第30話 二人の時間
ずっと広過ぎると感じていたセリカの部屋のソファに侯爵様が座っている。
机の上の念話器から現れるちっこい侯爵様を見慣れていたので、なんだか大きく見えてしまう。
「侯爵様。」
「なんだ?」
「いえ、ちょっと呼んでみただけです。」
一人で楽しんでいるセリカを侯爵様は
「何をそんなにニコニコしてるんだ?」
「この部屋にお客様がいらしたのが久しぶりなもので。一度、マリアンヌさんとティムくんが遊びに来てくださったんですけど、私の勉強が忙しくなってからは、どなたもおいでにならなかったんです。」
「それはそうだろう。勉強が一番大事だ。」
「そうでしょうか? 私は家族と過ごす夕べが一番大切だと思ってました。ここで独りで暮らすようになって、よけいにそう思います。」
― セリカ、侯爵様に家族の話は厳禁なんじゃない?
あ…言っちゃった。
セリカが急に顔色を変えたのを見て、侯爵様は何かを思い出したらしい。
「ダルトン先生に聞いたが、君は二重人格だそうだな。ニッポンという国で育ったソーコと言う女性が君の中にいると聞いた。」
「ええ、二重人格と言われれば言葉通りではあるんですが、その時々で切り替わるというより前世の人格がいつも一緒にいるという感じなんです。」
「話しているのはそのソーコと言う人なのか? それともセリカなのか?」
「うーん、どちらかというとセリカが話していて、奏子が相槌を打ってくれる感じですかねぇ。でもそんなことを突き詰めて考えたことがなかったな。」
「私にも、ダルトン先生たちが言っていたニッポンという国の話を聞かせてくれないか?」
― へぇ~、いいですよ。
そうだ、念話器に近いアイフォンの話をしましょうか。
ところが奏子が話し出したことを聞いて、侯爵様はセリカとの話はそっちのけにして仕事モードになってしまった。
セリカに筆記用具を出させて、自分たちが作った念話器の改善点をまず書きだし、その隣にアイフォンの特性を書いていっている。
「なるほど、最初は声だけで映像はスイッチで切り替えたらいいのか…。そうすると寝間着を見られることもないな。シャシン? 写し絵のことだろうか…。立体映像があるのに必要か? ラインでチャットって何だ? ツイートする意味がわからん。」
どうやら侯爵様の意識は別の次元帯に行ってしまったようだ。
ブツブツと独り言を言っている侯爵様を、セリカは優しい顔をして眺めていた。
七歳でお母さんが亡くなるなんて、独りぼっちになって寂しかっただろうね。
― この人はずっと家族の愛情が薄い場所で生きてきたんだ
ね。
うん。
その中で踏ん張って、こうして立派な大人になったんだ。
家ではゆっくりさせてあげたいね。
― おお、妻の心得ですか?
王命や政治バランスで決まった結婚だけど、何年かは家族として一緒に生活するわけだし、少しは私もそれらしいことを考えないとね。
― えらいえらい。
カールたちに負けないように、私たちも頑張らなくちゃと
いうことね。
エバが夕食の時間ですと言って呼びに来るまで、侯爵様とセリカはこんな二人きりの時間を楽しんでいた。
◇◇◇
今日は侯爵様が来ているので、セリカの先生たちも一緒に大勢での夕食だった。
ウェイティングルームで食前酒を飲みながら、セリカたちが出かけた森の家の話などをする。
「その『癒しの水』は興味深いな。フロイド、わしにも一度飲ませてくれ。」
「いいですよ。お部屋の方へ持っていきますよ。」
ダルトン先生はウォーターストーンごと持って来いとフロイド先生に念押ししていた。
あの石はダルトン先生でも若い時に一度見ただけというような珍しいものらしい。
そんなものが、アン叔母さんの家にあったなんて驚きだよね。
食事室の用意ができると、カップルで移動することになる。
正式な晩餐会では、この場の最高位貴族である侯爵様が伯爵夫人をエスコートすることになるのだが、今日は内輪の晩餐なので、侯爵様はセリカにエスコートの腕を差し出した。
初めて触る侯爵様の腕は固く引き締まっていた。
何日か前にセリカが晩餐会の練習をした時には、ダルトン先生がエスコートをしてくださったので、歩く歩幅や腕の感触が年齢によって違うんだなと言うことを感じた。
ダルトン先生のエスコートは優しくて手馴れている感じがした。
かたや侯爵様は固くて近寄りがたい感じだ。
「晩餐会のマナーは習ったのか?」
「はい、一度だけですが。」
「ふむ、六月までに王宮晩餐会のマナーまでやっておくようにとバノックさんに言っといてくれ。」
ゲゲッ、王宮?
聞いただけで緊張するよ~。
知ってる人ばかりの内輪の晩餐会でもドキドキしてるのに…。
「もしかして結婚式は六月になりそうなんですか?」
「ああ、ジュリアンから早くするようにと言われた。秋物のドレスを注文しようとしたのに、夏物に変更だ。まぁそのほうが安く済むかもしれないが。」
侯爵様…。
夢も希望もない発言ですね。
― この人にはロマンスを期待できそうにないね。
だね。
テーブルにつくと、両隣の人や向かいに座っている人たちと失礼のないように話をしていくのがマナーだ。
伯爵様、ダルトン先生、侯爵様の三人が政治の話を始めたので、セリカは向かいに座っているマリアンヌさんと夏服を買いに行く話をしていた。
結婚式が早まるのなら、王都に行くのも五月ぐらいになるのかもしれない。
そうなると今から初夏に着る注文服をこしらえたほうがいいとマリアンヌさんは話していた。
しかしオードブルが下げられて魚料理が出てくると、マリアンヌさんの顔色が蒼白になった。
セリカが慌ててフロイド先生と話をしていたクリストフ様に注意を促す。
「クリストフ様、マリアンヌさんが…。」
「あ、これは。皆さま途中退席は誠に失礼なことですが、妻は今つわりの時期でして…席を外させてください。」
クリストフ様がマリアンヌさんと退出すると、配膳係の人たちがすぐに席を詰めて、バノック先生と伯爵夫人が席を移動した。
最初からこうなった場合の根回しがしてあったようだ。
バノック先生が良い機会だからと、セリカに女主人の役割を教えてくれた。
「このように晩餐会の席順を決めて、滞りなく食事を進められるようにするのも女主人の役割です。席をカップルで偶数にして、地位や称号、仲の良し悪し、話題が弾むかどうかなどを考えて席順を決めます。今回のように不安材料があった場合には、厨房や配膳のスタッフ、そしてお客様にもあらかじめ根回ししておく必要があります。こちらの伯爵夫人がされていたことをお手本に覚えておきましょう。」
「はい。」
なるほど。
女主人の心配りが行き届いているかどうかで、お客様の印象も変わって来るのね。
― これは飯屋でも同じね。
うん。
でも地位や称号、貴族間のお付き合いのことなんかは知らないから覚えなくちゃならないんだね。
なんか覚えることがいっぱいありそう。
「マリアンヌは二人目が出来たのか?」
「はい、そうみたいです。」
「ふーん、これはまたヘイズ兄さんがジュリアンに文句を言いそうだ。」
……また侯爵様が訳の分からないことを言い出したよ。
誰か私に説明してくれませんかね。
昼間に聞いた侯爵様の生い立ちも複雑だったし、貴族の関係ってよくわからない。
ちょっと遠い目になったセリカだった。
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