第100話 刺繍家

 セリカがエレノアさんやローズさんと話をしていると、遠巻きにこちらの様子を伺っていた女性たちが、バノック先生に連れられてこちらへやって来た。


「セリカさん、ちょっとよろしいかしら? こちらの皆さんは、セリカさんの刺繍に興味があるんですが、怖くて話しかけられないなんて、おかしなことをおっしゃるのよ。」


どうもまだ、事件の時に無双した噂が消えていないようだ。

セリカは殊更ことさらに、にっこりと笑顔を作って話しかけた。


「どうぞ。刺繍のことですか?」


セリカたちは座っていた席をつめて、新しく話に加わろうとしている三人の女性が座るスペースをつくった。



「あの…私、セリカ様がラベンダーを刺繍されているものをバノックさんに見せていただいたんですけど、あの花の刺し方を教えていただきたいんです。」


一人の若い女性が勇気を振り絞ったという様子で、おずおずとセリカに話しかけると、他の人たちも「私は蜂を。」「私は花かごが気になってるんです。」と口々に、言ってきた。


「ほらね。私がセンセーションを巻き起こすと言ったでしょう。道具を持ってきますから、皆さんにポイントだけでも教えてあげてくださいな。」



バノック先生がそう言って刺繍道具を揃えた頃には、セリカの周りには女性の人垣ができていた。


「………えっと、じゃあ花のステッチからやってみます。」


自分の手元を、大勢の女性がじっと食い入るように見ているというのは落ち着かないが、セリカは簡単なリボン刺繍の基本を何パターンかやって見せた。


「ああ…やっぱり特殊な針が必要なんですね。どこに売ってるんですか?」


「うちが新しく出店するレストランでも買えるようにしようと思っています。よろしかったら美味しいものを食べに、ついでに刺繍道具も買いに、ラザフォード侯爵領においでくださいな。」


咄嗟に考えたことだったが、セリカはこれは客寄せになるとふんだのだ。


すると、店の場所はどこか? いつオープンなのか? と矢継ぎ早に問いただされた。



― セリカ、これって団体客のツアーが組めるんじゃない?


言えてる。


「美しい湖を観て、美味しいものを食べて、刺繍指導も受けられるという団体客用の旅行ツアーを組みますから、希望者の方はラザフォード侯爵家にお知らせください。六人一組で魔導車を一台差し向けます。店のオープンは十月十五日ですので、ご予約は十月の十六日以降になります。旅行代金や詳細は、希望者の方に追ってお知らせします。」


セリカの口上に、「キャーキャー!」と奥様方の歓声が沸いた。


「知らせて頂きたいわ。」「私も!」と周りにいた皆さんが、セリカの手に次々と名刺を押し付けてくる。

あっという間に、セリカの手には山盛りの名刺がのっかっていた。



「………セリカさんって、商売人ね。」


バノック先生、私も今、自分のことをそう思いました。




◇◇◇




 ラザフォード侯爵邸に帰ると、ザクトの街からカレー皿が届いていた。


皿を持ってきた人に、丼の発注もして帰らせる。

そして、シーカの食材店に日本酒、じゃないオディエ酒を注文する手紙も書いた。


…団体客用のツアーの詳細も考えて、手紙を希望者に発送しないといけないな。


こうしてみると、バトラーが責任者を雇えと言ったのもよくわかる。

明日、シビル・ローガンが来てくれるのが待ち遠しいな。



セリカが夕方の散歩に出かけると、厨房の方からロナルドがやって来た。


「師匠! ディクソン料理長に、セリカ様に挨拶をしてこいって言って、追い出されましたー。」


「この前はびっくりしたのよ。男爵家の嫡男さんが、どうして料理人になろうなんて思ったの?」


「そのう…赤ちゃんができたって聞いたから、これは僕のことなんて忘れられてるなと思ったんですよ。それにどうせ学ぶなら、一から本格的にやり方を盗ませてもらおうかと考えましてね。それには新しく出す店に関わるのが一番だと思ったんです。」


「ふふん、なるほどね。すごいじゃない。ロナルドが美味しい料理を出せる店を経営できるようになったら、バール男爵領を旅する人たちにも楽しみができそうね。」


「あの、盗むだなんて言って、怒ってません?」


「いいえ。美味しい料理がどこにいても食べられるのはいいことだわ。技術をしっかり盗んで、幸せを広げてちょうだい。」


「ホッ、さすが師匠だな。はいっ、頑張りまーす!」


あいかわらずロナルドは調子がいい。


けれど貴族の息子が料理人になってでも領地を何とかしようと考えているのは評価できる。

普通は親の言うなりになって、与えられた地位の上に胡坐をかいている人が多いだろう。


これからバール男爵領が変わっていったら、面白いことになりそうね。

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