第29話 森の家

 ここに来るのは半年ぶりだ。


アン叔母さんは街に出て来た時にはいつも店に寄ってくれていたので、何度か会ってるけど。

森の家の方は、セリカが去年の夏に来てからずっとご無沙汰をしている。


街道のつきあたりまで来たので、セリカは馬車を止めてもらった。



この先は険しい山道になって、人が住んでいない高山帯に続いている。

叔母さんの家は、この山道から途中でわき道に入って、山のすそ野をぐるりと回っていくことになる。


「ここから少し森の中に入っていきます。奥様、大丈夫ですか? 歩けますか?」


「今日は調子がいいみたい。まだ大丈夫そうです。」


エレノアさんは帽子を被ると、フロイド先生に支えられて馬車から降りた。



三人でお喋りをしながらゆっくりと森の中を歩いて行く。


小鳥の鳴き声があちこちから聞こえてくる。

森の中では春の恋の季節が始まっているのかもしれない。


「ここは本当に人が訪れそうにないね。」


「そうなんです。それで私もこっそりと魔法を使うことができました。」



セリカの言葉にエレノアさんは不思議そうな顔をする。


「私なんか魔法量が少なくてお嫁にいけないかもしれないって悩んでたのに、平民は魔法量があり過ぎて悩むのね。」


「そう言われてみればおかしな話ですね。でも私は家族と離れたくなかったですし、魔法は一生隠し通すつもりでした。」



フロイド先生は、迷いの残る口調でセリカに話しかけてきた。


「僕がこんなことを話すとダニエルに怒られるかもしれないけど、彼はいい奴だよ。ちょっと仕事をし過ぎだとは思うけど。」


「そうね。侯爵閣下は家庭が複雑だから、仕事に癒しを求めてしまうようなあんなひねた性格になっちゃったのかも。」


「エレノア…。」


「だって一緒に暮らすようになったら隠しててもセリカさんにはわかることでしょ。あの人を理解してあげられるのはセリカさんだけかもしれないわ。貴族の中で育ってないからこそ、侯爵閣下の気持ちがわかるんじゃないかしら。」



そう言ってエレノアさんが教えてくれた侯爵様の生い立ちを聞いて、セリカは気の毒になってしまった。


ダニエルは、現国王ファジャンシル十五世がまだ第一王子だった時に平民の妾に産ませた子どもで、幼い頃は貧民街で母親と共に暮らしていたそうだ。

七歳の時に母親が病気で死に、弁護士が養子先を探すために魔法量の検査を受けさせたところ、とんでもない数値が出てしまった。


そこからは手のひらを返したように周りの態度が変わってしまう。


王宮に連れていかれて王子である父親に初めて会った時に、弟のエクスムア公爵の養子になるように告げられる。

しかし公爵家でもダニエルのことをどう扱っていいのか持て余していたらしい。


国王の息子であるヘイズ第二王子やジュリアン第一王子、クリフ第三王子と一緒に「従兄弟会」という名目で、夏に山の離宮で一か月間過ごすことが、ダニエルにとっては唯一の楽しみだったようだ。



「こういう裏事情を私がなぜ知ってるかというと、うちの両親がエクスムア公爵の第一夫人であるシャロン様の遠縁だったからなの。うちの父は公爵家で家令をしていたのよ。その縁で私はフロイドに嫁ぐことになったんだけど。」


「そんな縁がなくても僕は君に出会っていたよ。」


「ジェフ…。」


フロイド先生ご夫妻は甘い雰囲気を漂わせていたが、セリカは聞いてはいけないような話を聞いてしまった気がして、おののいていた。



それで侯爵様は平民が食べるような飯屋の料理が好きなのかしら。


独身主義者なのも、亡くなった母親の辛い立場を見てきていたから?


