02: 素足に触れる 【BL/R15】

 足が痺れて、シュレーは目を覚ました。

 窓の外には、真夏の早暁の光が射し始めている。

 枕に反面を埋めたまま、シュレーは視線だけで、自分の足を見やった。

 亜麻のシーツに包まれた膝の上あたりに、金色の巻き毛をした小さな頭が乗っている。そこから下の感覚がなかった。

「……砂糖は二個までで。二個でいいですって」

 小さくもがきながら、シェル・マイオスは眠っているのが不思議なほど滑舌のいい寝言を言っている。

 眠気でぼんやりした頭のまま、シュレーは枕に目を戻した。自分と羽根枕を分けて、すぐ目の前でイルスが眠っている。体を折り曲げて横たわる彼の胸のあたりに、長い黒髪がつややかな蛇のようにとぐろを巻いていた。

 レイラス、と口の中でつぶやいて、シュレーはどことなく酒精の残っている自分の口元を、手の甲で擦った。スィグル・レイラスは、子供のように背中を丸めて、まだ眠っているようだった。

「そんなに入れたら甘過ぎますから」

 またシェルが、やけにはっきりとした寝言を言った。

 夏の朝は早く、今日も暑くなりそうな気配がした。シーツにこもった湿気で、布地が肌に張り付き、どことなく不愉快だった。

 裸だな、と思いながら、シュレーは自分とイルスの間で眠っているスィグルの生白いうなじを撫でた。練り絹のような、指に吸い付く感触がした。

 昨日で試験が終わり、明日から短い休暇だった。一気に解放された気分だ。

 学生のなかにはトルレッキオを発って、自邸に戻るものもいるらしいが、今この寝台で眠っている連中には、そういったことは無縁だ。休みといっても退屈なばかりで、何もすることがない。

 ここは自分の部屋のようだとシュレーは見当をつけた。

 昨夜なにをしたやら、詳しくは憶えていないが、とにかく服を着て寝ている者はいなかった。自分も含めて。

 体温の籠もった枕がいやで、シュレーはシェルを起こさないように、微かに身じろぎして、まだ冷たい場所を探そうとした。その気配に、イルスが突然目を開いた。

 間近で目が合い、イルスはしばらく無言で、ぼんやりとこちらを見ていた。寝ぼけているのだろうかと、シュレーは思った。イルスの青い目は、どこを見ているのか、いまひとつ分からない表情をしていたからだ。

「……朝か」

 まだ睡魔に後ろ髪を引かれているような掠れ声で、イルスが囁いた。シュレーは頷いた。

 顔を擦ろうとして、イルスは自分の隣で寝ているスィグルに気付いたらしく、何度か目を瞬かせた。そして、ああそうか、という顔をした。

「シェルは?」

「私の足の上にいる」

 教えると、イルスは首を傾けて、それをのぞき見た。

「布団の上にいるだけ、ましか」

 イルスがそう言うと、それに答えるように、シェルがまた何か、砂糖がどうのと寝言を言った。イルスは笑いをこらえている顔を、シュレーに向けた。

 シェル・マイオスは寝言を言うたちだった。眠りが浅いように見えるが、寝言でべらべら喋っていても、いざ起こそうとすると、まるで目を覚まさない。あれはあれで深く眠っているらしかった。

「なんの話なんだ、あれは」

 イルスが面白そうに言う。

「砂糖は二個までらしい。誰かと紅茶でも飲んでいるんだろう」

 シュレーが答えると、イルスは指を上げて、自分の胸にとりついているスィグルの頭を指さしてみせた。夢の中でシェルのカップに砂糖を入れているのはこいつだという意味だろう。スィグルはときどき厭がらせで、シェルの飲み物に山ほど角砂糖を入れる。

「足が痺れてる。片方、感覚がない」

 彼に言っても仕方がなかったが、シュレーはイルスに不満をうったえた。

「今より、シェルの頭をどかした後のほうが大変だな」

 感覚が戻るときの疼痛のことを、イルスは言っているのだろう。シュレーは薄く苦笑した。

 シェルは寝相が悪く、転がってきたら、どんなものでも乗り越えて寝台から落ちていく。落ちずに持ちこたえただけ今日は運がいいらしい。足を枕に眠られたほうは、たまらないが。

「昨日、お前とやったっけ」

 褐色の指が伸びてきて、シュレーの鼻先に触れた。

「さあ、どうだったかな」

 答えずにいると、指は頬を滑り、耳の下を通って、シュレーの首を掴み、力強く引き寄せた。イルスの甘い汗のにおいがして、唇が触れ、それから舌が触れた。

 挟まれて暑いせいか、スィグルが低くうめき声をあげた。それを気にかけて、シュレーが体を退こうとすると、イルスが追ってきた。長い接吻をする癖がある。

 彼が誰かと接吻するのを見ていると、面白かった。貪っているようで。

 やっと濡れた唇を離して、イルスはすぐそばにあったスィグルの頭の匂いを嗅いだ。そこにある黒髪は、汗を含んで重たげだった。

「俺が上」

 スィグルの頭を抱いたまま、イルスが提案した。

「足が痺れて動けない」

 はぐらかすように本当のことを言うと、イルスは薄く笑って答えた。

「俺もこいつが邪魔で動けない」

 抱き寄せられた反射か、まだ眠っているスィグルの白い腕が、イルスの体に絡みついていた。

「残念だったな」

 シュレーが囁いて慰めると、イルスはまた腕を伸ばして、接吻をねだってきた。

 まだ唇が触れないうちに、シェルがきっぱりとした寝言を言った。

「だめです、だめ! もう入れないでください!」

 拳を振り上げて、シェルはごろりと寝返りを打った。膝の上を乗り越えられて、急に血流の戻ったシュレーの足に、猛烈な疼痛が襲ってきた。

 あまりの痛さに、シュレーは顔をしかめて呻いた。その低く押し殺した声を、長い接吻で貪りながら、イルスの舌が笑っていた。裸足の爪先を伸ばして、痺れる足を踏もうとするイルスと、シュレーは争った。

 学棟のほうから、日の出を告げる鐘が鳴りはじめた。

 休暇の第一日目だった。


END

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