136話 モブのままの男回
ここは『前線』の中央にほど近い場所だ。
人々も魔も、立ち尽くしたまま、一つの方向へと視線を向けていた。
そこでは、激しい剣戟音が響き続けている。
夕暮れ時に響き始めたその音は、夜を越え、朝を迎え、そうして真昼の輝きが中天に差し掛かってなお、終わる気配もなく戦場一帯に響きに響いている。
二人の人族が、戦っているのだ。
片方は巨大な巨大な剣を振り回す、小柄な獣人女性だ。
その女性の強さというか、脅威というか、そういうものを、人々はよく知っていた。
その名も高き『勇者パーティー』が一人。
『巨人殺し』の二つ名から想像するにはあまりに小柄な、子供のように小さく、細身の、黄金の毛並みの獣人だ。
激動の時代の中で常にわけのわからない行動をして世間を騒がせ続けた彼女は、あまりに行動の脈絡が人の理解の外すぎて、だいたいのエピソードが『嘘』だと思われていた。
しかし、このたびの戦場での暴走を見た兵士たちは、彼女を取り巻く数多の噂話のほとんど……あるいはすべてが真実だろうと確信することになる。
なぜって、人と魔との最終決戦だというのに、彼女は人にも魔にも味方することなく、『全員倒せばいい』などと言い出し、事実、そのように行動を始めたのだから。
戦士レイラ。
時間の経過とともにもはや伝説視され始めた『勇者パーティー』において、中央の戦線で戦い続けた狂獣は、その本能的すぎて他者に理解できない行動原理によって、ついに世界のすべてに牙を剥いたのだ。
巨人もドラゴンも兵士も関係なく、身の丈の十倍はある剣と、もう片方の手に握った哀れな巨人を振り回し、すべてを薙ぎ払う人型の竜巻。
ちりんちりんとしっぽにつけた鈴が鳴り響くたび人々はその音に怯え、あの広大な間合いの内側に己が入っていないかを確認せざるをえなかった。
おおよそ人では……魔でさえも、立ち向かうことが愚かと思える暴力の化身。
それに立ち向かう男が、ただ一人。
その男の名を知る者はさほど多くなかったが、今ではもう、その男の戦う姿を見るすべての者が、名を知っていた。
なぜってその男は、いちいち名乗るから。
「我が名はユング! 新勇者パーティー……否! 女王陛下の槍にして、新しき勇者である!」
名乗りのたびにハゲ頭が輝き、槍にも光がほとばしった。
その槍はレイラのふるう巨大剣とぶつかり、すさまじい音と衝撃を撒き散らし、しかし決して折れも曲がりもしなかった。
奇跡、なのだった。
レイラの持つ巨大剣は鎧をまとった兵士たちをまとめて薙ぎ払い、鎧をひしゃげさせ、たたき折る威力を持っていた。
いかな名工の作り上げた槍であろうが、これとまともに打ち合って無事に済むとは思われない。
まして夕暮れ時から昼日中までずっと打ち合い続けて、穂先にヒビの一つもないというのは、戦闘に疎い者が見ても奇跡だと断じるだろう。
では奇跡を体現しているハゲ頭の神官はといえば、こちらは大変、傷ついていた。
一合打ち合うたびに神官服が衝撃にはためき、破れていく。
骨は軋み、筋肉は悲鳴をあげていた。
全身を激痛と疲労が襲い、足にはふらつきが見えた。
それでも戦い続けるその男を見て、人々は……
「わかんねぇんだよな」
すっかり腰を下ろして観戦に入っている兵士の一人が、脱いだ兜を手持ちぶさたそうに叩きながら、言う。
「あいつはなんで、あんなに一生懸命に戦ってんだ?」
自分たちが暴走レイラのそばにいて、こうしてのんびりしていられるのは、ユングが戦い、レイラを引きつけているからだ、というのはわかる。
あの男はこのあたりの兵士たちを守るために戦っているのだというのは、さっきから名乗りに交えてユング自身が語っているので、それも、わかる。
レイラを放置すればどこまでも破壊のかぎりを尽くしそうで、それはそのうち非戦闘民たちのいる場所にまで波及しそうだから、ここで止めなきゃならないという理屈も、まあ、わかる。
が、『それがどうした?』というのが、ここに集まってのんびり観戦している者たちの、だいたいの感想なのだった。
観戦している兵たちは、『その他大勢』だ。
時代のきらびやかなところには『聖女ロザリー』『戦士レイラ』『勇者アルフォンス』などの名前が
ましてこれら『伝説』に挑み、立ち向かおうなどと……そんなもの、たとえ自分にユングぐらいの力があったってごめんだ。
兵は、たいていが、兵になるしかなかった者だ。
死にたくない。痛い思いも嫌だ。
戦争の中でほどほどに戦って、給金をもらって生活する……それ以上のモチベーションを持つ者は多くないし……
情熱を持つ者は、あるいは突出しすぎて死に、もしくは『伝説』の連中との実力差を思い知らされて心を折られた。
今ではマシになったが、軍部腐敗がひどかった時代などは、どのような活躍をしようが手柄をすべて貴族とつながりのある上官に横取りされたりして、そういった『社会』の中でモチベーションをすり減らされていく者もあった。
「さっさと逃げればいいのに」
兵士の誰かが言った。
すると、そばにいたドラゴン族が、疑問を投げかける。
「じゃア、オマエは?」
逃げればいいと言いながら、座り込んでじっとユングとレイラの戦いを見続ける姿はいかにも矛盾していた。
兵士はユングとレイラの戦いから視線を逸らさないまま、答えた。
「……なんでだろう」
「そもそモ、なんデ、ココにいル?」
大侵攻、なのだった。
人族の存亡を賭けた戦い━━と言ってしまっていいだろう。
女王の号令のもと、これまでの『戦争』とはまったく違う戦い……相手側の領土に攻め入って、相手の本丸を落とそうという戦いに参加した。
女王は強制的な徴兵をしない。
号令に応じたのは、応じる者の意思があったからだ。
けれど……
「……先輩が参加するっていうから、なんとなく」
人の意思は時として個人の意思ではなく、その者が属する集団の意思にとってかわられる。
縁故というやつだ。
人の中で生きていればどうしても『機嫌を損ねたくない相手』や『どうしても断りにくい空気』、あるいは『ノっておかないとその後社会の中に自分の居場所がなくなりそうな雰囲気』などの中に身を置くことがある。
そういったものはたいてい『個人の意思』よりも強い力で人の行動を決定づけてしまう。
その結果として命を賭ける羽目になるとわかっていても行動を決めてしまうぐらい、強い強い力なのだ。
そうして実際に命や人生が失われる局面に立たされて初めて、『ああ、こんなのに参加するんじゃなかった』と思う。そういうことは、悲しいほど、よくある。
人は検討と理解と納得の上で行動を決定できない。
それより重大なものが、どうしようもない状況に自分をおいやる。
そうして死ぬ羽目になって、納得できずに死んでいく。
自分の行動の責任をとれるのは自分自身だということは社会の中でしばしば忘れられ、責任をとってもくれない『誰か』の発する空気に乗っかるまま、検討さえせず人生を賭けてしまうことが、あまりにも多い。
そういうもの、なのだった。
だから大侵攻に参加した兵士の中で、本当の意味で『自分の意思』というものを理由にこの戦いに身を投じた者が、どれほどいるだろうか?
