24話 『わからない』の一番どうしようもない段階は『わからないところがわからない』なので『どこがわからないの?』という質問はやめてもらおう回

 南部戦線は荒れた平地が広がっている。

 空にはどんよりとした雲がいつでもかかり、薄暗い。

 雑草さえ生えぬ不毛の平原は、まるで戦争の果ての世界の姿を暗示しているかのようだ。



「……ああ、ここかあ。南部戦線に出た時ちらっと目に入ったけど、まさか便利魔導兵器の遺跡だったとはなあ」



 ボロボロのマントを身にまとい、杖をついたリッチは遺跡の前にいた。

 それは地面から突き出た石製の入口だ。


 地上にはなにもない。

 この入口は地下に続いているようで、遺跡の本体は地下にあるものと思われた。


 アリスの情報通り、人類側はそこそこの熱心さで遺跡の調査をおこなっているらしい。

 あたりには遺跡調査のためと思われる機材があり、キャンプ地があり、そこには当然ながら、兵士や学者が大勢いた。

 全員殺した。



「中にもいるんだろうなあ。やだなあ、むやみに殺すの。でも遭ったら殺さないとたぶんめんどくさいよなあ。あとで復活させてあげるからね」



 そうささやくリッチの隣で――

 ガタガタと震える、赤い毛並みの獣人がいた。


 その毛並みの色から深紅クリムゾンと呼ばれる、俗称がついてしまったために本来の名前を覚えてもらえない少女である。

 リッチの生徒の一人で、難しい年頃らしい反抗的な気質はあるものの、言動のわりに素直にリッチのもとで死霊術を学んでいる。



「あ、あの、先生、そんなあっさり大量殺人をしたり、蘇生を約束したり……い、命はそんなに軽いものじゃ……」

「君はいつも命の重さについて語るけど、命に質量はないよ。リッチたち死霊術士にとって、命は『資材』『資源』なんだ」

「わかっています! 知識ではわかってるんです。でも、なんていうか……心の深い部分がどうしても納得してくれなくて……」

「いじる?」

「はい?」

「倫理観、いじる?」

「い、いじる? いじるって?」

「『命』とはなに?」

「……え、そ、それは……」

「死霊術において、命は『魂』『霊体』『肉体』『記憶』の集合体なんだ。そして、一般的に、『命』という言葉が用いられた時、それは死霊術で言うところの『記憶』を指す場合が多い。どれかと言えば、だけれどね」

「はあ」

「そして死霊術は『命』を扱う学問だ。すなわち、カリキュラムの中には『記憶』の操作方法もふくまれる」

「……え」

「君の倫理観、君の常識、君の感性――まあ、『君の』と限定することはないけれど、そういったものは『記憶』に端を発している。よって、記憶をいじれば、倫理観をいじることも不可能ではないんだよ。理論上ね」

「……」

「記憶、いじる?」

「え、い、いえ、でも、それは……」

「実験をおこなう者として、被験者である君に正直に告げるけれど、リッチはまだ『記憶』をいじった経験がないんだ。それはなぜか、わかるかい?」

「……それは、あまりにも冒涜的だから、ですか?」

「冒涜は気にしないよ。そもそも、冒涜というものは権力者が民草の思想を統制するために使う言葉だ。都合の悪い思想を『冒涜的だ』と言えば、権力以上の『神意』さえ味方にできるからね」

「……じゃあ、なんで」

「『記憶』をいじった時、本当にいじれたかどうかが、観測しにくいからだよ」

「……」

「記憶をいじった成果を観測するためには、いじられる前の記憶について詳細に把握しておく必要がある。そして、他者の記憶を客観的に観測する術は、『話を聞いてその人の記憶を知る』ぐらいしかないんだ。リッチになぜ『記憶を知る』ことができなかったか、わかるね?」

「え、なんでですか?」

「コミュニケーション能力がないから」

「……」

「半生のすべてを話してもらうには、信頼関係が必要になるし、時間だって必要だ。『信頼できる相手と、長い時間話をする』という条件を達成するためにはコミュニケーション能力が不可欠だ。よってリッチにはできない」

「……」



 深紅は悲しむような顔をした。

 リッチは表情の意味がわからなかった――人の心がわからぬ。



「なので、君が倫理観をいじっていいと思うなら、これから一回研究室ラボに帰って君の半生を聞かせてもらう必要がある。そういった苦労こみで、記憶、いじる?」

「いや、その……今から帰るのはちょっと……」

「そっか。君はまだそんなに長く生きてないから、半生を知るのも楽かと思ったんだけどな。それに君は意外とリッチの話聞いてくれるし、それなりの信頼関係もあるんじゃないかと推測したんだけど」

