137話 『言い方』回

 とにかくその戦場にはさまざまな人生があって、『レイラとユングとの戦い』というものを取り巻いて、いろいろな人や魔が、いろいろなことを思っているようだった。


 軍隊はすっかり戦いをやめてしまって、人も魔も仲良くとはいかないが、とりあえず争うことなく、その戦場で起こっているもっとも大きな戦いをただただ見ていた。


 もはや魔王のもとへ攻め上ろうとしている者は誰もいなかった。


 みんなが『きっと今ごろ、ロザリーか、リッチか、誰かしら強いやつが魔王のもとまでたどり着いて、決戦みたいなことをしているんだろうな』と思っていた。


 そうしたら、もう、それでいいんじゃないかという気分になってしまう。


 ずっと前から、そうだった。


 戦争は『一部の強者』が活躍をして、一般兵たちはその撃ち漏らしの処理ばかりをさせられてきた。

 小さな手柄は上官に横取りにされた。軍部の腐敗がちょっとマシになってきた近年は横取りは起こりにくくなっていたけれど、『功績が適切に評価されやすい環境』が逆に、多くの兵たちに無力感を抱かせてしまった。


 兵士たちは当事者ではあったけれど、同時に、部外者だったのだ。


 今、レイラとユングの戦いを見ているのと同じように、『すごいやつら』を囲んで、その英雄的活躍を見物しているのが、これまでの戦争のほぼすべてだった。


 だからみんな『勝手にしてくれ』という気持ちもあって、もう、戦う意義がわからなくなってしまったのだ。


「ねぇ、君」


 そんなふうに兵士の一人が何者かに声をかけられたころ、戦場には二度目の夜が訪れていた。


 兵士たちは座り込んで、食事も睡眠もとらないまま、ユングとレイラの戦いをずっと見続けていた。


 ユング不利の状況でずっと続いているその戦いは、さすがにそろそろみんな飽きていて、響く剣戟音にも、ほとばしる衝撃にも、ユングの名乗りにも、誰も反応せず、あくびをする者なんかがいた。


 でも、みんながずっと見ていた。


 今も、視線を逸らさないまま、声をかけられた兵士は反応する。


「なんだよ」


「あれは、どういう状況なんだい? レイラと…………ゆ、ゆ、ゆ…………」


「ユング?」


「そう、それ。それが戦っているようなのだけれど」


「どういうって……レイラが暴走したのを、ユングとかいうのが止めようってんで、かかっていってるところだよ。ハッ! よくやるよ。ああして一日じゅう転がされまくってんのに、飽きもせずに挑みかかっていってんだぜ。あんなボロボロになりながらさ」