その割合は絶対に十割ではないし、あるいは五割、三割にも及ばないかもしれない。
石を投げれば『なんとなく参加した者』に当たる。
だからこそ、兵士は理解ができないのだ。
「あいつ、レイラほどじゃないけど、あんなに強いじゃねぇか。そしたらさ、世間? とか? 社会? とか? そんなモン無視して、好きに生きていけるじゃん。なのになんで、こんな、俺たちを守るためみたいに戦ってんだ?」
理解ができない。意味がわからない。不合理だ。なにかがおかしい。
「バカじゃねぇの?」
だから、愚かなのだろう。
検討する価値もない、ただのバカなのだろう。
「だってさ、『おいしい』のはさっさと魔族の領地に行って、魔王の首をとる役割だろ? ああ、マジで、そんなのさえ思いつかないほどバカなのか。ハッ! どんだけ力があっても、頭が悪けりゃ意味ねぇよな。俺さえがちょっと考えりゃ思いつくようなことも、思いつけないんだから」
「嬉しそうダナ」
「ああ? どういう意味だよ爬虫類女」
「命懸けで戦っていル人をバカと言うのハ、楽しいのカ?」
それは責めるような口調ではなく、本当に『わからないことを聞いた』というだけの調子で、兵士は急に恥ずかしくなって、舌打ちをした。
ドラゴン族は思いつくままにという様子で、さらに疑問を口にする。
「オマエ、バカなのか、賢イのカ、どっちダ?」
「ああ!? さっきからなんなんだてめぇはよ!」
「バカなら、ああしテ戦っているハゲは、オマエが考えつかないコトを、考えついていルのかモ知れナイだろウ? 『俺なんかにも』トカ言いながラ、相手をバカにするのハ、どういう気持ちなんダ?」
「……うるせぇんだよてめぇ!」
「長い話を、理解できないのカ? レイラか?」
「さっきからなんなんだ!?」
「人族、怒りっぽいナ。リッチサマなら答えてくれるゾ」
「に、人間様の頭はなぁ! 骨の化け物や爬虫類みてぇにスカスカじゃねぇんだよ!」
「ソレ、リッチサマの前でも言えるカ?」
「なんなんだよさっきから!」
「この『わけのわからなさ』ガ、レイラに嫌われてル理由なのか、と理解しタ」
「爬虫類にレイラのことがわかんのか!?」
「ワタシは、レイラだったコトがあル」
ドラゴン族の少女はまっすぐに、ユングとレイラのほうを指差し、
「あっちは、好きダ。それで」
指差し先を兵士へ変え、
「オマエ、嫌い」
「……っ、ぐ……!」
爬虫類女に嫌われたからなんだというのか?
しょせんは魔族のクソどもじゃないか。こんな連中に好かれようと思わないし、むしろ、好かれた方が迷惑だ。
レイラとユングとかいう化け物を好きで、自分のことは嫌い? ああ、結構! 自分は『人』だ。化け物や魔族に『人』のことなんか理解できるはずがない!
……言い返したくてたまらない。
でも、自分が語るあらゆる言葉が、相手に届く気がしない。
さっきから頭の中に、どうにかあいつらをバカにしてやろうという意思ばっかりが空回る。
さっさとこんな場所から立ち去って、魔王領へ向かうなり、人族領に帰るなりすればいい。どこだって、レイラがすぐ目の前で暴れ回っているこの場所よりは安全なはずだ。
でも、目を逸らせない。
動けない。
「クソがよ……!」
言いまかされてなんかいない。
そもそも議論さえしていない。
質問されてそれに答え、嫌いと言われた、ただそれだけ。
なのに━━なんだかよくわからない、敗北感があって。
「クソが……!」
いらだちまぎれに、手に持っていた兜を地面に叩きつける。
悪態をつきながら、兵士は戦いを見つめ続ける。
「……強さがあれば、俺だって、こんな……」
ぼやくけれど、なにに対してのぼやきなのかもわからない。
『こんな』の先には言葉がなかった。
そこで止まるしかないのが、彼の人生なのだった。
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