「……いじりたいんですか?」

「いじりたいよ。死霊術でできることは、なんだってやりたい」

「あの……先生、一ついいでしょうか」

「なに?」

「先生はつまり、わたしで実験したいんですよね?」

「そうだよ」

「信頼してもらいたい相手に『君で実験をしたい』って言ったら、信頼度が下がると思うんですけど」

「…………君は死霊術をやってみて、リッチで実験したいと思うこと、ないの?」

「ないですね……」

「リッチは自分で言うのもなんだけど、死霊術的にはかなり面白い存在だと思うよ?」

「あの……普通、『先生』とか『友達』とか、大事な人を見て『実験したい』と思うことは、ないです」

「しかし、リッチだよ?」

「しかしもなにもなくって……あの、質問、いいですか?」

「いいよ。でも半日ぐらいで終わる? 殺した人たちを蘇生させるリミットがあるから」

「一時間とかからないです」

「ならいいよ」

「先生は、友達に『お前の命で実験したい』って言われたらどう思うんですか?」

「……どう思う?」

「いえ、問い返さないでください」

「…………どう思う、っていうのは、どういう意味?」

「で、ですから、『いやだなあ』とか『こいつ、そんな目で自分のこと見てたのか』とか」

「……え? リッチに質問したその存在は、無機物?」

「無機物? なにその発想……」

「生き物と思っていいの?」

「いいですけど……あの、じゃあ、わたし。わたしが、『先生の命で実験したい』って言ったら、どう思います?」

「別にどうとも思わないよ。だって、死霊術は命を扱う学問じゃないか。命を見て実験に使えると判断して、命を見ているうちに実験を思いついたら目の前の命で試したくなるのは、そんな、いちいちなにかを思うほどのこと?」

「先生、それはおかしいんです」

「……ははーん。リッチ理解したよ。これはアレだね。『常識』だね? また常識がリッチの前に壁となって立ちふさがるのか。もううんざりだよ『常識』! お前は束縛するばっかりでリッチになにもお得なものくれない!」

「先生、落ち着いて」

「……取り乱しました。リッチは反省する。しかし、うん、なるほど、そうか……リッチにとって認めがたいし、認めるのもハラワタにえくりかえるような……ハラワタないけど……そういう気持ちだけど……ひょっとして、研究をするには常識も必要なのか」

「先生、当たり前です」

「つまりリッチの研究は次の段階に入ったということだ。今までは一人で古代文献を読みあさって、そのへんの野生動物で試行錯誤してればよかったけど、実験段階が進んで、『常識的に』生きている人とかかわることが不可欠になってきたと。そういう感じだね」

「よくわかりません……」

「とにかく、結論を聞いていい?」

「なんですか?」

「君は、リッチに記憶をいじられるのはイヤだっていうことでいいの?」

「先生、その質問がアウトなんですよ。その答えをハッキリと発言させようとするのが、もうダメなんです」

「…………」



 さっぱり意味がわからない。

 リッチは不可思議な物体を見るような目で深紅をまじまじと見つめた。


 しばし沈黙。

 そのあいだに遺跡から五人の兵士が現れ、リッチに殺された。



「深紅……」

「あの、一切の迷いなく、一瞥もせずに人を殺されると、びっくりするので……」

「次から『殺すよ』って言うよ」

「そういう問題……まあ、はい。ありがとうございます」

「深紅」

「なんですか?」

「リッチは君から人間関係を教わりたい」

「……あの、わたし、まだ十二歳にもなってないんですけど……人間関係にそんなに詳しくないです……村育ちで、村から出たことも、魔族領に来るまでありませんでしたし……」

「深紅……たしかに君は、コミュニケーション能力が高くないかもしれない。それでも、リッチよりは断然高い。なんていうか……常識を知ってる」

「まあ、その……そうかもしれません」

「それに、リッチはコミュ力高すぎる人と接すると、死ぬんだ」

「死ぬ!?」

「心が死ぬんだ。連中が当たり前のように行使する対人スキル、連中が前提とする社会通念が、リッチにはわからない。それに、だいたいのコミュ力高いやつの正体は、『同じぐらいのコミュ力の相手と楽しく会話ができる』というだけで、満遍なく誰とでも仲良くできるわけじゃない」

「……まあ、その、言っていることは、わかるような、わからないような……」

「リッチが認める『満遍なく誰とでも仲良くできるコミュ強』は世界に一人しかいなかったよ」

「誰ですか?」

「勇者だよ。あいつはほんと、すごかった。口だけで勇者やってるところあった」

「えええ……」

「リッチも勇者のことを友達なんじゃないかと思ったことが、何回かあったよ。危なかった」

「リッチさんは勇者様と会ったことが?」

「……もし勇者と会っていたらそう思っていただろう……」

「え!? ど、どういうこと!?」

「気にしないでいい。……まあとにかく、深紅ぐらいがちょうどいいんだ。是非、深紅にリッチのコミュ力師匠をお願いしたい」

「なにをしたらいいかわからないんですけど」

「『殺すよ』」

「ええ!? ……あ、遺跡から兵隊さんが来たんですね。びっくりした」

「言っても言わなくてもびっくりするのか……」

「タイミングが悪いんですよ。会話中に会話相手がいきなり『殺すよ』って言ったらびっくりしません?」

「別に」

「びっくりするんです、普通は」

「そう、そういうのだ。君はリッチがコミュ難っぽい発言をするたびに注意してくれればいい。言わばツッコミ役だ。いいね?」

「……まあ、いいですけど」

「うん。今回のフィールドワークに君を連れて来てよかった。……そういえば、君から希望してリッチについてきたよね? なんで?」



 深紅を連れて来た背景は、そのようなものだった。

 リッチが研究室で『遺跡調査に行くから今日の授業はお休み』と述べたところ、深紅とランツァが付き添いを希望したのだ。

 しかし遺跡は前線近いし、二人連れて行くのは守るリッチがめんどうだったので、くじ引きで決めたのだが……


 ランツァはなんとなくついて来そう感あった。

 でも、深紅はよくわからない。


 首をかしげるリッチ。

 深紅が告げた答えとは――



「……だ、だって、ランツァが手をあげたから、咄嗟に……」

「……?」

「なんとなく、負けたくなくて……」

「……」



 人の心は難しい。

 リッチには、やっぱり、よくわからぬ。

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