31話 望んだ自由を手に入れてこれでいくらでもやりたいことができるぞと思ったのに自由になった途端情熱がなくなるのはなんでだろうという回

「リッチサマ、いるカ!」



 哀れ、蹴飛ばされた研究室の扉はレールから外れて室内に倒れた。


 この扉は感圧式の自動スライドドアなのであった。

 だというのにリッチ研究室に侵入する者の中には自動扉が開くまでのほんのわずかな時間すら待てない者がいくらかいて、そのたび扉は蹴飛ばされて壊されるのだ。


 なのでみんな、扉が壊されたぐらいでは騒がない精神ができあがっている。


 昼の授業中なのだった。

 机を合わせて作った長机の上には様々な実験器具が乗っていて、六人の少年少女たちが熱心に課題に取り組んでいる。


 現在行われているのは霊体操作の訓練だ。

 みなの前に並んでいるのは薄い箱状の物体であった。中には戦場でせっせと拾い集めた『魂も肉体もない霊体』が入っていて、みな、これに魔力を注いで意のままに動かせるようにしているのだった。


 その様子を腰の後ろで手を組んで歩き回りながらリッチは見ていた。

 骨のみの体にボロのマントをまとった存在である。当然顔筋などもないのでその顔から彼の内心をうかがうのは至難の業であった。

 しかし、リッチとの付き合いに慣れた者ならわかるだろう。彼は今、あきらかに面倒ごとを運んできたと思しきドラゴン族の少女を無視する気まんまんなのだと……



「霊体操作は基本的に、操作する霊体の数が多ければ多いほど、また、霊体のサイズが大きいほど、そして、霊体を速く動かそうとするほど、操作が難しくなる。『霊体は魂に直接干渉できる』とは以前に言ったと思うけど、操作を誤って自分で自分に霊体を当ててしまえば、当然、自分の魂にも干渉される。そうなると危ない。……だからこうして、霊体の力が弱まる昼に霊体操作の練習をするんだね。わかったかな?」



 獣人五人と人間一人の生徒たちは「はい」と返事をした。

 リッチはうんうんと満足げにうなずき、また生徒たちのことを背中側から観察していく。



「リッチサマ! ドラゴン族の伝令ダヨ!」

「……深紅クリムゾン、君は霊体操作はずいぶん得意そうだね」

「はい先生。以前、たくさんの人を蘇生してから、霊体をうまくつかめるような感覚があって……」



 深紅は引きつった笑顔を浮かべながら応じた。

 彼女の視界にも当然、ピョンピョン跳ねたりリッチに抱きついたり首に両腕を回してぶらさがったりする、小柄なドラゴン族の少女が映っていたのだ。

 というか太い尻尾が頭上を通過したり大きな翼が視界をふさいだりと気になって仕方ない。


 しかし、リッチが完全無視を決め込んでいる。


 なので生徒として忖度そんたくし、ドラゴン族を見えないふりしているのだった。

 リッチは深紅の応対に満足げにうなずく。



「なるほど。やっぱり実践による経験は人を大きく成長させるのかな……これなら他の生徒を連れてフィールドワークに出る必要性もありそうだね」

「リッチサマ! ドラゴンダヨ! リッチサマ、聞こえないカ!?」

「君たちが即死魔術を失敗率がなくなるまで習得できたら、みんなで戦場に立つのもいいかもしれないね。まあ、戦争にかかわるのは面倒このうえないのだけれど、あそこが一番生死のうずまく場所だという事実は無視できない。残念ながら死霊魔術の研鑽に戦争はうってつけだ」

「リッチサマー! アタシの声、聞こえないカ!? ドラゴンダヨー!」

「……はあ」



 リッチは深く息をついた。

 そして、眼窩に突っこまれたドラゴン少女の手首をつかんで、抜き出す。



「リッチはドラゴン族と一切関係ないよ。よって伝令を受けるいわれもない」

「勇者の死体やったロ!? その時からの関係ダヨ!」

「くれるって言うから」

「そんなコト言うナヨ! 話聞いてくれヨ! チョットダケ!」

「わかった、わかった。じゃあ、君に十秒だけ時間をあげよう」

「短クないカ!?」

「十、九……」

「アワワワワワワワ……! 死んだヨ! 人が!」

「そうだね。戦争中だから」

「そうじゃナクて! なんカ、新勇者ッテ言うのガ死んだカラ、死体が必要カ聞けッテ! 頭領ガ!」

「新勇者? ……ああ、そういえば、いたなあ、そんなの……」



 前に巨人族の前線でやたら名乗るハゲがいた。

 特に興味がないので忘れかけていたのだけれど、前の勇者パーティーが実質解散してしまったので、人類側は聖女ロザリーを中心に勇者パーティーを再編成したとかいう話だ。



「でもなあ、新勇者はなんていうか……特に希少価値を感じないし……肉体にも魂にも、別にさほど興味が湧かないっていうか……うん、まあ、命は大事だし、仮にも勇者に選ばれるような連中なんだから、何かしらの特殊な価値があるかもしれないんだけど……」



