第十八話 モルス高山攻略②

 ――くそ、舐めていた。甘く見ていた。


 暗く、足元さえも定かではない中を俺は走っていた。

 後ろから何かが追ってくる気配はない。


 けれど、その感覚が信用出来ないことを俺すでに悟っている。


 行けども行けども当てはなく、気を抜けば転んでしまいそうになる。

 仮に行き止まりにでも辿り着けば、終わりだ。


 ――あぁ、くそ! 三日前の自分を殴ってやりたい。

 やはりここは、お師匠さまが立ち入りを制限するほどの場所だった。


「…………ちっ、もう追いついてきやがった」


 足元が崩れる。

 ぽっかりと空いた暗闇の中には、もっと昏い闇が口を開けて潜んでいた。


 静かに浮遊する中で、俺は後悔していた。



 ♦ ♦ ♦



 山の外周部を歩き回ることあれから二日と半日。

 道なりに進んでいたのだが、とうとうその岩道も途切れ、次なるステージは黒一色だけが広がる洞窟のようだ。


 すでに日も落ちかけ、夕暮れ時。

 今日はここで休んで、明日の朝から探索していこう。


 そう考えた俺は慣れた手つきで火を起こし、暖を取る。

 そうして眠る前に、左目を布で覆って視界を塞いでおいた。


 その翌日。

 獣の襲来などもなく無事に起きることのできた俺は体操で体をほぐし、計画していた洞窟探検へと乗り出す。


 昨日の間に取っていた暖を利用して松明を作ると、左手に持ち、早速中へと入った。


 ひんやりと湿った風。

 先は暗く昏い闇が延々と続いており、手元の明かりでもせいぜい一メートル程しか見通せない。


 音が反響し、歩く靴音が耳に残る。

 天井や壁などの感覚はかなり広く、例の大型獣たちも利用するのだろうことは想像にかたくなかった。


 つまり、常に気を抜ける状況ではないわけだ。

 前後いつ飛びかかられても対処できるように、気配を探っておく。


 だがしかし、それはあくまでも前後のみ。

 上下への警戒を完全に怠ってた。


「――――!」


 前に跳び、すぐさま立ち上がる。

 先程まで俺がいた場所には、得体の知れない何かがあった。


 それはブヨブヨとした表皮に覆われ、天井から伸びている。

 高く、光が届かないためうっすらとした影しか見えないが、どうやら首の一部のようだ。


 しばらくモゾモゾと動くも、獲物がいないと理解したのかゆったりとした動作で地面から離れ、上へと戻っていく。


 気が付けたのは単に運が良かったから。

 何気なく下に目を向けていたら、足元の影が僅かに濃くなったため、咄嗟に動けた。


 襲撃に失敗した謎の生物は、忍ぶ必要性もないと感じたのか天井から降り立つ。

 その光を浴びた見た目は、これまでに遭遇したどの獣とも違う――異様なものだった。


 二本足のソレは、まず顔がない。

 首の先にはパックリと横に広がる口だけが見え、鼻・耳・目のどの感覚器官も見られなかった。


 また、腕も鳥の羽のように折りたたまれており、全容が分からない。

 壁に張り付いていたところを見るに、四つ足歩行もするとは思うのだが……。


 そんな考察をしていると、何かを溜めるようにその生物は首を縮める。

 そして、次の瞬間には紫色の物体を吐きつけてきた。


 予備動作があったために避けるのはそれほど難しくなかったのだが、地面に着弾した際、その飛沫が服の袖や松明の一部にかかる。


 続いて発する音と煙。

 見れば、浴びた布や鉱物が溶け始めていた。


 松明も朽ち、燃焼物を失った炎は光を失う。


「……くそ、酸性の毒か!」


 入口から遠いこの地点では光が殆ど入っていない。

 松明の明かりに慣れていた目は、完全に視界を失ってしまった。


 ――開けていた右目だけだが。

 昨日のうちに縛っておいた布を解き、左目を開く。


「…………よし、見える」


 とは言っても、光が足りていない。

 捉えられるのは大まかな動きだけで、あとは音などに頼る他ないだろう。


 こうして待っていてもまた毒を吐かれるだけだと考えた俺は、自分の戦いの距離へと持ち直すべく駆け寄る。


 接近を嫌ったのか、始めと同様に首を伸ばして噛み付いてくるが、躱すのはそれほど難しくない。

 執拗な攻撃を避け、拳を引いた俺はまず一撃とばかりにその柔らかい胴体に攻撃を――。


 そこで、敵対生物の動きが変わる。

 何かを溜め込むようにモゾモゾと、浮かしていた二つの手をも地面に付け始めたのだ。


 しかし、走り出していた体にはすでに慣性が働いている。

 今足を止めても離脱する前に何かしらの目に合うと感じ、そのままの勢いで上に跳ぶことを決めた。


 浮き上がった体を更に『飛脚』で持ち上げる。

 それと同時に、気体の吹き出る妙な音が響き、その敵対生物の周りは靄がかったように見えづらくなった。


 そして、僅かにだが舌が痺れる苦味。

 すかさず口元を抑える。


