132話 過去と現在と神と人と魔と命回

 降霊術は成功したが、リッチの目的は失敗だった。


 初代リッチの魂を呼び出し、それは会話の中で、たしかに魔王も知る『初代のリッチである』という確信が持てたらしい。


 つまり、魔王の提唱していた『転生説』は否定された。


 ……それは『少なくとも、今、ここにいるリッチが初代リッチの生まれ変わりではない』という程度の話でしかない、はずだ。


 この実験により判明するのは『たまたま現在リッチが過去リッチの転生体ではなかった』というだけのことで……

『過去リッチ以外の誰かの転生体かもしれない』『現在リッチが転生していないだけで、この世の中には転生した人もいるのかもしれない』などの可能性は残る。


 だが、魔王は、もう、いいようだった。


 ……そして今回の実験で非常に惜しまれるのは『過去リッチと対話する』というリッチの目的が叶わなかったことだ。


 過去リッチは魔王との話に夢中で、現在リッチのことをまったくかえりみなかった。


 しかも彼らの会話には学術的になんら資するところがなく、はたで聞いていても、ケンカのような、睦み合いのような、なんとも言い難い、ただただ距離感の近さだけが伝わってくる、そういう『他人ののろけ話』でしかなかったのだった。


 そうしているうちに時間切れとなった。


 ようするに、現在リッチが過去リッチの魂を地上に留め置けなくなってしまったのだ。


 過去リッチの魂は浮遊感を取り戻してはるかはるかソラへと消え、魔王城謁見の間には、現在リッチ、魔王、そして暇さが規定値を超えたために筋トレを始めてしまったロザリーだけが残される。


「すいません、ちょっと解説いいですか」


 ロザリーが腹筋運動状態から跳ね起きて直立し、挙手する。


 リッチは「はい、どうぞ」とロザリーを指して、


「今、なにがどうなっているんですか? 魔王退治はどうなったのですか? そして、そこの人はどなたですか?」


「君、それだけ疑問があって、よく今まで我慢できたね……」


 なんにもわかってないじゃん。


 というより、頭を使えばそこにいる褐色肌白髪の少女が魔王か、それに近しい存在だろうなというのは予想できるはずだ。

 しかしロザリーは頭を使わないので予想できなかったのかもしれない━━リッチはそんなふうに思ったのだが、


「彼女が魔王ということで合っていますか?」


「彼女、どう見ても人族だけど?」


 これは魔王をロザリーの魔手から救おうという助け舟というよりは、ロザリーがなにを根拠に魔王を魔王としたのかわからなかったため、純粋に疑問が口からこぼれた、という程度のものだった。


 ロザリーはため息をつき、


「まったく……あなたは本当に、わたくしをなんだと思っているのですか?」


「最近の君には幼児並みの論理的思考が芽生えつつあるのを認めているよ」


「短く言うと?」


「リッチは端的にまとめるのが苦手なんだ」


 正確には、『相手の機嫌を損ねないような表現にまとめるのが苦手』という感じだが、リッチは育っているので、正確性より大切なものが日常会話にあることを学んでいた。


 ロザリーもロザリーでリッチの発言の裏にあるものに見当をつけた様子ではあったが、ため息一つ、会話を続けるという選択をした。


「よろしいですか? わたくしは、ここを魔王城だと言われておとずれました」


「そうだね」


「そして、この部屋の構造は、我ら人族の王城、謁見の間に酷似しています」


「そう?」


「椅子がありますから」


『あなたのリビングを謁見の間に』という広告文が浮かんだ。


 リッチは黙って続きを促す。


 ロザリーはちょっとドヤ顔をする。


「そして……謁見の間で椅子に座っているのは、王です。つまり、その少女は魔族領地で王をしている者……すなわち魔王だと推理できます」


「見事な推理だよ神官さん」


「ご清聴ありがとうございます。それで、そろそろ話も終わったようなので、殴ってたしかめようという段階ですが、まだなにかありますか?」


 リッチは魔王へと視線を向けた。


 魔王は肩をすくめて、ため息をついた。


 逃げもしない。隠れもしない。抵抗のそぶりもない。

 殴りかかってくるならそれはそれで━━そんな雰囲気だ。


 生に満足して、もはや思い残すことはないと、そういう、雰囲気なのだった。


 だからリッチは、ロザリーに向き直って、こう述べた。


「彼女は魔族に脅されて傀儡の王にされていた昼神教徒だよ」


「はあ!?」


 おどろきの声は魔王からだった。


 なにせ魔王はリッチが自分に殺意を抱いていることを知っていたものだから、それがロザリーの魔手から自分を救うようなことを言い出した意味がわからなかったのだ。


 なので、魔王はリッチの肩に手を置いて、「タイム」と言いながらロザリーに背を向け、内緒話を開始した。


「ちょいちょいちょいちょーい。なに? なんでそうなんの? ここはほら、『魔王を倒して世界は平和になりました』ってとこでしょ? それともアレか? 性別がメスなら生かしておく、みたいな?」


「いや、君の性別に関心はないよ」


「じゃ、なんでよ。あたしのこと殺そうとしてたっしょ? いやまあ、殴られた程度じゃ死なないけどさあ」


「君こそ論理的思考能力を失っていないかな? リッチが君に殺意を抱いた理由を覚えていない?」


「…………『転生説』?」


「そう。そして君は、『それ』を捨てた。なら、リッチにとって君はもう、『稀有な生き物』なんだよ。ロザリーしかり、レイラしかり、稀有な生き物は保護すべきだ。違うかい?」


