第33話 心の半分

 朝食の席に出なかったので、ダレニアン伯爵家の方々の顔を恥ずかしくてまともに見られないという、気まずい昼食を終えて二人で部屋に戻ると、侯爵様は王都へ帰る支度を始めた。


「そう言えば侯爵様は従者の方を連れてこなかったんですね。」


「ダニエルと呼べと言っただろう。」


そう言えばそうでした。

あの…後、セリカたちが夫婦となった後に、侯爵様に名前で呼ぶように言われたことを忘れてました。



「ダニエル様…。」


「様はいらない。」


「…ダニエルは、従者の人がいないんですか?」


「今回、すぐに帰るつもりだったからコールは屋敷においてきた。」


「コールという名前なんですね。」


「ああ、コールは弟でもある。」


「え?」


「父のエクスムア公爵のめかけの子だ。平民なので魔法量が少ない。それで私が彼を採りたてることにしたんだ。」


…なんだかここにも深い事情がありそう。



「父は国王とは違って妻や妾の数が少ないから、セリカもすぐに覚えられると思うよ。私の母のシャロンは第一夫人だ。第二夫人はハリエット、元気な人だ。第三夫人はグレタ、この人は愚痴が多い。そしてコールの母親になる妾のマリア。彼女が一番母親らしいかな。」


それでも四人もいるんだ。


「お母さま、シャロンさんはどんな方なんですか?」


「……公爵家の出身だから気位が高い。作法にうるさいかな。子どもは私だけだ。第二夫人のハリエットのところに、アナベルという娘がいる。第三夫人のグレタの娘のカイラは、あまり物を言わない大人しい子だ。」


「ということは、兄弟が四人なんですね。」


「…ああ。しかし私はもう独立しているからな、関りがあるのはありがたいことに、コールぐらいだ。他の人たちは名前を知っておくだけでいい。」


妹たちとは、あんまり仲が良くないのかしら?



思いがけず、兄弟や親族の話を聞くことが出来た。


ダニエルは話しながらも手早く荷物をまとめていて、自分で出立の準備を整えた。

荷物を背中に背負って斜めがけにして身体の前でベルトでとめている。


あれ?

馬車で帰るんじゃないのかしら?



「それでは、また五月に迎えに来る。それまでにしっかり勉強しておくように。」


「はい、わかりました。」


ダニエルはセリカの頭を撫でて、腰をかがめて額にキスを一つ落とすと、ベランダに出て指笛を吹いた。


すると山の方から白い鳥が飛んできた。

見る見る大きくなるその鳥に向かってダニエルも飛び立っていく。


― セリカ、あれは鳥じゃないよ!


…ペガサスだね。



「ペガサスに乗った王子様だ。」


ダニエルはペガサスにまたがると、セリカに一度だけ手を振って、空の彼方へ消えていった。



なんなの奏子。

あの人って、本当にペガサスの王子だったんだね。


― レイチェルって、何者?

  彼女は服屋より探偵の方が向いてるんじゃない?


ふふ、予言者とか…。



レイチェルがこの事を知ったらどんな噂を立てるだろう。

それを想像するとセリカは笑いが溢れるのを止められなかった。




◇◇◇




 午後の授業が終わって、セリカが三階の勉強部屋を出ると、ペネロピの付き人が廊下に立っていた。


「セリカ様、突然すみません。もしお時間があればペネロピ様がお話したいことがあるそうなんですが。」


「あ、はい。いいですよ。勉強道具を部屋に置いたらすぐに伺いますね。」


「よろしくお願いします。」



なんだろ?


