107話 初歩的な確認作業が『当然行われているだろう』と認識するのは危険回
「「「「「「「「「「「フンッ! ウゥゥゥゥ〜……ハァッ!」」」」」」」」」」」
「そこ! 呼吸を意識なさい! 正しい呼吸法を伴わない
「ふうううううううう………………すううううううう………………!」
静かに考察したいのに、部屋の外が超うるさい。
「……勘弁してくれ。もう深夜だぞ……」
エルフッチは部屋の中で頭を抱えていた。
リッチは本体である骨の体にいる時には睡眠も食事も呼吸もいらないのだけれど、現在は黒い肌のとがり耳中性的ボディ……『エルフ型』に入っているので、生物のくびきから逃れられていない。
だから睡眠が必要なのだが、ぶっ続けで
超長距離憑依術を使って違う肉体に魂を飛ばせば解決する問題ではあるのだけれど、レイラを観察しながら考察をまとめたい都合上、それもできない。
まあ、我慢がそろそろ限界なので『もういいかな』という気持ちになりつつあるところではあるが……
ドアのぶち壊された個室の中から、ちらりとトレーニングの様子をうかがう。
筋骨隆々の男どもが巨大なおもりをかついで大腿筋いじめに精を出している中に目的の人物はいる。
鍛錬用神官服というピッチリした謎素材の服をまとったそいつは、もっとも小柄でもっとも手足が細く、もっとも幼い見た目をしていながら、もっとも重い負荷をかけてバーベルスクワットをしていた。
絶対に体重の何倍かはあるおもりを担いで膝の曲げ伸ばしをしている様子は見ていると頭がおかしくなりそうな光景だ。
なぜ当たり前のように自重より重いものを上げ下げできるのか。わからない。身体強化魔法とか使っててくれれば理屈がわかるのだが、使ってないし……
「というかあいつは、そもそも『巨人の大剣』を普通に振り回してたんだよな……」
身の丈をはるかに超える巨大剣は、レイラ本体より当たり前のように重い。
それを横薙ぎに振り回しまくって体軸さえブラさないという奇跡を当然のように行使してのける化け物━━それが『巨人殺しのレイラ』であった。
「インターバルとします! 各自、筋肉に安息を与え、次なる
ロザリーが号令すると男たちが崩れ落ちるように床に座り込む。
そのパンプアップされた全身は太く強靭な筋肉が盛り上がっており、流れ出る汗と激しい呼吸、それにピチピチの袖のない上着&筋肉に貼り付くようなショートパンツという姿で全身の筋肉の躍動がわかった。
肌寒い時間帯のせいか全身から湯気まで立っており、見てて、すごく、暑苦しい。
神はあんなものを見ているのだろうか……
神とは……
「エルフさん」
「!?」
神について考えていたところ、急に背後から声をかけられた。
おそるおそる振り返れば、そこには健康的に汗をかいたレイラの姿がある。
湯気たつ筋肉男どもに視線を奪われた一瞬で背後をとられたのだ。なお、なぜ背後をとってきたか、その理由は謎に包まれている。
レイラは寝転がったままのエルフに覆いかぶさるように腰を曲げ、しっぽをクネクネさせながら、笑う。
その笑顔には朗らかな子供特有の親しみが込められていて、リッチはこう思うのだ。
「不気味だ……」
「え? なんですか?」
「いや……ところでなんでリッ……エルフの背後をとったのかな?」
「なんか、ずっと見られてるなーって思って……」
背後をとった理由にはなっていないので、やはり背後をとった理由は謎に包まれている。
「あたしに用事ですか? 少しお話とかします?」
「……うわ」
陽の者だ。
もともとのレイラもその性質を陰陽どちらかに区分するなら陽ではあったけれど、かつてのあいつは蛮族寄りの陽だった。
それがこんなコミュニケーション能力高そうに寄ってこられると……気持ち悪いし、怖い。
そもそもリッチはかつて勇者パーティーにいた連中に対していい印象は持っていない。
魂や肉体、精神などは非常に興味深い研究対象だし、優先的に保護し観察したいとは思うけれど、親しく付き合いたい相手ではないと考えている。
勇者パーティーには人格破綻の社会不適合者しかいなかったので、お互いがお互いを『なるべくならお近づきになりたくない相手』と思っているのだった。
それがこんな朗らかで屈託なくされると違和感がすごい。
しかもリッチはそもそもの性質として『明るく裏表がない』とか『朗らかで話しやすい』とか『みんなに好かれる』とかいった性質の持ち主を苦手としている。