「それで行軍が止まっていたのか。魔王城でいくら待っていても誰も来ないから、何事かと思ったよ」


「ああ? あんた……」


 兵士が声の方へと振り向く。


 そして、「うげっ」という声をあげた。


 そこにいたのは、ボロのローブをまとった人骨の化け物━━リッチだったからだ。


 兵士はリッチに対する自分の言葉遣いがまずいような気持ちになる。

 だが、正直なところ、リッチというやつの立ち位置はあいまいで、どういう対応をしていいかわからない。


 ここからかしこまって丁寧な言葉遣いを心がけるほどの気力もわかなかったため、兵士はため息をついて、言葉を続けた。


「……魔王、倒したのか?」


「その問いかけに答えるのは、非常に難しいね。まず『倒す』という言葉の定義について議論するところから始める必要があって」


「長い話はかんべんしてくれ。寝てねぇんだよ」


「なんで?」


「……なんでだろうな」


 この場を去ってもいい。帰ってもいい。手柄が残っているかもしれないことに賭けて魔王領方面へ進むのもいいだろう。


 でも、兵士はこの場で、だらだらとユングとレイラの戦いを見ている。


 そこに言語化できるほどの理由はなかったが……


「……まあ、ここまで見たんだから、最後まで見なきゃもったいねぇだろ。寝てるあいだに終わったら、後悔しそうだしな」


「そう? まあ、最近のリッチはそういう感情の機微への配慮も心がけているんだ。これから君たちにはしてほしい仕事があるわけだし、心残りがないようにしてあげよう」


「あ? おい、なにを━━」


 兵士が嫌な気配を感じてリッチを見上げていると、あたりからどよめきが起こった。


 慌ててユングとレイラの戦いの方へ視線を戻せば、そこでは、先ほどまで戦っていた二者が、倒れ込んで動かなくなっていた。


「決着、つけておいたよ」


 兵士は寝不足なのもあって事態の理解にしばらくの時間を必要としたが……


 リッチが『見ただけで人を殺す』という情報を思い出し……

 心残りがないようにしてあげようと発言したことを思い出し……

 その二つがどういう意味を持ってつながる情報なのかを、推測できた。


 ようするに、リッチが二人をまとめて殺したのだ。


「…………おおおおおいい!? なにしてんだテメェ!?」


 事態を理解した兵士は、自分でも意外なほど大きな感情に動かされるまま、立ち上がってリッチのローブの襟首をつかんだ。


 向かい合ってみると意外と小さいリッチは、かわいらしい動作で首をこてんとかしげる。


「リッチはなにかまずいことをしたかな?」


「い、いやっ…………た、戦ってたろ!? 一昼夜と半日かけて! 懸命に! レイラを止めようと戦ってたじゃねぇかよ! そ、それをお前……!」


「うん、だから君らは釘付けになって動けなかったのだろう? リッチは君たちに用事があったので、君らを釘付けにしていたものを終わらせたんだ。これは親切心のつもりだったことは、明に言っておこう」


「それは……! で、でもよぉ……! でもよぉ……! あ、あんまりだろ!?」


 兵士はリッチの襟首をつかんで詰め寄りながら、なんで自分がこんな行動をしてしまっているのか、自分でも理解していなかった。


 ユングのことをバカにしていた。

 レイラに立ち向かわず魔王城に行けば手柄でもあげられただろうに、わざわざここで止まってレイラを止めようとするその世渡りの下手さというか、愚直さというか、立ち回りの下手さというか……そういうのを顎を上げて鼻で笑っていたのだ。

 勝敗にも興味がなかったはずだ。どちらも応援していなかった、つもりだ。


 ただ、なんとなく見ていただけ。

 ……理由もなく、目が離せなかっただけ。


 だから、終わったなら、『あーあ、終わったな』と思って、その場に転がって眠るぐらいが、ちょうどいいぐらいの……


 だというのに、今の自分は、なんだ?


 怒りのような、悔しさのような、もったいなさのような、とにかくまとまりきらない、強い感情が沸き起こっている。


 リッチにつかみかかるだなんて、命をかえりみない、バカみたいな行動をしてしまっている。


「君の言いたいことがよくわからないな。不満があるなら耳をかたむけるぐらいはするけれど、早めに済ませてくれると助かる。先ほどから言っている通り、リッチは君たちに伝えたいことがあってここまで来たんだ」


「……とにかく、気にいらねぇんだよ!」


「…………はぁ。まあ、やっぱり君ぐらいが平均的なんだろうね」


「あァ!?」


「いや。心情の言語化というのは、やってのける人は簡単そうにやってのけるけれど、通常は、こんなふうに振り回されるだけで、言葉にはならないんだよね」


「ケンカ売ってんのか!?」


「いや。感想を述べただけだよ。それで、もういいかい? リッチから君たちに新しい指示を伝えるけど……」


「俺の話は終わってねぇんだよ!」


「じゃあ、『話』をしなよ……君のしていることは、胸ぐらをつかんで、がなり立ててるだけじゃないか……言語、わかるだろう? ゆっくりでいいから、整理してから口を開くんだ。君の意思も尊重しようと思っているので、多少は待つよ」


