第53話 会食
オードブルが給仕されると、みんなは思い思いに食べ始めた。
セリカがうずら卵を口に入れた途端に、斜め向かいに座っていた第三夫人のグレタが愚痴を言い始めた。
「
他の人たちはグレタの愚痴に慣れているのか、下を向いて黙々と食べている。
つい反応して顔を上げてしまったセリカに向かって、グレタは続けた。
「平民は
「はい、いただきます。
「へえ、まぁ平民向きの味かも知れないね。」
「あら、そう言って頂けるとありがたいですわ。うずら卵は繊細なコクがあるんですもの。」
グレタとセリカがそんな話をしていると、遠くの方に座っているアナベルが聞こえよがしに鼻を鳴らした。
公爵令嬢でも、お行儀が悪い人もいるのね。
― アナベルは、セリカに敵対心を持ってるんじゃない?
ずっと睨んでたし。
なんで敵認定されてるのかわからないわね。
「セリカさんは飯屋の給仕をされていたとか…。」
今度は第二夫人のハリエットが話しかけてきた。
「はい。家族でトレントの店という庶民向けの飯屋をやっていました。」
「まぁ…そうなんですね。」
ハリエットはちょうどオードブルを下げにやってきた給仕の人とセリカを見比べる。
「こちらの洗練された給仕の仕方とは違うんですよ。庶民の飯屋ではスピードが命ですからね。腕や手に持ちきれないほどの、エールのジョッキやお皿を抱えて座席の間を回るんです。その間に値段を計算して覚えておかなければなりませんし。求められるスキルが少し違いますね。」
「そ、そうなの。」
セリカの怒涛の説明に、ハリエットは声の勢いを失った。
次にアナベルが話しかけてきた。
「計算なんて、平民でもできるのね。」
ちょっと小馬鹿にしたような口調だ。
…貴族よりは、平民の方が計算が早いと思うけどなぁ。
マリアンヌさんたちも買い物の時にはお付きのロイスさんにお財布を持たせてたし。
「例えば五人のお客様が今日のお勧めの五百ポトンの料理をそれぞれ頼まれて、三人の方が三百ポトンのエールのジョッキ、一人の方が二百ポトンのエールのグラス、一人の方が百ポトンのサワージュースを頼まれたら、全部でいくらになると思いますか?」
「え、えっ? 500+500=1000+500=1500+………。」
「アナベルさん、そういう時は掛け算と足し算を両方使うんです。500×5+300×3+200+100=2500+900+300=3700ポトン っていう風に。もちろん家族だとこうやってまとめて支払い金額をお伝えしますし、職場の同僚と来られている時は、一人一人の食べ物と飲み物の合計額をお伝えします。給仕をしながら暗算で計算ができないと飯屋のプロとは言えません。」
「掛け算…?」
「あ、そう言えば大学課程にならないと掛け算は習わないとダルトン先生がおっしゃってました。アナベルさんは今年成人の十五歳だそうですから、掛け算は来年からですね。」
「アナベルは大学になど行きません。もちろん嫁に行かせますとも。」
お母さんのハリエットさんが、嫌な顔をして口を挟んできた。
― セリカ、そう言えばこの世界の貴族の大学は結婚できな
かった人が仕方なく行く所になってるんじゃなかった?
あ、そうだった。
「失礼しました。もちろん公爵家のお嬢様ですもの、そうされるのでしょうね。どちらに嫁がれるのか、もう決まってらっしゃるんですか?」
セリカが問いかけると、その場がシーンと静まり返った。
あれ?
なんか地雷を踏んじゃった?
