133話 ほうれんそう回
「というわけで、すべて終わったんだ」
「いや、なんにも終わってないのよ。むしろここからなんだけど」
人族軍全体で行われている魔王城到着レースの結果、一位二位はほぼ同着でリッチとロザリーだった。
そして魔王とのあれこれが終わったあと、三位と四位が到着した。
女王ランツァと新世代のバーサーカー、ジルベルダだ。
他の人族は今、まだ前線あたりで魔王軍と戦っているらしい。
ランツァはアンデッドたちとの裏取引があったので、戦わずに南の前線を抜けた……と想定されていたのだが…………
「アンデッドは裏取引を覚えていなかったわ」
そう、アンデッドの脳は、腐っているか、透けているか、存在しないのだ。
将軍のアリスならともかくとして、他のアンデッドたちに『敵は通さない。一部は通す』なんていう難しいことはできない。
「え、じゃあ、戦ったのかい?」
アンデッドの身を案じての発言というよりは、『戦ったにしては早いな』というおどろきが口からこぼれただけだった。
しかしランツァは首を左右に振って、
「顔パス」
「顔パスとは」
「こっちにいたころにアンデッドたちと遊んだりしてたから、わたしの顔を覚えてたみたいで、それで。だからクリムゾンとかがあとから来るなら、ちょっと危ないと思う」
リッチ研究室のメンバーは基本的に研究室に引きこもりで、魔族たちとコミュニケーションを密にしていたわけではない。
ランツァはあちこちを回って色々な人に声をかけたり、食事をしたり遊んだりして、魔王領でも顔が広いが……
クリムゾンはそういうことをせずずっと研究室と獣人居住区を往復していただけなので、魔族がわも顔を覚えていない可能性が高いのだった。コミュ力。
「で、どういう状況なの?」
ランツァがひそひそとリッチに問いかけつつ、肩越しに後ろの方を親指でさした。
ここは魔王城謁見の間である。
ランツァがさしたあたりには玉座前の無駄に広大な空間がある。
そこで、ロザリーと魔王が一緒に筋トレをしているのだ。
新しく合流したジルベルダも、ランツァに『ちょっとあそこで一緒に
仮想敵の本拠地で唐突に始まったブートキャンプはいつしか熱を帯び、ロザリーの掛け声のもと筋トレは何周目かのプログラムに入っている。
『ここがどこであろうが、そこで筋トレをしたならば、昼神教の神殿です』と言わんばかりの熱の入りようであった。
ロザリーの熱につられてジルベルダも激しく筋トレしていて、魔王は苦笑いしている。
「ランツァは状況もわからずにじ、じ、じ……ジルベルダをあそこに混ぜたの?」
「いいのよ、アレがどうなろうと」
ランツァは基本的に人に対して優しいのだけれど、ジルベルダに対してだけあからさまに対応が塩だった。
ここでクリムゾンあたりなら『なんでそんなに嫌ってるの?』と問いかけただろうが、リッチは人と人の関係にはやっぱりさほど興味がないので、「ふぅん」で終わる。
「というか状況については一発目に説明したと思うんだけど……魔王と和解したし、魔王は魔族におどされて傀儡君主にされていたことにしたし、昼神教ということにしたんだよ。さもないとロザリーが殴りかかるからね」
「ねぇリッチ、わたしがなんで怒ってるか、わかる?」
「怒っているのかい?」
「……いえ。嘘。嘘です。嘘をつきました。怒ってません。胸の中にある感情が未体験のものすぎて、どう説明していいかわからないから、一番似てる『怒り』ということにしました」
「つまり、なに?」
「……わたしたちは、ここからどうすればいいの?」
「…………どうする、とは?」
「今後の身の振り方の話」
実は今回の人族軍による大侵攻は、開始から経過、終了、そして終了後の対応にいたるまで、あらゆる可能性を想定した綿密なプランが立てられていたのだ。
『リッチを計画に組み込む時のヤバさ』を知っていたランツァは、それはもう可能な限りの可能性を模索し、できうる限りに対応しようと事前準備を行った。
今回の列を乱しての人族大運動会障害物競走も実のところ想定はされていた。
まあ、列を乱しての徒競走状態に入るきっかけが『ランツァがキレたから』になるというのは想定外ではあったが……
ともかく、対応はできるはずだった。ここからでも。
ところが、だ。
「あのね、リッチ、よく聞いて」
「君の話にかんしては、たいてい傾聴してると思うけれど……」
「わたしの立てたプランのすべてで……魔王が死んでる想定だったの」
「……」
「少なくとも、玉座にいるアレは確実に消えてて、あとは世界中に残った魔王をしらみつぶしにしていくだけで済む……つまりね、魔族の支配者を殺したという事実は、あるはずだったのね」
