第九話 空白の三ヶ月⑥

 ナディアお姉さんに促され、走って数歩分の距離をお互いに空ける。

 相手も私も、全く違う構えで相対した。


 風が吹き、緊張感が私の心を支配する。

 狐師匠の言葉を思い出そう。


 彼女たちは言っていた。

 力で劣る私たち女性が対抗出来る手段は少ない。だから、あらゆる部分で工夫し、補っていかなければならない、と。


 その為に生まれたのが合気である。

 相手をしっかりと観察し、時には頭を使って動きを読み、向けられるはずの力を利用する。


 ジッと見つめていれば、相手は片足ずつリズムをとるようにステップを踏み始めた。


 右、左、右、左。

 単調なタイミングのソレは、動きが読みやすくて私としてもありがたい。


 左腕を前に置く構えからして、右足で踏み込んでくるのだろう。

 その予想は大いに的中し、小細工なしに真っ向から向かってきた。


 大丈夫。ナディアお姉さんよりは速くない。

 こちらへ駆けてくる姿をしっかりと捉えた私は、そのまま手の届く範囲に来るまで待つ。


 狐師匠の元で教わることができた期間はとても短い。

 だから、私には圧倒的に基礎力が不足している。それは当人たちからも言われたことだ。


 そのため、出来ることは一つ。


 振られる拳を、学んだ体捌きで左に受け流し、同時に右手で急所の目を狙う。


 どんなに非力な攻めでも急所を狙われては、人は相応の対応をとるらしい。

 それ故に、今の私にとっては一番のフェイントとなり、そして相手の行動を誘導できる唯一の手でもある。


 想定通りに躱してくれた男の子の姿を確認し、彼の向かう先に私は足を差し込んだ。


 あとは、その足を軸に相手の力を誘導し、投げるだけ。

 見事に背中を打ち付けた彼は息を漏らし、私は教えられたとおりに残心をとった。


「勝負あり、ね」


 ナディアお姉さんの声が聞こえる。

 その言葉に私が浅く息を吐けば、勝負の行方を見守っていた残りの五人の子供たちが取り囲んできた。


「まさかルーカスくんを破るなんて……貴方、やりますね」


 始めにウォンと呼ばれていた少年を皮切りに、次々と賞賛の言葉が投げられる。

 聞けば、今いる子供たちの中で一番強いのが彼だという。恐れ多くも、私はそんな人に勝ってしまったらしい。


 そんな彼に目を向けてみれば、悔しそうに俯き、地面に拳を叩きつけていた。


「ルーカス、貴方がなぜ負けたのか……分かる?」


 冷静に、そして非情な目で問うナディアお姉さんを前に彼は一度深呼吸をすると、静かに立ち上がる。


「おししょーさんに言われた通り、舐めてた……ました。力で圧せるだろう、って頭に血が上ってたと思う……います」


 本人なりに反省しているのだろうか。

 途中途中、おかしな敬語が混ざりつつ、彼は話す。


「うん、それが分かっているならいいわ。精進なさい」


 ポンとナディアお姉さんがその頭を叩くと、踵を返してこちらに向かい――。


「――でも、次は絶対に負けねぇ! ……ないです!」


「分かってるわ。本調子だったら貴方が勝ってた」


 背中越しに語るその言葉を受けて、彼は礼をした。

 一方のナディアお姉さんは何事もなかったかのように、今度はこちらに話を振る。


「さ、次は誰がやる?」


 すると、いつの間にか私の腕を取って隣に居座っていた二人の女の子たちが揃って手を上げ始めた。

 この子らは、ここに現れた六人の子供たちの中でも、数少ない女性陣でもある。


「はいはい、セレナ! セレナがルゥお姉ちゃんと戦いたい!」


「あっ、セレナずるい! フィオナもルゥお姉ちゃんとやるのー!」


 ルゥ、お姉ちゃん……。

 慣れない響きにむず痒さを感じるも、思ったよりは悪くない。


 ナディアお姉さんが自分の呼び名に固執する理由が、ちょっとだけ分かった気がする。


 そして、この子らの名前はセレナとフィオナね。……よし、覚えた。


「セレナ、フィオナ、それはダメよ。組み手後の対戦者は休憩を挟むのがルールでしょ。まだ時間はあるんだから、後になさい」


『えー』


 頬を膨らませる少女たち。

 …………かわいい。


「僕も興味が湧いてきましたよ。また後でお手合せでも」


 未だに私の手を引っ張りあってゴネているセレナとフィオナを見てると、恭しく頭を下げながらウォンがそう話しかけてきた。


「え、あっ…………はい」


 不意打ちに少し驚き気味で生返事をすると、彼はすぐに立ち去る。

 そうして、未だに名前を覚えられていない残りの二人の元へと歩み寄っていった。


「――さぁ、次は僕たちがいきましょう。エド、ダン、どちらでもかかってきなさい」


 少し畏まった言い方をする変わった人だけど、あまり悪い人じゃなさそうだ。


 話しかけられた二人――エドとダンという名前みたい――は、彼の誘いに申し訳なさそうな顔をした。


「すまん、ウォン。もうダンと組んじまった」

「悪いな、また後で。ししょー、次は俺とエドがやる!」


 楽しそうに駆けていく姿。

 残されたウォンは悲しそうに笑っていた。


「え、えぇ……またあと、で……」


 …………うん、やっぱりいい人なのだろう。そうに違いない。じゃないと、すごく不憫だ。


 すると、唐突に鳴り響く拳の音。

 取り組みの早いことで、気がつけば名乗りを上げた二人の組み手はもう始まっていた。


 エドと呼ばれていた男の子はひたすら受けに徹し、隙が生まれたところで攻めを入れる堅実タイプ。


 一方のダンと呼ばれる少年は攻め以外のことが頭にはない、と言わんばかりに攻撃一辺倒だった。けれど、目が良いのか、わずかな動きで紙一重に躱し、厄介そうなことこの上ない。