― ペネロピが直接話があるって珍しいね。


そうだね。

お茶をする時には、いつもマリアンヌさんのとこのロイスさんが声をかけてくれてたし。



セリカがペネロピのところを訪ねると、もうお茶の用意がしてあって、お付きの人も赤ちゃんのアルマも部屋にいなかった。


「こんにちは。疲れてるところをごめんなさいね。」


「いいえ、お話ができるのは嬉しいわ。呼んでくださってありがとう。もうベッドから出られたのね。」


「ええ、一か月が来るから。身体の方は…もうすっかりいいの。」


ペネロピは今日は春らしい薄手の黄褐色のドレスを着て、落ち着いた草色の壁紙で彩られた部屋に座っている。

森の中の春の妖精みたいだ。



「ねぇ、セリカ。昨夜はどうだった? うまくいった?」


「まぁペネロピったら。そういう話なのぉ? 私とレイチェルがミランダ姉さんを質問攻めにした時みたい。でもあなたは経験者なのに…。」


「侯爵閣下はセリカが最初の奥様でしょ。なにか違いがあるのかなと思ったのよ。」


「最初?」


「う…ん。私は二番目の奥さんでしょ。なんとなく、なんとなくだけどクリストフ様の情熱が薄い気がするのよね。」


奏子、私は妻生活一日目にして、結構ハードな質問を受けてる気がするんですが。


― だね。

  やっぱり奥さんが複数いると仲がいいとはいっても

  こういうことを考えちゃうよね。



「うーん、クリストフ様がどうなのか私にはわかりようがないわ。それに私も初めてのことだったから誰かと比べられないし。…なにか悩みでもあるの? ペネロピ。」


「…マリアンヌさんのところに二人目ができたでしょ?」


「うん。」


「貴族で二人目の子どもができるのって珍しいの。」


「え? ああ、そう言えば今朝聞いたダニエルのお父様も、一人の奥様に子どもが一人ずつだったかも。」



「ダニエルって呼んでるんだ。」


「…照れるけど、そう呼べって言われちゃって。」


ペネロピはセリカの話を聞くと悲しそうな顔をした。


「私は何も言われてないの。それで今でもずっとクリストフ様よ。マリアンヌさんはクリスって呼んでるのに。」


「…そう言えばそうね。でもマリアンヌさんは年上だからじゃない? それに男の人からしたらペネロピみたいな可愛い子に様づけで呼ばれるのが好きな人もいるかもよ。」


「そうなの?!」



セリカは奏子の記憶にある『お帰りなさいませ、ご主人様。』という言葉が売りのメイド喫茶の話をした。

ペネロピは藁にも縋るような顔をしてその話を聞いていた。


「こんな感じで、人それぞれよ。クリストフ様からしてみればマリアンヌさんもペネロピもそれぞれ個性が違うんだから違う対応になるのは当たり前じゃないかしら。あんまり気になるんなら、二人だけの時に聞いてみたら?」


「うん、そうしてみる。ありがとう、セリカ。なんか一人でいるといろいろ考えすぎちゃって。」


― 産後うつ病かもね。

  ホルモンのバランスも悪くなってるから。


そしてなぜだか経産婦のペネロピに、子どもを産んだこともないセリカが、奏子の日本での医学知識を話すことになったのだった。



ペネロピは少し元気が出て来たようで、悩みの素になっているこんな話もしてくれた。


「私は子爵家の出でしょ? まさか第二夫人になるなんて思わなかったの。小さな田舎町でたった一人の男性と結婚して添い遂げるのだと思ってたのよ。小さい頃におばあちゃんが言ってたの。『人は生まれる前に心を半分にしてこの世に生まれてくるんだよ。生きていくっていうのはもう半分の心を探す旅さ。』クリストフ様に会った時、私の心の半分がここにいたのねと思ったわ。でも、その人にはもう奥様がいた。」


― うーん、それは辛いね。


おばあちゃんも、一夫多妻もある貴族社会なのに何でそんな話をしたのかね。

罪な人だな。


― ロマンチストだったんだろうね。



『心の半分』か…。

もしそんなのがあるんだったら、私の心の半分はダニエルじゃなさそうだね。


― どうして?


だって義父に似ても四人の妻。

父親に似たら五人の正妻に数えきれない妾だよ。


― ふふ、確かに。


ダニエルも今までは独身を通してたけど、お見合いの話がたくさん来てるって言ってたし、これから奥様も増えていきそう。


― ペネロピの悩みは、未来の私たちの悩みかもね。



「貴族の妻になった者は、違うお伽噺を信じるべきだよ!」


セリカはペネロピと一緒にそう言って、笑ったのだった。

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