第十三話 聴衆のいる慟哭

「……どうして追わない?」


 一人この場に残った儂は、全く動こうとしない目の前の集団に問いかけた。


 てっきり逃がすまいと二手に別れて、片方は儂と戦い、もう片方は追うだろうと予想していたのに……。


 まぁ、儂の目的はあくまでも命を賭した時間稼ぎ。

 あの二人を追わないのであれば、どんな理由であれ、それに越したことはなかった。


「いいわ、冥土の土産に教えてあげる。これはね、総長老の命令なの。あの少女を捕らえて人間族に返してしまえば、多くの実験をされて彼らの研究が進歩してしまう。そうじゃなくても、吸血鬼を意のままに操ることが出来たなら、それは立派な兵器になり得るのよ? そんな手助け、私達がしてあげる義理はないわ」


「そして、次に問題となるのがあのクソ生意気なガキじゃ。聞けば、あの吸血鬼の小娘を連れ去る際に人間族の騎士団と一戦交えたらしい。単身で戦い、逃げ果せた以上、下手に矛を交えればこちらの戦力が無駄に削られると言っておったよ」


 そこまで聞くと、儂は眉を顰める。


「では、『捕まえて人間族に引き渡す』という発言は嘘だったのか?」


 数分前に行われた会話を思い出しながら尋ねれば、二人分の笑い声が辺りに響き始めた。


「えぇ、そう。早々に引き取ってもらうための方便よ」


「ワシらはお前さんを殺したいだけじゃ。変に手を出されては敵わんわい。じゃからな……」


『そろそろ死ね。穢れた血族よ』


 二人分の声と殺気が届き、儂はとうとう来るかと身構える。


『爆ぜ、弾けて、灰と化す――火球フォイアーバル


 しかし、予想と反して魔法を打ってきたのは周りに控えるエルフ達であった。


 空一面に拡がる火の塊は流れ星のように落ち、儂はおろかこの辺り一帯を丸ごと焼きかねない。


「その球、森羅万象を飲み込んで永遠に閉じ込まん――」


 想像する現象を世界に顕現させるべく呪文を詠唱し、右手を空に掲げ、握り込むように閉じていく。


「――封印球ファジーゲルテ・クーゲル!」


 その瞬間、空には光の膜が現れ、全ての攻撃を包み込むようにして球形へと閉じていく。


 膜に接触した火の球は思い思いに弾け、それらが伝染して大きな爆発を生む。けれど、密閉された空間がそれ以上の被害を防いでみせた。


「……本来、守ると聞けばその対象を包み保護することを誰もが考えるじゃろう。じゃが、それとは逆に攻撃そのものを包み、威力を殺す――良い魔法じゃ」


「流石は、稀代の守り巫女――ヴィーダーシュティーンの息子。彼女も貴方も、混血を取り込んでさえいなければ重宝されていたのに……」


 母から教わった唯一の魔法。それがエルフの最高戦力である長老衆に褒められたのは素直に嬉しかった。


 けれど、結局は流れる血で判断されてしまうことに呆れのため息が出る。


「だけど、どんな魔法にも弱点はある。それを私たちが教えてあげるわ」


 左の駕籠から、そんな物騒な言葉が聞こえる。


「若い衆よ、よく見ておれ。適切な魔法の使い方と、詠唱が必要ないという強みを」


 右の駕籠がその周囲を取り囲むエルフ達に向かって何かを言っていた。


 嫌な予感を捉えた儂はそんなものに耳も貸さず、詠唱を紡ぐ。


「趨る稲妻はあるゆるものを焦がしつくし、その命までをも――」


 ――――パンっ!


