05: 芋祭り
シェルの畑で大量発生した小さな
なにも一気に料理しなくてもいいのではないかとイルスは思うが、そもそもの事の始まりは、シュレーが本で読んだという保存食の話で、そのために適した品種の芋の栽培がシェルに依頼され、ちょっとでいいのに調子に乗ったシェルが山ほど苗を植え、今夜の芋祭りへと繋がっている。
収穫時期を逃すと味が落ちるというので、総出で芋掘りをし、総出で皮を剥いている。
もっとも、シェルが剥くと皮が九割で芋がなくなり、スィグルを働かせると、手を動かすより不満を言う口のほうが忙しなくうるさいので、その二人はただ厨房の通り道を塞いで立っているだけで、口より手を動かしているのは、イルスとシュレーだけだった。
あまりにも退屈なので、芋の山と格闘する間、イルスは世間話でもしたかったが、シュレーは膨大な単純作業に酔う
そうして一言も喋らなかったシュレーが、突然小声で歌い出したので、イルスは軽い驚きで芋だらけの視界から目を上げた。
空耳かと思ったが、椅子に軽く腰掛けて、くるくると小振りな芋の皮を剥いているシュレーが、かすかな声で鼻歌を歌っている。
シュレーが歌うのを、いままで聴いたことがなかった。聖堂での祭祀のときでも、神官が聖歌を促したとして、シュレーは面白くもなさそうに黙りこんでいたからだ。そういうことに興味のない性格なのだと思っていた。
なんの歌を歌っているのかと、イルスはしばらく手を止めて耳を澄ましていた。
どうやら聖歌のようだった。イルスには聞き覚えのある曲だった。
頑として歌わないのだから、もしかして音痴なのではないかと勝手に疑っていたが、聴いていると、そうでもなかった。
イルスがそう言おうとしたとき、ふと歌い止んで、シュレーがじろりとこちらを見た。
「手が止まっているぞ、フォルデス」
それに気付いて、現世に帰ってきたというような顔を、シュレーはしていた。よっぽど芋を剥くのが楽しいらしい。
「お前が鼻歌を歌ってたから、珍しくてつい聴いてたんだよ」
イルスは説明したが、どうも言い訳めいた口調になった。シュレーが不機嫌そうな顔をする。
「歌ってなんかいない」
「自分でも気付いてなかっただけだろ」
そういうことはあるものだ。イルスは肩をすくめて、大人しく芋祭りに戻った。
「私には、歌える歌なんかない」
断言して、シュレーは籠から新しい芋を取った。
「聖歌だったぞ。確か天使サフリア・ヴィジュレの」
教えようと、イルスは聖堂で耳慣れたその曲を口ずさんでやった。
シュレーの手の中にあった芋が、皮むきナイフに一刀両断され、その切っ先が白い手に突き刺さるのが見えた。
「うわあ」
誰よりも早く、遠目に見ていたシェルが、素っ頓狂な悲鳴を上げた。イルスは驚きのあまり声も出なかった。
痛くないのか、シュレーはどこか慌てたふうに、手を貫いたナイフを引き抜いた。それを調理台に置いて、シュレーはもう片方の手で傷口を押さえたが、そんなもので出血が止まるような傷ではなかった。
「血が出てます!」
見ればわかることを、シェルが叫んだ。
「私はヴィジュレの賛美歌なんか歌わない」
小さい子供が傷を隠すように、シュレーは真顔で言って、暗いが平然とした顔をしていた。
「君の聞き間違いだ」
そうだと言えという含みのある口調で、シュレーが念押ししてくる。
「聞き間違えじゃないと思うけど……俺の守護天使だから」
その返事にシュレーは一瞬、卒倒しそうな顔をした。彼がなにに衝撃を受けたのか、イルスには全く見当もつかなかった。
「痛くないのか、それ」
「痛い」
シュレーがそう認めると、急に調理場の緊張がほどけ、シェルが粟を食って駆け寄ってくる。
「医務室にいきましょう、手当しないと」
シェルが腕を引くと、シュレーは首を振って拒んだ。
「自分でやる」
「縫わないといけないと思います」
「自分で縫うからいい」
シェルにとっては、その考えは、精神的に耐えられる限界を超えていたらしく、彼はあんぐりと口を開けたまま、返事らしい返事をしなかった。
のろりと遅れて寄ってきたスィグルが、シェルの代わりだという気配で、怪我をしたシュレーの手の前に自分の手を差しだした。
「治せるよ、僕は治癒も使うから」
シュレーの手を赤く染めた出血は、厨房の床に滴り、いくつもの赤く小さい丸を描き出している。差し出された魔導師の手を見下ろして、シュレーは真顔でいた。迷っているようだった。
「……守護天使とは何だ」
大きな息をしながら、シュレーが誰にともなく、そんなことを訊いた。スィグルに傷を見せるつもりがないようだった。
「生まれた日を司る天使が、その人の守護天使です。僕のは天使アズュリエ・カフラ」