「ふむ」
「どのルートでも決着は『魔王の代わりにわたしが魔族の玉座におさまる』という落とし所を想定していたのね。まあ、紆余曲折あるだろうし、『新魔王』と呼称して違和感のない状態になるとも思っていなかったけど……とにかく、魔王はいなくなっていたはずなの」
「なるほど」
「ところがね…………してるの。魔王。そこで。筋トレ」
「そうだね」
「この先の身の振り方がノープランです。どうしましょう」
「なにか疲れてるね? 大丈夫かい?」
「よし、みんな殺すわ」
「落ち着きなよ」
ランツァが杖をロザリーたちの方向へ向けようとするので、リッチは止めた。
「ねぇ、ランツァ。どうしたんだい? そんな気まぐれに人を殺そうとするだなんて……」
「……色々なことを考えて、さまざまな準備をしたわ。いつ、どのような状況でも、思考放棄をしてはいけないと……そう、思って、ここまで来たの」
それは彼女がかつて傀儡君主だった経験から見出した生き方だった。
血筋があり、権力の座がある。
その座にかける者が思考を放棄しては、政治が腐敗する。その有様をランツァは幼いころからさんざん見せられてきたのだ。
だから、君主は思考を放棄してはならない。
特にランツァのような、独裁的に強権を発揮できないタイプの君主は、政治を司る者たちに理を説けないとならない。
だから、考えた。行動を考え、その理由を整理し言語化し、メリット・デメリットをきっちり精査して、それらを『さも、大臣ら特権階級にとって得のあるものであるかのように』語れるよう、準備をした。
為政者は思考放棄をしてはならない。
直感が思考より正しいことはあるだろう。
だが、王には政策を行う時に『説明し、誤解でもいいから理解したと思わせるだけの配慮』が必要だと……ランツァはそう信じてきたのだ。
そのためには思考放棄ができないし……
『考え続けること』が『生きていくこと』だと、そう思ってきたのかもしれない。
「でも、さすがにもうくじけるわ。くじけました。はい」
今のランツァの表情は笑顔なのだが、発言は泣いていて、声音は怒っていた。
複雑な感情すぎてリッチにはよくわからず、どこか遠くに焦点をおいたような碧眼を見つめることしかできなかった。
「リッチ、あなたを殺してわたしも死のうと思うけど、どうかしら」
「いや、その……ごめんよ。なにかリッチが悪いことをしたんだろう? 君にはまだ長い人生があるわけだし、あまりやけになるのはよくない。命はね……大事、なんだよ」
「……実際のところ、どうしたらいいのかしら。魔王は倒れないから『人と魔の戦争は終わりました』という喧伝もできないし、わたしたちが今後も生きて研究していくとするなら場所も立場もないし、新しい女王に立てるはずだった『ランツァを打倒した者』予定のジルベルダはなぜかわたしに超懐いてるし」
話を聞いていたリッチは、ランツァの計画がめちゃくちゃになった理由に共通するものに気付いた。
「もしかしてランツァ、人の心がわからないのかい?」
「キレそ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!」
「ええ!? なぜ!?」
「まあ、まあ。まあまあまあ。まあまあまあまあ。……とりあえず解説を聞きましょうか。なんでそう思ったのかしら?」
「いや、ランツァの計画がめちゃくちゃになる時、だいたい、計画に組み込んでいた重要な立ち位置の人物が心変わりしているように思えたんだよ」
「そうね!!!!! リッチとか!!!!! リッチとか!!!!! あと! リッチとか!!!!!!!」
「リッチ、めちゃくちゃ重要な立ち位置にいたのか」
「自覚ないの!? 説明もしたと思うんだけれど!?」
「いや、その……リッチを立ててそういう感じにしてくれているのかと思っていたんだよ」
人とのコミュニケーションは複雑怪奇で、そのなんとも言い難い、常につきまとう『なにかを秘める感じ』とでも言いましょうか、ある種の後ろ暗さみたいなものに、リッチはいつでも苦しめられてきたのです。
同意しているようで同意しておらず、賛同しているようで賛同しておらず、気分を害した時ほどむしろ気分を害した相手を褒めたり、一言で済むような話にいくつもいくつも遠回りをして、さまざまな装飾をつけたり、そういう『分厚い薄紙』みたいなものが、人と人との関係にはいつも挟まるのでした。
この『薄紙』は、本来相手に贈るべき中身の色合いをすっかり変えてしまい、さらにその厚さから、中身の本来のかたちさえも、外からうかがえなくしてしまうのです。