 命は大事だ。

 なぜなら限りある資源だから。


 英雄の魂と肉体は、それとはまた違った意味で大事だ。

 希少性があるのだ。

 肉体の希少性はわかりやすいだろう。単純に『強い』。

 巨人将軍におさまっている元英雄のレイラなどは、身の丈の五倍以上ある剣を普通に振り回す膂力を持っている。

 ただの人類が努力して手に入れられる腕力ではない。

 明らかに『例外』に分類すべき肉体だ。


 魂の希少性というのは、判断が難しい。

 しかし確実に希少な魂は存在する。

 たとえば聖女ロザリー。彼女は物理的に不可能なことを物理法則をいじらずに気合いだけで成し遂げている。このあり方は明らかに希少であり、魂になんらかのバグが発生しているものと思われる。とりあえず蒐集しておいて損はない。


 とりあえず『勇者』に数えられるような人物ならば、肉体か魂、あるいは両方が希少である可能性は高く、それは早期に回収し保存を試みるべきなのだろうが……



「なんていうか……新勇者には政治のにおいがするんだよな……こういう曖昧な言い方をリッチはあまり好まないんだけれど、新勇者には『凄み』がない。いや、たった一人見ただけだし、凄みというものが魂・肉体の希少性とどの程度関連するのか、またその指標は判断材料にすべきか否かという部分に議論が必要なのはわかるんだけれど――」

「長イ。短クまとめロ」

「……やる気が起きないんだ」



 そうだ、その一言に尽きる。

 リッチはかつての自分を思い出す。かつて、少しでも希少性のありそうな命が失われた際には、積極的にその魂・肉体を回収すべく動いていたはずだ。

 だが、今は、『新勇者』とかいう明らかなおもしろ命が消えたというのに、まったく回収意欲が湧かない。


 リッチは危機感を覚えた。

 最近はずいぶん穏やかな時間を過ごしている。

 睡眠や食事といった命のくびきから解き放たれ、過去リッチのお陰で資金面も心配なくなった。

 後進の育成も順調。生徒たちは素直で物覚えがよく、特に深紅とランツァは競い合うように死霊術を修めていっている。

 ゴーレムがプログラムの更新を迫るなどの面倒事もあったが、魔王が回収してくれたお陰でその心配も消え、今はおおむね望み通りに理想の研究生活を送っている。


 不安のない研究ライフ。


 望んでいたものを手に入れて、リッチはかつてのようなハングリー精神を失っていることに気付いた。

 なにせ寿命もなく、たった一人で死霊魔術の未来を担っているのだというプレッシャーもない。神殿勢力からの弾圧や、無知な大衆から白眼視されることもない。


 苦境のない気ままな生活が――

 皮肉なことに、情熱を奪い去ろうとしていた。



「……リッチは間違っていた。反省します。新勇者だっけ? 行くよ。回収しよう。そうしよう。早くリッチを連れて行って」

「お、オウ? どうしタ、急に……? リッチサマ、目の中ニ手を突っこまれルの、嫌カ?」

「まあ嫌だけれど。それとは関係なく、気付いたんだ。リッチは情熱を取り戻さないとならない……ずっと自由を求めていたのに、『いくらでも自由にしていいよ』と言われた途端、何をしていいかわからなくなるみたいな現状を変えないといけないんだ」

「ワカラナイ」

「とにかく新勇者の死体をもらおう。死霊術の限りを尽くすよ。リッチはやる気を出さなければならない」

「ジャア、連れて行くゾ」



 ドラゴン族の少女はリッチの右尺骨をつかんで引っぱる。

 リッチは生徒たちに真っ暗な眼窩を向けて言う。



「新鮮な死体を持ってくるから、あとでみんなでいじろうね」



 はーい、と生徒たちは返事をした。

 ドラゴン族の少女が「エッ」とおどろいた様子を見せたが、なぜおどろかれたのかがわからず、みんなで首をかしげた。

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