心が汚れているせいか、どうしても後ろ暗いところのない人の存在を信じられず、その妄想上の『後ろ暗いところ』は、表に見える性質が明るければ明るいほど恐ろしい影を勝手に感じさせてくるのだ。
つまり、レイラに明るく話しかけられると、リッチはこういう対応になる。
「……視線を注いでいたことが不満なら謝罪するよ」
「ええ!? 不満とかいう話じゃないですよ!?」
「じゃあ、なにか。ジロジロ見ていたのが気に入らないから殴りに来たのかい?」
「そんな理由で人に暴力ふるうとか、ありえます!?」
「ありえないとは思うよ」
今の『ありえない』は『存在しない』ではなく『存在しているので倫理観を疑う』といった意味合いだ。
……いや、まあ、ジロジロ見ていた、という理由で殴り掛かられたことはない。そもそもジロジロ見たことがないので。
しかしこの二名はリッチからすると『言葉を発した回数より拳を発した回数の多いやつ』であり、実数の計測はしていないが、とにかく意味不明なほど暴力に頼りがちな連中なのだった。
「じゃあなんだい。殴らないなら放っておいておくれよ。リッチはようやく静かになってきたから、そろそろ考え事をしたいんだ」
「えぇ……どういうことなんですか……? 見てたから、あたしに話があるのかと思って……それで……」
「話はない。ただ君のことを考えていただけだよ」
「えっ!?」
「……というか君、神殿で初めて会ったころはもう少しエルフたちに怯えていなかったかい? 急にどうしたんだい?」
「え、急かなあ……? もう何回かおしゃべりしたし、お友達ですよね」
「うわ」
「なんですか?」
「……君は『友達』の定義についてどう考えているのかな?」
「定義?」
「『定義』というのは『あるものを、あるものたらしめるのに必要充分な条件』という……」
「あなたのこと、聞いてもいいですか?」
長くなりそうな話を遮りにくるところは記憶喪失前と変わっていない。
ただ、記憶喪失前はとりあえず殴ってきたので、もしかしたら今のレイラには倫理観か理性か知性のどれか、あるいはすべてがある可能性が生じた。
「……エルフから話せることは特にないよ。エルフはエルフだ」
「そもそも、『エルフ』ってなんですか?」
「……ふむ。君の記憶にはない種族なのかな?」
「ええ。見たことないです。あなた以外……」
「ほう。……ああ、そうだ、そうだ。君は自分のことを何歳ぐらいだと思っているのかな?」
「え? 何歳……記憶がないから正確なところはわかりませんけど、十二歳ぐらいじゃないかなって言われて、なんとなく納得してます」
たしかにレイラの体格はそのぐらいの年齢のように見える。
実際は……まあ、リッチも詳しいレイラのパーソナリティなんかは知らないので、正しい年齢は知らないが。
しかし━━
「興味深いな。君は獣人は当然知っているとして……『巨人』という種族については知っているかな?」
「はい。魔族の……ですよね?」
「今の国王の名前は?」
「ランツァ女王陛下では?」
「ランツァが一回行方不明になったことについては知っているかい?」
「ええ!? 大事件じゃないですか!」
「ふむ」
聞き取っていくうちに、リッチはレイラの頭の中になにが残っていて、なにが残っていないのかを把握していく。
(『自分のこと』と『ここ数年のこと』以外は知っている……という感じか)
なんとなく総括し、それからリッチは最後にふと思いついた質問をしてみた。
「君は『勇者パーティー』と呼ばれた四人について、知っているかな?」
「あ、はい!」
レイラは目を輝かせた。
どうやらそれは、彼女好みの話題だったらしい。先ほどまでより息荒く、瞳孔を開いて、レイラは━━
「もちろん聖女であらせられるロザリー様……おぞましい邪術を使う死霊術師……なんといっても三人の上に立つ『ドラゴン殺し』の勇者様、そして━━
そう述べるレイラの瞳は本当に輝いていて、リッチの中である予測が立ってしまう。
(もしかして、こいつ……)
レイラじゃない、可能性。
肉体はレイラ。記憶を失っているのも本当。
だけれど━━レイラという存在について、いくら記憶がないといってもあまりに他人のように語るその様子から……
もしかしたら、別人の魂が中にいるのではないか? という可能性を感じたのだった。
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