リッチはいわゆるコミュ力の高い人ほど、この『薄紙』の扱いがうまく、『これ』で包んだものの形状も、色合いも、においも、感触も、上手に覆い隠してしまえるものと、そう、人の社会で学習してきました。
そうしているうちに、リッチに生まれたのは、『薄紙』で言葉を包み隠した人の表情や声音からその内容を推察する技術━━では、ないのです。
妄想。
自分を常に『重要ではないもの』に置くことで、『きっと期待はされてないに違いない』と最初からあきらめ、『薄紙』の上に映る賞賛だったり、価値を認める言葉だったり、そういうポジティブな感じを、すべて嘘であるとする、そういう処世術なのでした。
期待をしない、ということ。
常に自分を過小評価し続ける、ということ。
そうすれば、思い上がって、後ろ指をさされたり、聞こえよがしに嘲笑されたり、そういうことは、起こらなくなる。
リッチが人の社会で学び、今や骨髄にまで達してしまって、誰かの発言を受け止める時には無意識に判断にバイアスをかける、そういうものが、あったのです。
「というわけで、リッチは実のところ、自分がさほど重要な立ち位置にいるというふうには思っていなかったんだよ」
「リッチ、あなたが『社会』というものにつけられた傷の深さについて、わたしは見誤っていたようです。たしかにわたしは人の心がわからないのかもしれない……でも、聞いて」
「なんだい」
「客観性」
「うん?」
「『世界に唯一の死霊術伝道師』『不死の肉体を持ち』『魔王軍の首脳にも顔がつながっていて』『人族の権力者とも個人的知り合いで』『かつての勇者パーティーであり』『現状、人族の王国の実質的独裁者で』『レイラやロザリーといった相手を一対一で戦って殺すことができる』」
「すごいやつもいたもんだね」
「あなたのことです」
「そういやそうだね」
「リッチ……」
ランツァが杖を落とし、両手でリッチのマントの襟首をつかんだ。
ランツァもここ数年ででかくなったが、それでもまだリッチの方が身長があるようだった。
だから、うつむいてしまったランツァの顔は見えなくて、リッチは王冠の乗った金髪の、つむじあたりに着目する。
「なんだい、ランツァ」
「あなたは、あなたの価値を認めていいのよ」
「……価値」
「っていうか……価値を自覚してもらわないと、すごく……迷惑です……」
「ごめんよ」
「さすがにそこまでのネガティブを想定できなかったのはしょうがないと思うのね。……でも、人の心がわからないのはいいけど、あなたの心がわからなかったのは、ごめんなさい」
「いや、ランツァが謝罪する理由は本当にないと思うけど」
「腐敗した人族の政治と、昼神教という思想……かつて傀儡だった時代とはいえ、その頂点にいたのは、わたしなの」
「だから?」
「あなたのそういう、ネガティブなところは、社会が悪いと思うのよね。そうして、社会とはわたしのことです」
「……すごい。女王しか言えないやつだ」
私は社会である。
なかなか言えない。言ったところでこうまで『……そうだね』と思えるのは、マジの女王だけだろう。
「リッチ、わたしが悪いのは認めるのよ。あなたの心に寄り添いたかったのも本当。でも、あなたもだいぶ反省して」
「はい……」
「そして、これから、あなたに対する言葉は……というか、今までもだけれど……なにも、嘘だの、気遣いだの、遠慮だの、心にもない賞賛だの、そういうのを入れないと約束するわ。褒められたら喜びなさい。重要だと言われたら胸を張りなさい」
「難しいね……」
「でも、やって」
「まあ努力はしよう。……しかし、『これから』どうするんだい? リッチはぶっちゃけなにも思いついてないし、現状がどれだけヤバいかも全然わかってないよ」
「もう勢いでいきましょう」
「君がいいならそれで」
「リッチ、あなたに重要な役割を課します。なので、思いつきで変わったことをしたりしない。ちょっとでも指示にないことをしようとしたら聞いて。報告、連絡、相談を徹底していきます」
「報告、連絡、相談? それはいったい……?」
「つまり、会話です」
「会話……」
そこでランツァはようやく、顔を上げた。
そしてリッチの首を絞めるように、つかんでいたマントの襟首に力を入れて、
「話し合いましょう、リッチ。大事なことも、どうでもいいことも、全部。わたしはあなたとじっくり話したい。あなたは、どう?」
リッチは天井をあおいでちょっと考慮して、答える。
「まあ、相手が君なら、やぶさかではないね」
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