23話 自分ができないこと全部代理でやってくれる相手がいたらいいよねという回
「……うーん。リッチには戦略がわからぬ……」
真っ白く清潔で、整然とした空間――リッチ研究室。
研究室の机の上に大きな地図を広げて、骨が頭骨を抱えていた。
肉も皮もないアンデッド系の重鎮――実際は元人族の勇者パーティーの一員――リッチだ。
その地図には大陸の全体図があって、今現在の戦線の位置が記されている。
ひし形の大陸。
東側から魔族が、西側から人族が、互いの領土を奪おうと兵を出している。
大陸をちょうど真ん中から東西に二分するように最前線。
最前線は山脈に区切られて北部、中部、南部と三つに分かれている。
北部、中部、南部の戦場はさらに小高い丘などで区切られ細分化しているようだ。
これら地理的な情報を、元勇者パーティーであるリッチはすでに知っているはずだった。
しかし戦略に興味がなかったので、記憶できなかったのだ。
リッチは興味のないことに記憶力を割きたくないほうだった。
「どうされました、リッチ様」
悩むリッチの真横に、音もなくあらわれる女性がいた。
透けた青い肌。
鮮やかな青い唇が印象的な、豊満な美女――アンデッド将軍のアリスであった。
「アリスか。リッチは魔王にもらった地図で、戦略を考えているところだ」
「おお! ついにリッチ様がアンデッドの前線に立たれるのですか!? なぜか巨人族の前線ばかり立たれているので、ちょっと悔しかったところです!」
「違う! リッチは前線には立たない。リッチは研究をしなければならないのだ」
「先に戦争を終わらせてからではダメなんですか? リッチ様が出れば、リッチ様の研究が完成するより早く戦争に勝利できそうな気がするんですが」
「……」
魔王には、戦争を続けたい思惑があるようだが――
魔族の上層部であるはずの将軍たちは、『戦争を勝利で終わらせる』ために活動しているようだった。
まあ、別に将軍だから頭がいいわけではないし、複雑な命令をされても困るからだろう。
魔族は力こそパワーでマッスルが筋肉なのだ。
「とにかくリッチは研究する。その方針は変わらない」
「研究が完成すれば戦争に勝つことができるんでしたよね?」
「……」
そういう言い訳で研究優先にしていたっけ、とリッチは思い出した。
魔族の一員になってからさほど日数は経っていないはずだが、魔族加入初期の記憶は、もはや遠い。
「とにかくとにかく、とにかく。リッチは研究者だ。なるべく研究をしたい……正直なところ、研究に関係ないことは考えたくもない……」
「しかし地図をご覧になっていたようですが」
「うん。実はツボを設置したいんだ」
「ツボ?」
「死体を入れた、憑依術の中間地点だよ。これをうまいこと設置すれば、理論上、魂だけなら長い距離を一瞬で移動できるようになるんだ。そのために地図を見てたんだけど……」
「……」
「リッチは地図を読めない」
「……え、マジですか?」
「まじまじ」
なんか苦手。
うまく頭に地図情報が入ってこないのだ。
「いや、大まかな位置関係みたいなものはわかるよ? でも、具体的な距離感とか、起伏とか、そういうのをイメージするのが苦手みたいだ」
「ああ、なるほど。それは私も苦手です」
「でも軍団を移動させる時には気にすべきことでしょ? 高低差があると疲労がたまって行軍速度が落ちたり……アリスは普段どうやってるの?」
「高低差は、気にしなければいいのです」
「リッチにもわかるように言って」
「ゴーストは山だろうが森だろうが、その気になれば真っ直ぐ進めます。壁とか通り抜ける要領ですね。なにより飛べますから、あんまり高低差は関係ないです」
「ゾンビは? あいつら飛べないし遅いし」
「無理そうなら放置です」
「スケルトンは? あいつらも実体あるでしょ? それに、飛べない」
「スケルトンは進めなさそうなら、分解して背負ったりしますね。ゴーストが」
「……リッチは戦略も戦術もわからぬ」
「そうおっしゃっていましたね」
「でも、君たちがなにげなくやっていることが、戦術にものすごい革新をもたらしそうな気配ぐらいはわかるよ」
「どういう意味ですか?」
「君たちは地上に降りて戦ってるみたいだけど、空に浮かんだまま『ばくだんいわ』とか投げたら、安全に一方的に相手に攻撃できるよね?」
「え? 相手が地上にいるのに?」
「相手が地上にいるから、空から一方的に攻撃できるんじゃないか」
「リッチ様、相手が地上にいるんですよ?」
「いやだから……」
「相手が地上にいたら、ゴーストたちも攻撃の時に地上に降りちゃいますよ」
「そこを、こらえて」
「無理です。私はかろうじて理解できますが、ゴーストたちは、『攻撃』と命令されたら、接近して攻撃しようとします。空に浮かんだまま攻撃だなんて、よくわかりません」
「君たち、飛び道具とか使わないの?」
「スケルトンを投げるぐらいですね」
「じゃあ、空からスケルトンを投げたらいいんじゃない?」
