第6話 一から千まで

 ペチンッ


 何が起きたか分からず、ポカンとしている悠冬を雛乃は睨みつけた。

 繋いでいる手と反対だからか、思ったより力は入らなかったみたいだ。


 叩かれた頰と心がジリジリと痛みを訴える。

「幸。私、部屋に戻るわ」


「うん、お嬢様」


 繋いでいた手を勢いよく振りほどき、目の前を通り過ぎ、雛乃は部屋の方へと戻っていった。


「完全に怒らせたね、アンタ」


「怒るタイミングが全然、分からなかった」


「馬鹿だね」


「ば、馬鹿って……」


 多分、幸は年下だろう。年下に馬鹿と言われ悔しいんだか、何をすればいいんだか。


「参ったな」


 叩かれた頰は熱を持ち、主張をしてくる。あの温もりをもう一度、感じたいとか考えている時点で、重症だなと苦笑をする。




 リビングに使用人室、キッチンやその他。どれも素晴らしいものだったのだが、密かにショックを受けている悠冬には、一切響いていないのだ。


「大丈夫っスか? 顔色ヤバヤバな感じっスけど!」


「うん、全然平気だよ……えっと」


「あっ! 自分、ジルっていう名前っス。お嬢様とは、仲の良い親友やってるっスよ!!」


「……本当の親友って自分のことを、親友とは言わないんじゃない? 普通はさ」


 ジルの自己紹介に幸がすかさず、ツッコミをする。

「たはー! 相変わらず、幸ちゃんって毒が凄いっスよね……自分もお嬢様と同じ女子だから、まあお嬢様言いたいことは分かるっス」


「僕、何か悪いことしたのかな? 雛乃に嫌われるのは、やっぱり辛くて」


 ピタリと足を止め、不安そうな顔をする悠冬。

 どうして、久しぶりにしても今日会ったばかりの奴の事をここまで思いやれるのかと。幸とジルは思ったが、声に出すことはなかった。


「はあ……なんかもう、見てらんないし」


「幸ちゃん? どうしたっスか、トイレ?」


「お嬢様の所に行って謝ってこいっ! それしかないだろ、馬鹿や……この鈍感執事野郎!?」


「え、幸ちゃん。そのあだ名ちょっと……ヤバ」


 ジルが心配そうに悠冬の様子をうかがおうとするが、どうやら悠冬はその部分を聞いていなかったらしい。

 そしてなぜか幸の罵声に、覚醒した悠冬は一目散に駆け出そうとする。


「雛乃の場所の心辺りは?」


「それくらい自分で……」


「部屋……じゃなくて、肖像画の前で座り込んでるんじゃないんスかね」

 幸の言葉と被さってしまい、幸の怒りを含む視線がジルに突き刺さる。


「ありがとう! 二人ともー」

 二人に手を振り、走り去っていった。


「まじで速いっス」


「……ん」


「なーに、拗ねてんスか! 幸ちゃん可愛いー乙女」


 ジルは、ぷにぷにとしたほっぺに手を当て、撫でまくる。


「乙女って……いや、何度も言うように。……俺、男だから!!」


 幸はジルの手を払い、不機嫌そうに悠冬が走っていった方向を見つめていた。






「つい、叩いてしまった……で、でも仕方ないわよね? だってあんなこと、言うから」


 ムカムカとした気持ちが収まらないのだろう。ため息をつき、同じところをぐるぐると回っている。綺麗な黒髪を荒ぶっていた。


「……ん」


 上を見上げると、肖像画の魔女の瞳に吸い込まれる……ような錯覚を覚え、体が震えだす。


「雛乃……どうしたの!? 震えてるみたいだけど」


「……悠冬。相変わらず、鋭いよね。色々と」


 来てくれて嬉しい、でも今は嫌なタイミングだなと雛乃は複雑な表情を浮かべる。


「私達が騙したのに、その……いきなり叩いて……ごめんなさい。痛かった?」


「ううん、こちらこそ変なこと言ってごめんね。こんなの全然痛くないからっ!」


 悠冬は雛乃を見つめた。雛乃の瞳には涙が浮かんでいたが、悠冬はその事にはあえて触れなかった。


 肖像画の魔女と、雛乃が二人で悠冬の事を見つめている。その事に、気づいた途端に背筋にナイフを突きつけられたような、感覚に襲われる。

 昔の記憶が鮮明に、頭の中に写し出される。

 ――どうして、こんな時に! ああ、制御できないのがひたすら辛い……。



 悠冬の視線が宙に舞い、完全に自分を見ていないことに気がついた雛乃は、階段を降り始め、悠冬の元へと向かう。



「ねぇ、悠冬。話してくれない? 私と悠冬がいつ出会ったのかを。私は覚えてないの」


 コツコツと雛乃の靴の音がやけに響く。


「いいよ……そのかわりに雛乃も話してよ。ほら、さっき言ってた、この魔女の呪いについて」


「ええ……嘘はなしよ。絶対にっ! それじゃあ私から――」


「待ってよ! ここで話すの? なんか見られている感じがするし、せめて違うとこにしよう!?」


 なんだか、魔女の視線がとにかく怖いと感じ、場所を変えることを提案する。


「そう? なら私の部屋で、楽しみながらお話しましょう」


「え、雛乃の部屋で?」


「ええ、私の部屋はすごいわよ。

 悠冬だってさすが、あの如月家のお嬢さんだって思うぐらいにね!」


 その言葉を聞き、悠冬は頭を恥ずかしそうに言った。


「如月家って何をやってる所なのかなーって」


 しばらく間があり

「はぁああ!!?? なんなの……本当に。世間知らずにも程がないかしら?」

 雛乃の大きな悲鳴が上がった。


「え、もしかして常識とかだったの?」


「えっと本当に、知らないの?」


「……ごめん。だから教えてほしいなーなんて」


 ちらちらとこちらをうかがうように、見つめる悠冬に


「もう夕食の時間だから。

明日、教えてあげるわ……一から千まで、みっちりと」


 艶やかな唇に手を当て、雛乃は微笑んだ。










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