そう言えば念話をしていた時に第二王子様のことをヘイズ兄さんと呼んでた。

従兄弟同士だからだと思ってたけど、本当に血のつながった兄弟だったのね。



セリカは森の家に着くまで、そんな風にずっと侯爵様のことをあれこれと考え続けていた。




◇◇◇




 可愛い茅葺かやぶきの森の家が見えてきた時、フロイド先生とエレノアさんは喜びの声を上げた。


「まぁ、なんて素敵な家なの! 庭にお花がいっぱい咲いてるわ。」


「本当に小人の村にある家みたいだな。」


「あの花は、全部ハーブの花なんですよ。組み合わせると薬にもなるんです。」



セリカが外に吊るしてあるガラスチャイムを揺すると、チリンチリンという涼やかな音が森にこだました。


「はぁ…い?」


アン叔母さんのいぶかし気な返事が聞こえる。


「叔母さん、セリカです!」


「まぁ、どうしたのよセリカ!」


勢いよく扉を開けた叔母さんは、セリカの後ろに知らない人がいるのに気づいて目を丸くした。



「突然来てごめんね。こちらは私が勉強を教えてもらってるフロイド先生と奥様のエレノアさん。」


「こんにちは。エレノアと申します。今日は私が無理を言ってセリカさんに連れて来てもらいましたの。実は…。」


「まぁ奥様、立ち話もなんですから中に入ってくださいな。狭い所ですけどどうぞ。この陽気の中を歩いてこられたのなら喉が渇いたでしょう。ありがたいことに冷たい水ならたっぷりありますからね。」



アン叔母さんはみんなを家の中に入れて、台所に案内した。


「セリカ、椅子を持って来て頂戴。」


ダイニングテーブルには椅子が二脚しかない。

セリカは居間に行って、椅子をもう二つ持ってきた。


アン叔母さんが出してくれた水を、セリカたちはゴクゴクと飲んだ。



「この水は美味いなぁ。」


フロイド先生が一番に飲み干して、叔母さんにおかわりをいでもらっている。


「これはビューレ山脈から湧き出る『癒しの水』ですからね。疲れもとれますし薬の原料にもなるんです。」


「なるほど。それでダレニアン伯爵領では病気の発現率が低いんでしょうか?」


「昔からビューレの山の神が里を守っているという言い伝えもあります。おかげがあるんでしょうね。」



叔母さんはフロイド先生や奏子の話を聞いて、エレノアさんの病気について大体のところを理解したようだ。


「わかりました。奥様、魔法量は多い方ですか?」


「いえ、私は家系的には中程度の魔法量を期待されてたんですが、光と風しか使えないんです。」


「それもあるのかもしれませんね。フロイド先生は水を操れますか?」


「はい。」


「それなら処置を旦那様に頼みましょう。」



叔母さんが提案したのはとてもシンプルな治療法だった。


「人の身体は七割がた水で出来ていると言います。普段の飲料水、食事に使う水にこの『癒しの水』を使ってください。それで徐々に体質改善をしていきましょう。王都のお医者さんにもらったお薬はそのまま使ってください。疱瘡ほうそうになっている部分は皮膚が痛んでいます。この水を魔法で傷口にしばし留めて緩やかな除菌をします。その後、風魔法で乾かします。皮膚が突っ張る感じになるでしょうから、こちらの保湿と防菌効果のあるクリームで皮膚を守りましょうか。少し特殊な成分が入ってますので、疱瘡の上にだけ塗ってください。奥様、かゆくなっても掻いてはいけませんよ。」



エレノアさんに軟膏を渡した後で、叔母さんが家の奥から持って来たのはつるつると黒光している卵のような石だった。


「これは以前違う病気で水を使った治療をした貴族の方からお礼に頂いていたものです。」


「これは珍しい。ウォーターストーンですね。」


「やはり先生は知っておられたのですね。こちらを差し上げますから、水を呼び出すときに使ってください。」



「いえ、こんな高価なものをいただくなんてできません。」


「ふふ、魔法の使えない平民にとってはただの石ころなんですよ。これのついになるものは、源泉に沈めてあるので水が枯れない限りは使えます。」


「……なんてお礼を言っていいのか。」


「いいえ、お大事になさってください。」


アン叔母さんって、魔法についてもいくらかの知識があったんだね。


― それでセリカのことも預かってくれてたのかもね。



その後、木漏れ日がチラチラ射し込むウッドデッキで、アン叔母さんお手製のシフォンケーキでお茶を頂いた。

秋に砂糖漬けにした瓶詰のベリーと黄金色のとろりとした蜂蜜をかけると、ほっぺたが落ちそうなくらい美味しかった。



お腹も心も満足した三人が馬車でダレニアン伯爵邸に帰って来ると、そこではラザフォード侯爵様がセリカたちの帰りを待ち構えていた。


「遅かったな。」


……どこかで聞いたセリフだね。


― 思ってたより早かったわね。

  侯爵様も早く結婚したいのかもよ。


「まさかっ!」


セリカの声に、侯爵様の眉毛がピクリと動いたのだった。

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