でも高位貴族の結婚は早くから決まっているって、バノック先生に聞いてたんだけど…。
セリカの両隣のカールスン伯爵とダニエルが笑いをこらえるように震えている。
その後は会話の少ない、いやに静かな会食になってしまった。
セリカはずっと話をしていたので、皆より食べるスピードが遅れていたため、軽い加速の魔法をかけて優雅に、けれど早く食事を進めて、皆に追いついて食事を終わらせた。
メインで出た、牛テールの赤ワイン煮込みがとろけるように美味しかった。
帰ってからディクソンに作り方を聞いてみよう。
◇◇◇
これは身内の会食であったけれど、正式な晩餐会のようにするらしく、食後は男女に別れて応接間に移るようだ。
セリカたちは第一夫人のシャロンに促されて、大広間の隣にある応接間に向かった。
皆は自分の座る椅子が決まっているらしく、サッサと座っていく。
セリカが戸惑っていると、シャロンお義母様が隣に座りなさいと言ってくださった。
ありがたく隣に座らせて頂く。
プンッとお義母様のお香のような香水の香りがした。
そう言えばお義母様は私に話しかけなかったよね。
― そうね。
そう言えば話していたのは、第二夫人のハリエットと
娘のアナベル、それに第三夫人のグレタだけだったわ。
カイラは大人しそうだし。
お義母様は…無口なのかしら?
「アナベル、皆さんにピアノを弾いてさしあげなさいな。バイエル先生に褒められた曲があるんでしょ?」
ハリエットが得意顔で娘のアナベルに指示した。
アナベルも鼻をツンとあげて、カイラやセリカを見る。
「はい、お母様。それでは『騎兵の進軍』を弾かせて頂きます。カイラ、楽譜をめくってくれる?」
「ええ。」
カイラが位置に着くと、アナベルは背中を丸めて鍵盤にかぶさるようにしてグランドピアノを弾き始めた。
重厚な低音のリズムから始まるその曲は、奏子の世界の「アラベスク」という曲に似ていた。
― うーん、左手のリズムと右手の早い動きが合ってないわ
ね。いやにまったりとした兵士の進軍ね。
…ちょっと
それでも曲が終わると皆で拍手をした。
ハリエットは大きな音で拍手をしながら、セリカに言った。
「セリカさんも何か弾いてくださらないかしら?」
「ハリエット、セリカは貴族になったばかりなのよ。」
お義母様のシャロンがセリカをかばってくださっているようだ。
ははぁーん、そういうことね。
― どうもセリカに恥をかかせるのがハリエット親子の目的の
ようね。
フフッ、受けて立ちましょうか。
― あのデロデロした演奏の後だったら、ゆったりした爽やか
な曲の方がいいわね。
奏子は発表会で練習したことがある、リストの「愛の夢 第三番」を弾くことにしたようだ。
「かまいませんよ、お義母様。お近づきの印に私もピアノを弾かせて頂きます。まだ慣れませんのでお耳汚しかとは思いますが、ご容赦くださいませ。」
「楽譜はどうしましょうか?」
「暗譜していますので、カイラさんも座って聞いてくださる?」
「…わかりました。」
セリカはスッと背筋を伸ばして椅子に座ると、優しく鍵盤に手を置いた。
セリカが曲を奏で始めると、ホゥというため息が皆の口から漏れてきた。
静かにそして情熱的に、妖精の踊りを誘うような曲をセリカが弾き終えると、応接間の戸口の方からも男の人たちが手を叩きながら入って来た。
「これはすごいな。名のある音楽家の演奏会に行ったようだ。」
エクスムア公爵が大声でセリカの演奏を褒めてくれる。
「それにこんな曲は聞いたことがない。誰の作曲だい?」
カールスン伯爵に聞かれたので、セリカはリストというここでは知られていない平民の音楽家だとだけ言っておいた。
異世界では有名な人だけどね。
セリカが元の椅子に座ると、カイラが側に寄って来て小声でセリカに話しかけてきた。
「セリカさん、お話したいことがあるから後で図書室に一緒に行って下さらない?」
「ええ、いいわよ。」
この後カイラの話を聞いて、セリカはここ公爵家の人たちの有様に納得したのだった。
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