「いやでも、あたしを納得させた上で殺そうとしてたんじゃねーの?」


「あのね、君は、人が『納得』なんてすると思う?」


 リッチにとってあまりにも大前提すぎていちいち語らないことではあるが……

 人は、他者に『納得』させられ、自説を放棄したり、修正したりということが、まず、ない。


 あまりにも明確な証拠を突きつけられてひるみ、一瞬だけ自説を引っ込めざるを得ない状況に立たされることはありうるだろう。

 しかし、絶対に、納得はしない。


 ……これまで『言い負かす』しかコミュニケーションをとってこなかったリッチは、一度『言い負かした』はずの相手が、後日になって全然『負け』を認めておらず、むしろ『一時的にだんまりを決め込んで、報復の機会を狙っていた』という状況にばかり遭遇してきた。


 人を教化するということは不可能であり、もしも自分の思想や理論を他者に認めさせたいならば、それはもう、『なににも染まっていない、無垢なもの』に最初から自分の思想・理論を吹き込み続けるしかないと思っているぐらいなのだ。


 だから、今回、魔王に間違いをつきつけるにあたり、リッチは、魔王が本心から転生説を手放すとは、全然思っていなかった。


 一時的に納得したふりをし、反論が見つからずだんまりを決め込んだところで殺せば、あとから報復のように新理論を提唱されることもない。

 相手を殺せば、死ぬ前の会話が最後の会話になるのである。以降、反論されることもない。


 だからそこが、リッチにとっての勝利であったのだけれど……


「君は、転生説をあっさりと手放し、未練もないようだった。だから、君を死なせる理由は消えて、むしろ保護するべき存在になってしまった」


「……いやあ、あたしが言うのもって感じだけどさあ。納得したフリかもしれなくない? 『納得』と『フリ』って、どうやって判断すんの? 心の問題じゃん」


「そう! 心の問題なんだ。つまりこれは、『想い』というテーマに有用で貴重な変化なんだよ」


「……」


「『人は、なにをもって、同一性を保持するのか?』。なぜ、リッチの母親は、この姿のリッチを、リッチであると判別できたのか? 姿ではない。記憶でもない。魂のゆらぎを生前から観測できたわけでもない。これはもしかすれば、こちらがわから、あちらがわへの『想い』というものによって、個人の特定がなされたという……」


「短く」


「『主義主張によって、人は同一性を保持するのではないか?』」


「いや、あの……もっと、こう……エモくまとめらんない?」


「君の述べる『エモ』は『主義主張の一貫性』を指さない?」


「……うーん、いや、そんな観点で考えたことねーんだわ」


「それは僥倖だね。先駆者のいないテーマだ」


「……」


「ではそうだな、君のがわに配慮しようか。……たとえば、リッチはかつて、このテーマを発見しても、発見時点で検証をあきらめた。なぜなら、リッチには人の心がわからないし、興味もないから」


「今はわかるの?』


「いや、まったくわからない」


「おい」


「しかし、わかる人が周囲にいる。そして、『主義主張の一貫性』というところまで論理化してしまうと、その『主義主張』は対話によって引き出すことができるし……今のリッチはね、『対話』そのものは、そこまで苦ではないんだよ」


「マジ?」


「まじ。この世界には話せる相手もいるからね」


 話せる相手もいる、というか。

 話してみたら案外いける気配がある、というか。


 かつてのリッチは無駄な行為の一切を嫌っていた。

 その『無駄』は、自分という、自分のみの感性によって、自分のみの思考しかしない生き物でしかない自分が判別した『無駄』であり、視点を変えれば無駄ではないかもしれないものであるにもかかわらず、だ。


 ようするに━━狭かった。


 今は、少しだけ広い。


 かつてテーブル一つぶんしかなかった『リッチ』という存在の広さ・・は、今、まあ、研究室一つぶんぐらいにはなっているのではなかろうか。


「まあ、とにかくそういうわけで、君をサンプルとして保護したい気持ちが、殺したい気持ちを上回っているわけだ。上回っているというか、死なないでほしい」


「ウケる」


「いや、笑い事じゃないでしょ。命がかかってるんだから」


 そこで魔王は本当に耐えきれずに笑ってしまった。


 リッチが困惑したように立ち尽くし、背後でロザリーがおんなじように首をかしげている。


 魔王は腹を抱えて大笑いし、多少落ち着くと、浮かんだ涙をぬぐってロザリーの方へと向き直った。


「ロザリー様、助けに来ていただいてありがとうございます。毎日礼拝をしながらお待ちしておりました」


 どういうことなのか、ロザリーの思考能力では判断がつかなかった。

 しかしロザリーの判断力をこれまで一手にになっていた『聖典』は、魔王の発言の意味を正確に察した。


「神はあなたの努力をご覧になっておられます。これまでよく耐え抜きました。昼神教があなたを保護しましょう」


 人類も魔族も支配し、殺し合わせてきた魔王は、こうして生き延びることになった。

 罰は降らない。なぜなら、ここは人の世界であって、神の世界ではないからだ。

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