シェルが心配そうな青い顔で、静かに説明した。なだめるようなその口調は、シェルが森の中で出会った臆病な生き物に話しかけている時とそっくりだった。
「カフラ?」
「そうです。深い意味はないです、大陸の民の習慣です。誕生日には、守護天使に捧げものをして、加護を願います。それだけです。イルスは天使サフリア・ヴィジュレの司る日に生まれたというだけの話なんです」
「そうか……」
それを聞いて、ほっとしたように、シュレーの声が和らいだ。
まずいことを言ったようだと、イルスは反省した。
「ヴィジュレよりはカフラのほうがましだ」
痛そうな顔をして、シュレーはやっと傷口を押さえていた手を開いてみせた。手のひらに、ナイフが突き抜けた傷がぱっくりと開いている。血は脈に合わせて流れ出ていた。
スィグルがその傷の表と裏を、両手で包んだ。
特段、なにかしている風でもないスィグルの顔を、シュレーは不思議そうに見下ろした。
「君にもいるのか」
恐ろしそうに問いかけるシュレーを、スィグルは首をかしげて見上げている。スィグルにも、守護天使がいるのかと尋ねているのだろう。それは誕生日があるかと聞くのと同じことだ。
「いないよ」
静かにそう答えて、スィグルが両手を開くと、そこから現れたシュレーの手は、怪我をしたのが幻だったように、完全な無傷だった。シュレーはそれを確かめるように、手を開いたり握ったりした。
「治ってる」
「偉大なる魔法種族に敬意を払う言葉はないわけ」
スィグルがふんぞり返るのを見て、シュレーは苦笑した。
「ありがとう、助かった」
「まさに華麗なる奇蹟」
にっこりと微笑して、スィグルは自分でほめ言葉を付け足した。
「それじゃ調理人たちは芋祭りの続きを。不器用な猊下が、またぶすっとやったら呼んで。僕は向こうでさぼってるから」
そしらぬ顔で、スィグルは厨房を出て行った。
シェルが腹でも痛いような顔をして、その場にしゃがみこんだ。なんたが、くたびれたらしかった。
「魔法って疲れるんでしょうか。殿下は、僕の怪我はぜんぜん治してくれないのに。殿下が僕の足をひっかけて、階段から落ちても、それでも治してくれないですよ?」
すねているらしかった。イルスは印象を訂正した。
ぶうぶう言うシェルに、シュレーがなにか言ってやっていた。深手とかすり傷の違いじゃないのかとか、君は怪我が多すぎるからじゃないかとか、そういう、あまり元気の出ない話だった。
それでも、言い含めて宥める役はシュレーのほうで、慰められるのはシェルであるほうが、いつもらしくて良かった。
その逆はいやだ。
「ごめんな」
消沈して、イルスはシュレーに詫びた。
シュレーは案の定、なぜ謝るんだという顔をした。
殺しても死なないような図太いやつだが、いったん崩れると弱く、突いてはならない弱点がある。本人がそれを知らないようなのが、いちばん哀れだった。
祈っても、馬鹿馬鹿しいからと言って、スィグルは自分の誕生日を聖堂で祝いはしない。
守護される必要があるのは、どちらかというと天使のほうだ。
「レイラスには、なぜ守護天使がいないんだ。皆にいるんだろ?」
気を取り直したように、ナイフを洗いながら、シュレーが尋ねてきた。イルスは新しい芋を籠からとった。
「さあ。たまには、いないやつも、いるんじゃないのか」
イルスは、はぐらかした。シュレーは釈然としないようだった。
考えて分からないはずはないのに、この時ばかりの異様な鈍さは、まずい兆候だった。
「なあ、シュレー。これ全部剥くのか? 俺もう飽きたんだけど。残りは明日にして、今日はもう剥いたぶんだけで作ろうぜ」
話をそらすと、シュレーは期待通り、むっとした顔をした。
「君はなんて、根気がないんだ」
「俺の根気はほかの時に使うからいいんだ」
「それはどういう時だ。眠っている時か?」
冗談で言っているわけではないらしいシュレーに、イルスは情けなくなった。よくそんな無遠慮なことが言えるものだ。どこまで舐められているのか。
シュレーにいつものように悪態をつきながら、イルスは考えた。
スィグルの誕生日はいつだったろうか。
この四人でお互いの誕生日を祝い合うことは、後にも先にも、きっと永遠にないのだろう。
シュレーはいつ生まれたのか分からなかったし、スィグルの守護天使はブラン・アムリネスだったからだ。
でも、それでいい。
その代わりに、自分たちには芋祭りがあるじゃないか。
イルスはまだ籠に山盛りになっている、嫌みなほど皮の固い芋を、切ない苦笑とともに見つめた。
END
▼昔なつかしい掲示板を借りてきました。
http://www3.rocketbbs.com/731/teardrop.html
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