「……ちっ、毒ガスも使えるのか」


 唾棄したくなるような気持ちを抑えてそう呟いていると、再び敵対生物は首を伸ばして噛み付いてきた。


 屈み、腕でその首を押しやると、同時に思いっきり蹴りつける。

 衝撃で壁に打ち付けられている隙をついて、俺は一旦の離脱。


 その間に先程の一連の動きから、謎の生物についてを考察していた。


 まず、敵は全ての距離における攻撃方法を持っている。

 遠距離では酸の毒を吐き、中距離では噛みつき、近距離では毒ガス。


 遠・中距離に関しては避けることが可能だがこちらの攻撃が届かず、近距離に関してはそもそも近づけない始末。


「……って、熱――っ!」


 その時、灼けるような腕の痛みを感じ、思わず袖を捲った。

 軽く触れてみると、爛れている……というか皮膚が僅かに溶けている。


「何でここが…………あっ……」


 思い当たる点は一つ。

 先程、奴の首を押しのけた時だ。


 恐らく、表皮からガスを撒く際に残った毒の影響だろう。

 確か、皮膚もほんのり紫がかっていたような気がする。


 しかし、それが分かったところでどうしようもない。

 むしろ、対処ポイントが増えただけだ。


「ここに来て何度思ったか分からないが、銃があればな……」


 こうして近接戦闘ばかりしていると、距離さえ詰められれば大抵の敵に勝てることは理解できてきた。

 だが、それと同時にこうしてどうしようもないような相手が現れることも知れたわけで……きっと、そういう時に銃というものは使うべきなのだろう。


「…………ちっ、もう追いついてきやがった」


 そんな中、突然味わう浮遊感に毒づいた。


 崩れ去る足元。伸びてくる首。

 空を蹴って、横に回転しながら躱す。


 その間、揺れる視界の中で確認したが、何かを溜め込むような動きをしていた。


 地に体が着くと同時に後ろへ駆ける。

 間一髪で毒ガスを避けた俺は、噛み付きさえも届かないような距離まで下がった。


 ここなら、毒の残った皮膚にやられることもあるまい。

 となると、敵対生物の残る攻撃方法は酸の毒吐きということになるが……。


「…………………………………………」


 しかし、一向に打ってくる気配はない。

 ガスも晴れ、視界がある程度澄んできたタイミングでようやく、吐いてきた。


「今かよ!」


 おかしな間のとり方に思わず声を上げてしまう。

 何故わざわざ待って攻撃をしたのか。


「…………いや、できなかった?」


 そうであれば、説明がつく。

 思えば、あの首を蹴りつけた時も、あそこでもう一度ガスを撒いていれば俺は死んでいたはず。


 ……もしかして、毒を使うにはある程度のインターバルが必要なのではないだろうか?


「……試す価値はあるな」


 再び、俺は距離をとる。

 誘ったとおりに酸を吐いてくれた敵を前に、俺は前へと疾駆した。


 ゼロ距離。拳の当たりそうな距離で、一度ジャンプ。

 これは仮にガスは放たれても上空に逃げられるようにだ。


 だがしかし、ガスが撒かれる気配はなく、それは自身の推測が当たっていることを指す。


 ならば、とそのまま体重の乗せてかかと落とし。

 追撃のために力を溜めると、敵対生物の表皮が紫色に変色し始めていることに気が付いた。


 とはいえど、今更止めても重心の関係上、逃げられない。

 となると、攻撃は最大の防御。逆に蹴り飛ばすことで相手を自分から遠ざける。


 間一髪で俺は避けることに成功した。

 そして、転がる敵を毒ガスに触れないように追いかけ、最後の一撃。


 コイツは毒ガスを撒いたら、しばらく皮膚には触れられない。毒が残るからだ。

 でもそれは、俺が素手だったならの場合。


 モルス高山を訪れた初日に手に入れておいた切り札を、ここで使わせてもらおう。


 俺はソレを使って傷を付けると、相手は音もなく倒れ、それ以降は動く気配がなくなる。

 かと言って死んでいるわけでもなく、あるのは数本の引っかき傷のようなものだけ。


「はぁー、疲れた……。コイツとはもう二度と素手で戦いたくないな」


 持っていたソレ――麻痺毒を爪に持つ親鳥の脚を放ると、ため息をついた。


 武器に使えると思って捥いでおいたのだが、それが役に立って良かったと思う。

 お師匠さまの出したルールには抵触スレスレかもしれないが……まぁ、有りということで。


 残る脚はもちろんもう一本のみ。

 本当はコイツの毒も活用したいところだけど、荷物のない俺では処理も持ち運びも難しいだろう。


 できれば、残りは最後のドラゴン戦まで取っておきたいのだが……。

 果たして、俺はあとどれくらい登ればよいのだろうか。


 暗く奥まで続く闇は、答えてくれない。

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