 最近のリッチはコミュ力がかなり育っているので、『しゃべりまくるタイプのコミュ力不足人たらんちゅ』ではなくなっているが……

 半端に『聞く姿勢』を身につけたことで、発言がいちいちあおりっぽくなってしまい、たいそうムカつく。


 ここで兵士の中にあった『なんだかわからないが、はっきりと定義できない、謎のもやもやした強い感情』は、『リッチへの不満、怒り』というラベルを貼られることになってしまった。


 コミュ力の賜物である。


「テメェ、ちっと強いからって俺らのことをバカにすんのも大概にしろよ!? 俺らはなぁ、テメェの奴隷じゃねぇんだよ!」


「奴隷という概念を知っているのか。だいぶ前に滅んだもののはずだけれど……君、案外、学があるのかな?」


「ぶっ殺すぞ!?」


「いや、だって、こんな絡み方をされたら知能を疑うのは当然だろう? それが案外知識があったので、おどろいたんだよ」


 ここで注意力があれば、リッチが話しながら『そろそろ殺そうかどうしようか』を思案していることに気付けたかもしれない。

 かつて『うるさいから』という理由で大量に人を殺したことがあって、その時のことをリッチなりに反省しているので、かなり我慢しているのだ。


 しかしリッチが口を開くたびに会話相手はどんどん冷静さを失っていくし、周囲にいた兵士たちの発する空気まで剣呑になっていくし、出会い頭に殺して話が通じる相手を引くまで命ガチャをした方がマシまであった。


「まあとにかく、言いたいことを整理できないなら、あとでまた聞くから、今はリッチからの伝令を聞いて、それに従っておくれよ」


「テメェの指示になんか従うかよ!」


「いや、これはリッチの指示ではなくて……リッチは『伝令』なんだって述べたと思うのだけれど、話、聞いてなかったのかい?」


「従わなかったらどうだってんだ!? 俺を殺すか!?」


「いや、現状、君が生きている事実を鑑みてもらえばわかるけれど、リッチは殺害という手段をかなり強い自制心で控えているところで━━」


「殺すんなら殺せよ! 俺らはなんの力もねぇその他大勢の一般兵だけどよぉ……それでもなぁ! 命より大事なもんぐらいあるんだよ! 人を小馬鹿にして見下して! 横からしゃしゃり出て来て俺らのために戦ってたやつを殺して! そんなやつに従うなんぞ、死んだってごめんだ!」


 あたりの兵士たちから「そうだそうだ!」という声があがる。


 その声は次第に広がり、乗せられやすい巨人やドラゴンまで巻き込んで、リッチを見えない位置にいる兵士たちまでも巻き込み、大きな大きな波となっていった。


「君は二つ、勘違いをしているようだ。まず一つ━━」


「うるせぇ!」


 兵士はリッチに殴りかかった。


 その拳はリッチの頭蓋骨にぶちあたり、にぶい音を立てる。


 そう、砕けたのだ、骨が。

 兵士の拳の骨が……


「ぐああああ!」


「ん? おかしいな。リッチの体は物理無効だから、反作用もないはずなのだけれど……」


 リッチが考察に入る。


 そのあいだに、現象を見ていた兵士が、つぶやく。


「リッチが歯向かったやつの拳を潰した……」


「えぇ……? なにを見ていたらそんな結論になるんだ……?」


「死霊術師が逆らったやつを痛めつけた……」「魔王を倒したら次は人類……ってコト!?」「俺ら全員を殺すつもりなのか!?」「くそ! 命をなんだと思ってるんだ! ぶっ殺してやる!」「死霊術師狩りだ!」「リッチを許すな!」


 乾いた草地に火を放つがごとく、『なにか』が広がっていく。


「誰か、冷静に状況を理解できる者、いないのかい?」


 問いかけはざわめきの前に消えて、敵意に満ちた視線がリッチに集まっていった。

 リッチには人の感情の機微がわからない。だが、敵意だの怒りだのというマイナス感情が自分に集まるのには人一倍敏感であった。


「……ああ、これはもう、どうにもならないな。よし、殺すか」


 リッチはここから自分ができることはなにもないと結論づけて、敵意へ対処することにした。


 なんていうか、人類は、愚か。

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