 だが、それよりも早くに柏手を打つ音が重なって聞こえた。


局所地震タイルビーン


 不意に地面が揺れ、体勢を崩す。それと同時に、必然的に詠唱も止まっててしまい、どうもしようがなかった。


粉塵炎シュタウプ・フラメン


 周囲が真っ赤な粉塵で覆われる。その次の瞬間には、舞う粉の一粒一粒が燃え上がり、爆発が自身の姿をも飲み込んだ。

 気が付いた時には世界が九十度傾き、倒れているのを自覚する。


「見ての通り、詠唱がなければ相手よりも早く先手を取れて有利だわ。そして、今回のように攻撃を包んで守る防御魔法が相手なら、包むことの出来ないレベルで魔法を打てばいいの」


 鼓膜が破れたのか、変な耳鳴りと共にそんな声がボンヤリと遠くから聞こえた。


 元々、威力のない範囲魔法のようで体の一部が熱で爛れているが、命に別状はない。

 辺りを見渡すと、両親の残してくれた大切な我が家が燃えていた。


 何も出来ない自分に対して、悲しみに暮れていると大事なことを思い出す。


 ――あの手紙と腕輪は?


 家の中だ。何故だか分からないけれど、あれだけは失くしてはいけない気がした。


 興奮のせいか痛みはない。動こうとしない手足を気力で無理矢理に動かすと、燃え盛る家の中へと儂は駆けて行く。


 二階の自室へ辿り着くと、机の上には無傷のまま目的の物が残っていた。

 階下からは謎の呟きが聞こえてくる。


「……ふむ、何か悪いことをしたようじゃのう。これは詫びじゃ」


 ――――パンっ!


雨雲生成リグネリッシュ・ゲブルト


 途端に雨が降り、火の手が弱まる。

 その瞬間に理解した。儂は弄ばれているのだ、と。


 それを肯定するかのように、長老衆の一人が声を上げた。


「そして最後になるが、魔法は組み合わせることで強大な力を発揮することもある。これがその例じゃ」


 だったら、儂がやることは一つ。

 奴らに何でもいいから一矢報いる……!


 胸に抱えた腕輪と手紙を床に置くと、呪文を唱えた。


封印球ファジーゲルテ・クーゲル


 この魔法は本来、球の内部にあるものを外へと逃がさないようにと造られたものだ。そのため、球の外から向かってくるものは何であっても内部へ通してしまう。


 だが、魔力を使って現象を生み出すのが魔法だ。ならば、今ここで造り変えることだって出来るはず。


 内からも外からも干渉されない、本当の意味での封印球に。


 ――――パンっ!


