチヒトは聞き逃さない。

「まあ、このライブシーン、本編にないんだけど」

「はあ!?」

「本当、いや、このアニメ、ほんと、全部が全部嘘なんだよ。でもね、すっげえ真面目に作ってるの。話以外は全部真面目。それが凄いんだよ。作り手が半笑いなんだろうなってシーンが全くないの。こんなふざけた脚本を成立させるために、それ以外のすべてが本気」

本作においては、世界をストーリーに奉仕させることが最善と踏んだのだろう。

そしてその方針は、一定の成果を出した。見た人間にとっての、忘れられない一作になった。

「それが動画工房」

「それが動画工房……」

「象徴的な、初TVシリーズだと思うよ」

サレルノは沈黙する。

「動画工房は悪ノリしない、言い訳しない。原作を預かっているものとして、わからないところをわかろうとする。もちろん、誰かの作った作品だから、間隙はある。でもそれを丁寧に埋めようとする。全作が全作、そうなんだ。それこそが動画工房の"らしさ"だと思う」

サレルノはふと、月刊少女野崎くんが流行ってたときに、コミックスを借りて読んだことを思い出した。そのとき感じた少しの物足りなさこそが、動画工房が埋めてくれたものなのかもしれない。

「信者になりそうだわ」

「信仰するには良い宗教だと思うけどね。裏切らないし」

閑話休題、とわざわざ口に出す。

「で、最初に戻って、多田くんは恋をしないなんだけど」

にや、と不敵な笑みを浮かべてサレルノがモチヒトを制す。

「言いたいことはわかってる。モチヒトくんはこう言いたいんでしょ。

 オリジナル作品には、。って」

間隙の埋め方が動画工房の個性であるなら、その間隙が限りなく少ない、すべてを自分たちで理解できるオリジナルアニメというのは、その実、動画工房らしさが一番出せない形態ではないか……。

「モチヒトくんの言ってることが本当だったら、動画工房かわいそう」

「自分たちで企画した作品だから、理解しきっている。理解しきっていると、薄味になってしまう……といっても、処方箋はあるんだよね。京都アニメーションみたいに、原作を募集して、それを自分たちでアニメにすればいい。オリジナル作品の幅は広がるし、作風自体は維持できるしで、良いと思うんだけど」

「私が一話を見て、あまり記憶に残らなかったのは、作品をコントロールしようと思って、尖ったところを削ったからかな。人様の作品なら、尖ったところも、不自然なところも削れないけど、オリジナルだと削れてしまう。でも、削れたからといって、いい作品になるとは限らない」

「むしろ、無味乾燥になる……と」

「多田くん、どうなっちゃうんだろ」

「恋するんだろ」

「そうではなく!……見ようかな。多田くん」

「俺たちの業界だと、そういうのを"死に水を取る"という」

「違う。頑張れって気持ちだよ。動画工房らしさは、多田くんでも出せるんじゃないかって思う信頼だよ。だって、思い返してみたら、曇天もうまるちゃんも野崎くんも花丸も、楽しかったもん。動画工房はきっと、最後にどんでん返しを見せてくれるよ」

「実は俺も同じ気持ちなんだよ。だから俺も、最後まで付き合うよ。動画工房の底力、見せつけてもらうさ」

なぜ、尻上がりに面白さを上げていくという発想がなかったのか。

逆転前提なのだろうか。

嫌な予感を覚えつつ、自分の努力ではどうにもならない戦いに赴くことに静かな興奮も覚えていた。がんばれ動画工房。私も戦うぞ。



・・・


五時半になり、施錠して視聴覚室を後にする。

その際、サレルノはモチヒトに「今度、Myself ; Yourself鑑賞会、開かない?」と提案した。

モチヒトは背中に汗が流れるのを感じながら快諾した。

サレルノさんは果たして"あの"「猫婆さん」を許してくれるのだろうか。

動画工房も味わったかもしれない緊張を追体験していることを、モチヒトは喜んだ。

アニメを作るのは戦いで、見ることも戦い。勧めることも戦いのはずだ。

がんばれ動画工房。俺も戦うぞ。

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