第7話 過去と今
「……っ!」
なぜ、十までじゃないのかとか。そんなツッコミは心の奥底に消えていく。雛乃が可愛いすぎて、どうでもいい。
雛乃がひらりと悠冬の横を通り過ぎていく。一切動かなくなった悠冬を疑問に思いながら、通り過ぎっていった。
衝撃が強く悠冬は動けずに、まるで魔法にかけられたみたいにただ立ち尽くしていた。
「……ぇ! ……ねぇったら! 頭大丈夫? そんなとこに立ち尽くしてさ」
目線の下の方から声が聞こえる。少し、下を向くと猫耳が目についた。猫耳メイドの幸だ。
雛乃が猫耳メイドなら……なんて妄想が頭の中に描かれる。その姿をしてくれるだけで、絶対に忘れることはないだろう。
……絶対に。
「ああ……幸くん。なんであんなに雛乃は可愛いのかな?」
「はぁ!? そんなの知らないよ。
ってか俺、アンタの為に! アンタの部屋を! 案内しなきゃ行けないんだよっ。早くついてきて」
幸は一方的にまくしたてると手を掴み、ズカズカと進み始める。
「ま、待って。夕食の準備とかは?」
雛乃の夕食という言葉を思い出し、とっさに口に出す。
「アンタはやらないし、今日はアンタとお嬢様は別。教えなきゃいけないことがそれなりに、あるし」
「ええー、残念だなー」
「その割には顔が嬉しそうだけど?」
ニヤニヤとしている悠冬を指摘する幸。
「だってさ、その分幸くんと一緒にいられるってことでしょ? 僕は嬉しいよ」
「……」
足を止め、動かなくなった幸を不思議に思い、名前を呼ぶ。
「幸くん?」
「アンタ、そんな性格なんだろうけどさ。……ここでは、そういうのやめておいたほうがいい。ロクな目に合わない」
「……そういうのって?」
「人たらしってこと!! 本当はお嬢様のことで頭がいっぱいのくせにさ」
「えっ、別にいつも雛乃の事を考えてる訳じゃないよ!?」
「ん……いつも?」
いつもという言葉の言い方に、少し違和感を覚えたのか、幸は聞き返す。
「あー、なんでもないよ」
悠冬は口をもごもごとさせた。幸には、悠冬がいつもという言葉を誤魔化そうとしたように見えた。
「ふーん、まあいいけどさ」
幸は、さらに悠冬に対する疑いを強め「しっかりと調べてやろう」と小声で呟いた。
「で、部屋がここ?」
「そうなるね、本当に羨ましい」
案内された場所は、どうやら雛乃の部屋の向かい側らしい。やけに凝ったデザインのドアで、それだけでいくらだろうかと考えただけで恐ろしい。
「こんなに部屋が近いことを雛乃は知ってるの?」
「ジルのお節介で、違う部屋だと思ってるらしいよ。まったくアイツは」
「へぇー! それは雛乃の反応が楽しみだなー」
悠冬は、雛乃が驚きの表情を見せるという想像をして、ニヤニヤが止まらない。
「うわー気持ち悪っ」
その様子を見た幸は、汚物を見たような蔑んだ目をしていた。
「ふふふ……あっ、なんかごめん幸くん! そういえば幸くんって、いつからどうして、この場所で働いてるの?」
自分の世界から帰ってきた悠冬は、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
幸の動作がピタリと止まった。言うか言わないか迷っているのだろう。瞳がユラユラと揺れ動いている。
ふぅ、と息を吐き出し、そして話しだす。
「十四歳からもう二年くらいかな。結構早いもんだなー時間って。んーどうしてか?
俺、学校で虐められててさ。女の子の格好するのが変だって、色んな人に言われた。俺はただ可愛いものが好きなだけで……なのに皆理解してくれなくて。それでプラプラと街歩いてたら、お嬢様に……拾われたんだ」
厳しい視線とは程遠い、優しい声で語ってくれた。昔の辛い過去を。
――だいぶ若そうに見えたから、かなりの事情があると踏んでたけど、これはこれで辛いな。
自分というものを見失いそうなほど、追い詰められた表情の少年に悠冬には、どうしても幸に伝えたいことがあった。
ウザがられてもいい、悠冬はゆっくりと話しだした。
「そんなことがあったんだね。
……でもさ人の価値観はバラバラだよね? ただ人と違うからって言って虐めたり、意地悪したり。そういう人には分からないんだよ! 幸くんの良さをね、馬鹿な奴らだよ。本当に」
ゆっくりとした口調で話す悠冬を見つめているその瞳は、激しく動揺し始める。
「……っ。似たようなことを、お嬢様にも言われた。……ありがとう、鈍感執事野郎」
切ない声でお礼を言い、最後は落とすというこんな時でもブレない幸に、安心しつつ元気な声で言葉を返した。
「ん? え、何そのあだ名は!?」
「フフッ、しーらないよーっだ」
ペロっと舌を出し、ニヤリと笑っている。生意気な笑顔だが、今までで一番のいい笑顔だった。
高そうなドアを丁寧に開け、部屋に入る。
「あれ?」
想像していたものとは違い、大きなベッドがポツンと端っこに置いてあるだけだった。
「家具は?」
「家具は、自分の家から持って来た方がいいんじゃないかって。だってもったいないでしょ?」
「うーん、僕の家から持ってくるもの? とくにないかな。あ! 本と本棚を持ってくよ、それくらいかな」
「ふーん、それだけなんだ」
なぜか、ジトーとした目で見つめられ、居心地が悪い。
「……あと机とか」
小声でもう一つだけ告げた。
「あとタンスとか必要だろ! まったく自分のことなのに」
幸は語尾を強めに言うと、部屋を出て行ってしまう。
「次は、使用人室。早く行くよ」
スタスタを歩き出す幸を、悠冬は慌てて追いかけていった。
――別にタンスとかいらないんだけどなー。
悠冬は自分のことになると、無頓着な性格だった。
使用人室には、ジル、クロが揃っており、二人で紅茶を飲んでいた。
「およー、悠冬ちゃんじゃないっスか! 飲みますー?」
部屋を覗いている悠冬達にジルが声をかけた。
「ジルさん達は休憩ですか?」
「お嬢様方のお食事が終わったからな……二人も飲んだらどうだ?」
さっきと違い、砕けた口調のクロに驚く。
「えっと」
「うん! 飲む。ジルは紅茶だけは入れるの上手いんだよ」
「紅茶だけって! 失礼っスね、まったく」
慣れた手つきのジルにまたまた驚く。
――こういうの苦手そうなイメージだったんだけど、流石だな。
フワリと紅茶の香りが部屋中に、広がる。――柑橘系のいい匂いがしたような気がする。
「なんの紅茶ですか?」
「アールグレイという紅茶っというかフレーバーティーッスね。美味しいくて、後味がとにかく上品なんスよ」
そう言われてしまえば、飲まないわけにはいられない。
カップに口をつけ、たっぷりと心置きなくアールグレイを味わった。
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