「投げ終わったら降りちゃいますよ」
「いったん後退して次に投げるものを補給して、また空から一方的に……」
「リッチ様、よく聞いてください」
「……なに?」
「我らの脳は、透けているか、腐っているかです。そういう難しいことは、わかりません」
「……」
「『攻撃』とは『一生懸命相手に向かっていって、相手を殴ること』です。『攻撃しろ。ただし空中にいる状態で』などという命令をすれば、ゴーストたちは混乱して成仏します」
「それほどなのか」
「アンデッドの頭のよさを、あまり舐めないほうがいいですよ」
なぜアリスが誇らしげなのか、リッチにはわからない。
文化の壁を感じる。
「……まあ、わかったよ。リッチは戦術がわからぬ。それに、指揮をする気も練兵をする気もない……練兵は嫌いだ。『勇者様ご一行なのですから、是非兵卒どもに気合いを入れてやってください』と言われて、体育会系まみれの空間に放り出されて辱められる思い出しかない」
「勇者様ご一行?」
「『敵が』勇者様ご一行なんだ」
「なるほど。つまり過去、魔族の練兵をなさったことが? ありましたっけ?」
「リッチだからな」
「なるほど」
「……いや、いいのか」
「私はリッチ様にお仕えして長いですが、それでも、リッチ様のすべてを知っているわけではありませんからね。あなたの歴史は長い……おそらく、魔族の歴史と同じぐらいに」
「リッチすごいな」
「ええ、すごいんです」
「まあとにかく、リッチはツボを一定間隔で埋めなければならないんだけれど、ツボの詳しい必要数を割り出すために地形の把握が必須なのだ。前はてきとうにそれっぽい数を提示したけど、高低差をすっかり忘れてて、高低差次第ではツボが足りなくなりそうだし、ツボを確保するのにも予算がいるし……ああどうして生きていくのにはお金が必要なのか。なんとなくそれとなく必要物資全部確保できないかな」
「そもそも、そのツボを埋めるソレは必要なことなんですか?」
「必要性について聞いたな!」
リッチはクワッと眼窩を見開き、アリスを振り返った。
アリスはびっくりして半歩(足はない)後退する。
「え、ええと、まずかったですか?」
「君たちはいつもそうだ! 研究内容を聞くやいなや『それは必要なのか』と問いかけてくる! なぜ学者が研究をする時、それは必ず世に役立てるためのものだという前提で考える!? 傲慢じゃないか!」
「え、でも、色々な研究結果が役立って世界は発展したのでは?」
「順番が違うんだ。『世間の役に立てるために研究をしている』のではない。『研究した結果がたまたま世間の役に立った』が正しい」
「じゃあ研究者はなんで研究をするんですか?」
「疑問があるからだよ!」
「……?」
「気になったことは、気になったまま放置したくないだろう?」
「別に……」
「そうだよな! わかっていた! そこで『別に』と言える人が普通に生きて、気になって仕方ないリッチみたいなのが研究という名の魔道に堕ちるんだ!」
「り、リッチ様、お鎮まりください……」
「……取り乱した。とにかくリッチの研究の必要性を問うのは禁止だ。必要性は、まあ、ほんとはある。でも、素人に説明するのは面倒なんだ」
研究とは余人の想像するより地味なものである。
世間の人が実感できる『A』という成果を出すには、『AのためのB』『AのためのBのためのC』という感じで前提研究が必要な場合が多いのだ。
そしてリッチのやっている研究は『Aのための(中略)M』ぐらいの感じだ。
これをアンデッドにわかりやすく説明するのは、リッチには難しかった。
「……優秀な助手がほしい。早く未来の研究者を育てなければ……ランツァ……ああ、彼女なら距離とツボ個数の計算ぐらいこなしそうなのだけれど、彼女の才能は余のことに割かせるのにあまりに惜しいし……」
「つまりリッチ様は頭のいい雑用係がほしいのですか?」
「そう」
「でしたら噂……都市伝説……怪談? があるのですが」
「アンデッドから怪談を聞かされるのか」
「我らの戦う南の前線付近に、古代文明の遺跡があるらしいのです」
「それで?」
「なんでも、その遺跡には『なんでも言うことを聞く頭がよくて従順な存在』が隠されているのだとかいう話で、ヒト連中は割と本気で探しているようなのです」
「ふーん。いたら便利そうだね」
「便利そうですね。だからヒトも探しているのでしょうけれど」
「南の戦線だっけ?」
「はい」
「じゃあ、探してみるか」
ツボの設置数を割り出すためにも、一度自分の足で歩いて高低差や地形、地質などを頭に入れておきたいし。
軽い気持ちでリッチはフィールドワークを決断したのだが――
この選択が、のちに意外な成果をもたらすことになるとは、この時はまだ想像もできなかった。
刻一刻と、近付いていく。
滅びの時が、近付いていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます