第105話 親子の名乗り

 九月の給料が出た翌朝、ノーランさんが侯爵邸を訪ねてきた。


ダニエルはノーランさんが子どもたちを引き取りに来るという連絡を受けていたようで、今回はケリーとウィルを同席させている。


応接室のドアを開けて父親が入って来たのを見たケリーは、苦虫を嚙み潰したような顔をした。


「やっぱり、あいつか…。」


ケリーは以前ノーランさんを見かけたことがあったようだ。



「ラザフォード侯爵閣下、長い間子ども達を世話して頂いてありがとうございました。やっと引き取りに来ることができました。」


「この日を迎えられて良かったです。」


「ちょっと待った! お兄さ…じゃない侯爵閣下は、私たちが自分で働いて世話になったお金を返せと言ってなかったか?」


ケリーは、どうもスムーズに引き渡されるつもりがないようだ。

ノーランさんとダニエルの間に、席を立って身体ごと飛び込んで行った。


「ああ、言ったな。ケリーはもう十一歳なんだから、通いで働きに来てくれてもいいぞ。でも二人ともまだ未成年だ。保護者がいるなら一緒に暮らしたほうがいい。」


「…保護者ったって、母さんのことをフェアリーだなんて言うとぼけた男だぞ! 頼りになるわけないじゃん。」


ケリーが言ったことを聞いて、ノーランさんは真っ赤になっている。

まさか子どもにそんな風に思われているとは考えてもみなかったのだろう。


可愛そうなフェアリーの子どもを救うつもりでここまでやって来たはずだ。



「お姉ちゃん、僕たちがこの人の世話をした方がいいのかもよ。なんだかゲッソリ瘦せてるし。ご飯の食べ方を知らないんじゃないかな。」


ウィルの言葉に、ノーランさんはもっと脂汗をかくことになったようだ。

見ていられなくて、セリカはそっと目線を外した。



ケリーはしばらく黙って考え込んでいたが、仕方がないなと首を振った。


「それじゃあこの男は私たちが引き取るよ。侯爵閣下にずっと面倒をかけるわけにはいかないからな。コールさんが言ってた。『閣下は甘いんですから。』って。学校がない日は働きに来るからな。ランドリーさんにそう言っといて。」


「フッ、わかった。伝えておく。」



とんだ親子の対面になったと思っていたが、ケリー達の荷物を取りに部屋に行くという段になって、ノーランさんが二人に手を差し伸べたのが見えた。


ウィルはすぐにお父さんと手を繋いでいたが、ケリーは手を取ろうかどうしようか迷っているようだった。

けれど、ぶっきらぼうにサッと手をつないだ時の顔を見て、セリカは胸が熱くなった。


飛び込んでいって拒絶されるのが怖かったんだよね。


ケリーはノーランさんがお父さんではないかと、薄々気づいていたんじゃないだろうか。

子どもがいるのに会いに来ない父親。

母親が死んだのに迎えに来なかった父親。

寂しさと不信感が積もりに積もっていた所に、突然の来訪。


素直になれないのも仕方がないね。


でも、手を繋げて良かった。

お父さんと会えて良かったね、ケリー、ウィル。



三人で手をつないだまま部屋を出ていけるように、扉を開けてあげたダニエルに寄り添って、セリカは親子が歩いて行くのを見ていた。




◇◇◇




 ケリー達がノーランさんと一緒に暮らし始めた頃に、ランディの店の改装が終わったという連絡が入った。


セリカはシビルと一緒に早速、事務所を店に移すことにした。

荷物を馬車に積み込んで、シビルとエレナと一緒に出発だ。



「なんだかワクワクしますね。」


シビルはセリカが第一印象で思った通り、意欲的で面白いことが好きな人だ。

一緒に苦労を楽しめるので、彼女が相棒で良かったと思っている。


「そうね、いよいよ本格的に動き出せるね。従業員の人たちは全員、明日からの研修に揃いそうなの?」


「それが客室係のルーディが風邪を引いて欠勤予定です。」


「それは仕方がないわね。ここのところ朝晩が涼しくなったから、風邪もひくよ。」


「彼女の研修は後で私がチェックしておきます。」


「お願いします。私は明日は一日、厨房にいるから。どのメニューも作れるようになっているか、連携はうまく取れるか確認しときたいのよ。」



セリカがそう言うと、シビルは心配そうにセリカのお腹を見た。


「座ったままですよ、セリカ様。休憩も入れながらにしてくださいね。」


「もー、その言い方。ダニエルにそっくり。皆、その言い方を覚えちゃったのね。」


セリカのぼやきにシビルは笑っている。


「あんなハンサムな旦那様を邪険にしてはいけませんよ。誰でもがそんな幸運に巡り会えるわけじゃないんですから。」


シビルは独身のため、よくこういう言い方をする。



「はーい、感謝します。気を付けますよ。」


「フフッ、エレナさんがついてるから大丈夫だとは思ってるんですけどね、つい。」


「いえ、皆さんに注意して頂いてちょうどいいかげんです。これから店が軌道に乗るまでは気ぜわしいでしょうから。」


エレナが一番冷静なのかもしれない。

でもこういう人が側についていてくれると、いい意味でセリカの暴走を止めるストッパーになる。


ダニエルはそういう効果も期待して、お付きの人をエレナにしたんだろうな。




店に着くと、新しい木のいい香りがした。


工事用の養生シートがはがされて、綺麗に掃除された室内に足を踏み入れると、心臓がドキドキと鼓動を鳴らした。


私の店、いや私たちの店が、とうとうできたね。



ガラス窓から降り注ぐ陽の光を浴びながら、セリカはよし頑張るぞ!と誓いを新たにした。

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