 また、彼らは何度も戦っているのだろう。

 私たちとは違って互いの手の内を知っている分、攻め手に欠けており、長引きそうだった。


「――ルーカスのこと、許してあげてね。悪気があったわけじゃないのよ」


 思考の空隙を縫うように、スルリとそんな言葉が耳に届く。

 隣を見れば、ナディアお姉さんが彼らの戦いを見ながら立っていた。


「憧れていた人――レスが負けた姿を初めて見て、やり場のない怒りを抱えてしまっただけなのよ。でも、貴方を責めているわけじゃないわ。昨日だって、率先して歓迎会の準備をしていたのだし」


「じゅん、び…………?」


 そう聞いて思い浮かぶことは一つ。

 昨日の折り紙で作られた装飾品などのことだろう。


 そういえば、彼は言っていた。

 昨日は用事があって修行ができなかった、と。


 その時、左右から軽く引っ張られる感触が伝わってくる。


「ルゥお姉ちゃん、ルーカスのこと嫌い? セレナは好きだよ?」

「フィオナも! 口は悪いけど、みんなに優しいの。特に……ソニアには!」


 『ねぇー』と二人で示して笑い合う姿に、私も思わず笑みをこぼした。


「うぅん……別に気にしてないよ」


 そう答えてあげると、『そっかぁー!』と笑顔で納得してくれる。


「…………ありがとう」


「いえ、そもそも怒ってさえない、です。ただ、レス以外の人があんまり得意じゃないだけで……」


 そこで一度言葉を切り、私は少し考えた。

 言うべきことはコレじゃないような……。むしろ感謝するのはこっちの方だし。


「それに、私の方こそ。……こんな私を受け入れてくれて、ありがとうございます」


 返事はない。

 ただ、温かな手が髪に乗せられた。


「あっ、いいなー! セレナも撫でて!」

「フィオナも! フィオナもー!」


 騒ぐ二人を前に、ナディアお姉さんは人差し指を立てる。


「じゃあ、次の組み手で勝った方に……ね。ちょうど終わったみたいだし」


 そのまま指を差したため、その方向を見るとエドと呼ばれる少年が息を乱して倒れていた。


「やるー!」

「頑張るー!」


 キャッキャと駆ける二人。

 その様子をウォンが虚し気に見つめていたのは、言うまでもない。



 ♦ ♦ ♦



「ルゥちゃん…………大丈夫?」


 空気を荒く吐きながら寝転んでいると、ソニアが顔を覗かせるようにして声を掛けてきた。

 どうやらお昼の準備ができたらしく、皆を呼びに来たようだ。


「はぁ、はぁ……だ、だいじょう……ぶ…………」


 それまでの間、延々と代わる代わるで組み手をしていたのだけど、おかげで息も絶え絶え。

 出来ることなら暫くはこうしていたいし、なるべく話すのは遠慮したい。


「それはダメだよー。朝も言ったけど、ご飯の時は皆で集まらなきゃ」


 そんな私の様子をソニアはコロコロと笑う。


「ルゥお姉ちゃん、元気ない?」

「疲れた? 辛い? フィオナたち、やりすぎた?」


 すると、セレナとフィオナも心配して駆け寄ってくれた。

 ありがたい…………けれど、この子たちでさえ呼吸を少しも乱していない事実に、なんか負けた気分だ。


「心配、しないで……はぁ、はぁ…………私の、体力がない……だけだから」


「そうね、貴方の弱点はその体力も含めた基礎能力のなさよ」


 そんな二人を安心させるように微笑みかければ、また別の方向から違う人が話しかけてくる。

 首を少し動かせば、そこに居たのはナディアお姉さん。太陽と重なっているため、どんな表情をしているのかは分からない。


「ルーカスに勝てたのも、単に『貴方が予想以上に動けた』という事実で隙が生じたため。練度自体はそれほど高くないから、そのあとの負けも頷けるわね」


 そう。先程、負けた気分と言ったが、事実として私は最初の一戦以外の全てに負けているのだ。

 動きを読まれ、翻弄され、手も足も出なかった。気力も体力も尽き果て、もうボロボロ。


「ま、そうは言ってもこの子たちと貴方とでは年季が違うわ。時間は有り余っているのだし、少しずつ改善していきなさい」


「はい…………!」


 そう助言をもらい、私は再決意をする。

 午後も頑張ろう。そのために、まずはお昼ご飯だ。


 皆に起こしてもらい、私たちは一緒に孤児院へと戻って行った。

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