第8話 一目惚れに近い何か

 ジルに美味しいアールグレイをご馳走になり、紅茶について色々教えてくれた。

 そして、そのまま使用人室で、夕飯を食べるということになった。



「はい、これだよ」


 気づいた時には幸が、料理が置いてあるワゴンを持ってきていた。少しウトウトしていたらしい。瞼が重く感じる。

 ――だいぶ、疲れてたみたいだな。眠いや


 ガラガラと音を立て、台車が側を通る。そこに料理を乗せているらしい。クロが洗練された動きで料理を机に並べていく。悠冬は眠すぎて、ただそれを眺めていた。


 すると、ホテルのレストランでの食事のような、豪華で綺麗な食事が出てきた。美味しそうな匂いが漂う。

 それを見た瞬間、眠気など吹き飛んでしまった。


「凄い! レストランみたいだ」


「お抱えコックがやってるからね。俺も食べようっと。あ、隣座るねー」


 幸は自然な動きで、悠冬の隣へと腰を下ろした。


「こ、これが幸ちゃんがモテる秘訣!?」


「は? アンタ何言ってんの?」




 そうして、ほのぼのとほっぺが落ちそうなほど美味しい料理と会話を楽しんでいた時だった。食事中、今まで一言も話さなかったクロが口を開いた。渋くいい声が響く。


「お嬢様は、まだ十六歳だ。本来なら学業に専念する時期だ。だが、本人は通いたくないと仰っている」


「雛乃って十六なんだ……ふーん、僕より年下なのか」


 そう呟く悠冬に、幸は顔を歪めクロに言い捨てる。


「本人が嫌だって言ってるんだし、仕方ないんじゃない?」


「あぁ、本人がそうでも父親としては、なんとしてでも通って欲しいものだろう?」


「ふーん、そういうものなのか。……それであの鈍感執事野郎に何求めてんの? ……クロ」


「お嬢様を説得して欲しい。学園の名は、如月学園だ」


「え!? あの学園……ってあれ? 如月って」


 いくら常識に疎い悠冬でも知っていた。お金持ちの為のお金持ちの学園。


 普通のお嬢様が通う学園だが、何故か執事を連れて学園生活を楽しむ、女子の憧れだと友人が言っていたっけと、思考を巡らせる。


「当主様は理事長もやられておる」


「随分と多忙なんですね」


「……いつも忙しそうっス」


 ジルは悲しそうに笑う。当主様に何か恩があるのだろうか。どこか遠い目をしたジル。哀愁漂わせるジルに気づいた幸が、ジルをからかう。そして、ジルから笑顔を引き出していく。


 きっと何度もあるやり取りなのかもしれない。そんな二人の関係が微笑ましくあり、羨ましい。いや、憎らしい?


 様々な感情が悠冬の心をぐちゃぐちゃに乱していくのだ。


 真っ白な紙にペンで無造作に塗りつぶしていくように、ドス黒い感情が心を支配していく。


「……二人とも、仲いいんだね」


「仲がいいっていうか、ジルがつきまとってくるだけだから!」


「えぇー、 幸ちゃんだって実は嫌じゃないくせにツンデレっスね! 女の子につきまとわれるのーとかとか!」


「とかとかって何? てか俺はジルのこと女としては見てないから」


「酷いっス!! 悠冬さんは自分のことどう思うっスか?」


「ぼ、僕は雛乃しか興味ないから」


「うわ、キモ」


 幸は露骨に顔を歪めたが、ジルは驚き、目を見開く。


「一目惚れってやつっスか?」


「うーん、そんな感じなのかな」


 ある意味、一目惚れなのだろうか。あの出来事は。風に舞う黒髪が、頭の中に浮かぶ。


「自分の気持ちなんだから、はっきりしたら?」


 幸に正論を言われ、ぐっと心に突き刺さる。いつのまにか、醜いドス黒い感情は消え失せていた。



「そうだね、あ! 僕、もう寝るね」


「もう寝るの? 早くない?」


「疲れちゃってさ、眠いし」


「おやすみなさいっス」「そっか、おやすみ」


 悠冬は自分の部屋に向かって、とぼとぼと歩きだす。


「幸、しっかり調べるんだ。神木 悠冬について」


「うわ、クロいたの? いたなら話せよ!?」


「楽しそうだったんでな、話を聞くことに専念していた」


「ふーん」


幸は興味なさそうに、そっぽを向いた。


****



「あれ? ……悠冬」


 部屋のドアを開けようとすると、隣の部屋から雛乃が出てきた。


「そっちは空き部屋よ?」


「ここ、僕の部屋になったから」


 雛乃の瞳が大きく開かれる。


「ちょ、それってどういう」


 バタンとドアを閉める。雛乃のキャンキャンという声が、ドア越しに聞こえたが、眠気の方が勝ちにくる。


「眠いから、明日ね〜」


 歯磨きせず、お風呂も入らず、ただ睡魔に負け、目を閉じる。


 ――あぁ、明日は朝からシャワー浴びなきゃな。





 まだ彼女の声が聞こえる。外でジルに怒り散らしているのかな? そんな彼女も愛おしく想うし、凄く可愛い。例え、それが偽物でも僕は愛す。


 君が幸せであればもう、何もいらないんだよ。


 記憶の中の小さい少女は、ただ泣いていた。




 

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