第58話 準備万端

 五月の終わりになると、セリカは花文字の招待状を書き始めた。


バノック先生に習ったように、全体のバランスを見ながら余白を生かすように書いていく。


― なんだかカリグラフィーを描いてる気分。


奏子は日本で、飾り文字であるカリグラフィーを一時期、習ったことがあるらしく、思い切りのいい線を描くことが出来る。

この世界の花文字はカリグラフィーよりも曲線が多いが、そんな奏子の経験が今回も役に立っている。



やっと招待状を書きあげて、それを束にして領地管理人のヒップスに預けた時には、大仕事が終わってほっと息をついた。

ヒップスの方は、これから光る砂で郵便スタンプを描いていかなければならないので、目を白黒させていたけれど…。


セリカが次に取り掛かったのは、お客様の名前や役職、それに爵位などを覚えることだ。


この招待客の名前がなかなか覚えられないんだよね。


なんとか名前だけでも覚えておきたいと思っているんだけど、貴族は奥さんが多いから誰の奥さんだったかわからなくなっちゃう。

その上子どもも、どの奥さんの子どもなのかわからない。


― …トランプの神経衰弱やってるみたい。


奏子! 

それ使えるじゃない!



セリカは札に色分けして名前を書いて、ひっくり返して組み合わせを覚えることにした。


この招待状書きや名前当てクイズゲームの後にやっていたのは、百人の招待客一人一人の名前を書いた折り鶴を折ることだった。

けれどセリカが折っている鶴を見て、小さい頃にやった遊びをダニエルが思い出したらしい。


セリカはウェルカムプレートとしてこの折り鶴を使うつもりだったが、結局これは後から結婚式のイベントとして使うことになってしまった。




◇◇◇




そんな肩が凝る準備を続けていたセリカは、八刻のお茶の後に、菜園に行こうと、屋敷を抜け出した。


エレナが掃除の指揮をっているので、お供はシータだけである。


「あ~、なんだか最近、屋敷中がザワザワしてて落ち着かない。」


「仕方がありませんよ。もう結婚式までに日がないですから。タンジェントも食材の搬入が続いているので、厨房に付きっきりです。」


「もう赤外線センサーはついたんでしょ?」


「ええ、だからこそチェックが必要なんです。」


そうかー、最終的に人が確認しないといけないのか。

結婚式が終わったら、従業員の人たちの慰労会をしないとね~。



菜園では、庭師長のブライスさんと息子さんのハーヴが草取りをしてくれていた。


「おはようございます。」


「ああ、奥様。今日もいい天気ですなぁ。結婚式も晴れるといいんですが。」


ブライスさんが、火照った頬に光る汗を拭いながら、腰を伸ばして畑を自慢げに見回した。


「ここの夏野菜の苗も大きくなってきたわね。」


「ええ、見てやってください。セリカ様が最初に土をたがやしてくれたおかげで、根がしっかりつきましたよ。」


トマト、ナス、キュウリ、トウモロコシ、パプリカなどが枝を広げて伸び伸びと育って来ている。

最初に植えたキャベツやレタスなどは結球してきているので、もうすぐ食べられそうだ。


「ふふ、食べるのが楽しみね。ブライスさん、結婚式の準備で忙しい時に悪いんだけど、薔薇ばらの花やカスミ草を式の当日に私の部屋に届けてもらえる?」


「会場に飾る花とは別にですか?」


「ええ。できたらピンクと白の薔薇がいいわ。茎は長くなくていいから。髪飾りに使おうと思ってるの。」


「え?!」


ブライスさんも側についていたシータも驚いている。



普通、貴族の結婚式ではその家に代々伝わるティアラや宝石を身につけることが多いらしい。


けれど、セリカは奏子から聞いていた日本での結婚式のように、髪飾りを生花で作ることにした。

ダニエルに相談すると、自分も宝石や勲章ではなく、胸に同じ花をつけると言ってくれた。


二人が権力や家の名前にこだわらないということが、出席者である国の重鎮の人たちにもわかってもらえるだろうと考えたのだ。


装飾品に類するものは指輪だけ。


その指輪を置くためのピロークッションも、セリカが手作りをした。


ダニエルの部屋にある二つのクッションのデザインを融合させたものだ。


周りをぐるりと深緑の光沢のある紐で囲んで、四隅に房もつけている。

よくあるレースのものとは違うけど、私たちらしくていいかなと思っている。


ブライスさんにそんなセリカとダニエルの考えを話すと、花の用意を喜んで請け負ってくれた。



シータと一緒に庭を歩いて帰っていると、風が出て来たのか樹々の枝が大きく揺れていた。


「いい風ね。」


「それでも雨が降りそうですよ。雲も多くなってきてるようです。」


「雨降って地固まるじゃない? これも縁起がいいかもよ。」


「セリカ様は本当に何でも前向きにとらえられますね。」


「あら、シータは違うの?」


シータは、少し苦笑して遠い目をした。


「私は…こんな仕事をしてますから。見たくもない社会の裏側も見てきましたからね。」


「そっか、物事にはいい面ばかりじゃないものね。でもどちらを見て生きていくかは、その人の選択しだいだと思ってるの。私は、なるべく明るい面を見ていたいな。…ところで、シータとタンジェントは結婚しないの?」


「?! …セリカ様。」


突然のセリカの言葉に、シータは戸惑いを隠せない。

しだいに頬が赤くなってきているようだ。


「二人とも何を遠慮し合ってるのか知らないけど、側で見ていたら早くまとまったら?って思うんだけど。」


「そんなんじゃありません。それに、仕事がありますから…。」


仕事ね…。


「両立できると思うわよ。最近は二人とも私と話もしてくれるようになったし、ここの侯爵家にも慣れてきたでしょ? 私としては、出来たらずっと二人にうちにいて欲しいと思ってるの。腰を据えてね。無理強いはできないけど、考えてみてくれる?」


「…はい。」



タンジェントとシータは、一見すると男性が並んで立ってるように思うのだが、微妙に二人の間の距離が近いのだ。

奏子などは最初、BLっぽいとか訳の分からないことを言って盛り上がっていたが、セリカにとってはカップルにしか見えなかった。


夫婦なのかと思って聞いてみたら、二人して全否定された。

その否定の仕方があまりにも怪しかったので、セリカとしては気になってちょくちょく二人を観察していた。


シータの目線が、憧れの教官を見ているという、それ以上のものを感じたのよね~。


タンジェントにしても、シータに厳しく指導しているようでいて、ちょっと甘いものを感じる時もあったりして…。


要は、タンジェントにしてもシータにしてもきっかけなのよね。

仕事として、上司と部下として、きっちり線を引き過ぎてるように見える。


オディエ国の人って、真面目だから。



セリカが二人のことを詮索していると、奏子に「その勘をダニエルの方に向けてみたら?」とよく言われる。


奏子の言っている「好き好き光線」が、いまいちよくわからない。


ダニエルは夜以外には、セリカにべたべたと触れて来ることもないし、話している内容も結婚式の事務的な連絡がほとんどだ。


セリカを好きな気持ちが、態度に出てるかなぁ?


セリカとしては、一日三食の食事の時の会話や、たまにすっぽかされる散歩などを通して、ダニエルのことを身近に、家族として感じられるようになってきた。

寝る時も…その、毎日一緒だし。


こういう穏やかな夫婦のあり方も、いいのではないかと思っている。


母さんと約束したように、出会った縁を大切にして、前向きに生きていけてるんじゃないかな。



そんなことを考えていたセリカは、屋敷に帰って朝とは違ったざわめきに迎えられた。

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