 腕輪と手紙を光の膜で包み終えると、何度目とも知らない柏手がその場に響いた。


雷撃ブリッツ


 その言葉と共に雨雲の中へと蒼い稲妻が駆け抜け、ゴロゴロと音が鳴り始める。


 やるべき事をやり終えた儂は、落ち着いた面持ちで空を見上げた。

 今更になって身体中が痛み、笑いが溢れる。


 視界の全てを青白い稲光が埋めつくし、そこで儂の意識は途切れた。



 ♦ ♦ ♦



 暗い夜は否応なしに不安を駆り立てる。

 しかも、つい先程から急に雨が降り出し、月さえも覆われた世界は真っ暗な闇なのだから尚更だろう。


 窓へと向けていた視線をそっと横にずらす。

 そうすれば、二人用ベッドの片側半分に妻が寝ている姿を見ることができ、その奥には最愛の息子も赤ん坊用のベッドでスヤスヤと寝息を立てていた。


 何も変わらないその光景に、私の心は少しだけ穏やかになる。


 少し気が立っているだけだ。暗闇はそれだけで人の深層心理に語りかけ、不安を煽っていく。

 毛布に包まり、人の温もりへ身を預ければ明日には自然と忘れているだろう。


 そう結論づけ、ベッドへと足を伸ばしたその時だった。


 眩い光が窓の外から照らし、それと同じタイミングでとてつもない轟音が響く。

 その規模は凄まじく、僅かにだが家が揺れる感覚を覚えた。


 大の大人でさえビクついたのだ。

 まだ赤子である息子が驚かないはずもなく、大きな声を上げて泣き喚く。


 そして、その声に反応して妻も目を覚ました。

 息子を腕に抱き、あやしながら立ち上がった妻は私に尋ねかける。


「一体何があったの?」

「どうやら、すぐ近くで雷が落ちたみたいだ」


 さすがに手馴れたもので、息子はすぐに泣きやみ再び眠りについた。


「……そう、大変ね」


 私の答えを聞いた妻も大した興味はなかったようで、淡白な返事で済ます。


 まぁ、普通ならそんな態度で然るべきだろう。

 ただ、何故かは分からないが私の中には言いようのない不安が募り、落ち着かない。


「あなた、何をしているの?」

「ちょっと気になってな。様子を見てくる、すぐに戻るからお前はここに残っていろ」


 寝間着を着替え、腕輪を嵌め、雨具を身にまとった私は灯りを手に家の外へと出る。


 どこに落ちたかは分からないが、よくよく目を凝らしてみれば黒い煙が上っていることを確認できた。


 泥濘ぬかるみに足を取られないよう慎重に、けれども迅速に移動をしていると奇妙な団体を発見する。

 遠目では分からないが、何かを担いだエルフの者達がこちらに向かっているようだ。


 木陰に身を潜めじっと待つ。

 それらが目の前を通り過ぎる頃、ようやくその集団の正体に気がついた。


「あの特有の紋が描かれた駕籠――長老衆か! それも二人……一体何をしていたんだ?」


 思考を整理するために呟いてみるも、何も思いつかない。

 それに、今はそんなことに時間を費やしている場合でもないことを思い出す。


 ただでさえ月が雲で隠れて暗いのに、鬱蒼と繁る森と未だに降り続く雨の影響で一寸先は闇だった。

 咄嗟に空を仰いでみれば、枝葉の間からうっすらと煙が立ち上り、私にしるべを残してくれている。


 その跡を頼りに立ち進めば、円形に拓けた草原の広場へと出た。

 その中心には黒く焦げた何かの残骸が捨て置かれ、私が見た煙は今も尚そこから空へと手を伸ばしている。


 心臓を掴まれたような感触に、私は服を握り込む。

 恐る恐る、近づいた。


 何かが焼き焦げた臭い。

 不快で、吐きそうで、味までするような嫌な気分。

 その原因が残骸の中央に鎮座していた。


 それは炭だ。真っ黒に焦げ、所々はひび割れて欠けた気味の悪い塊。

 まるで人形のようで、これが人だと判断する自分の直感を私は信じられない。


 思わず一歩後ずさると、何かを蹴ったように金属のぶつかる音が鳴り、それと同時に紙を踏みつけたような乾いた音が足元から聞こえる。


 見てみれば、それは手紙だった。

 その近くを屈んで見渡せば、見覚えのある腕輪も発見する。


 それは本当によく似た腕輪。普段は家に置き、こうして外に出る時は現在のように右腕へと嵌められた、亡き母からの唯一の贈り物と瓜二つ。


 ――その腕輪を持ってる人は私にとっても貴方にとっても大切な人。だから、もし出会ったら共に手を取り合って生きて欲しい。


 腕輪と一緒に与えられた、母の言葉を思い出す。


 ずっと不思議に思っていた。

 喧嘩をしたわけでもないのに母は出て行き、それを父は止めようともしなかった。


 愛していたのか、と問えば父は笑って肯定する。むしろ、出ていくような彼女だからこそ愛しているのだと。


 震える手で濡れそぼった手紙を開く。

 そこに書かれた一字一句を目にし、視界が水滴で歪んだ。それはきっと雨のせいではない。


 ――パシャリ。


 水溜まりを踏みつける音に、私は振り向く。


 そこにはこの世でたった二人、心から愛する者の姿があった。

 何が起きているのか理解できず立ち尽くす妻。無邪気で無垢な笑顔を振りまく息子。


 その存在だけで満足できていたのに、心にはポッカリと穴が空いてしまったような虚しさが残る。


 私は今日、新たに大切にしなければならない者を得て、その人を失ったのだ。

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