第15話 指輪騒動
レーナン農場に夕暮れの気配が漂って来た。
風も涼しくなって、ちょっと肌寒い。
セリカが持って来た肩掛けを羽織ろうとしていた時に、レイチェルがセリカの側にやって来た。
「セリカ、用意が出来たからちょっと来てくれない?」
「何の用意が出来たの?」
さっきまでレイチェルはボブ・レーナンと踊っていたはずだ。
ソバカスのボブ・レーナンが大きくなったもんだなぁと思いながら、セリカは二人が踊るのを見ていた。
納屋にはいろんな形の椅子が置いてあって、そこに付き添いで来た人たちが座れるようになっている。
どうも農業特区の各家庭から持ってこられた物らしく、椅子ごとに持ち主の札がぶら下げられている。
セリカが座っているのは、トーマスさんの家の椅子だ。
毛糸編みの座布団が敷いてあるので肌寒くなった今はちょうど居心地がいい。
しかしレイチェルはそんなセリカを引っ張って立たせると、納屋の外に出てレーナンさんの家の裏庭まで連れて行った。
いったい、何の用事だろう。
外では大勢の人たちが、布の覆いがかけられた干し草の椅子に座って、春の夕暮れを楽しんでいる。
こうやってみると納屋のパーティーも風情があっていいかもね。
家の勝手口のところに行くと、ブリキの
おめかしした青年が二人、盥の側に立っているのは変な風景だ。
基礎学校の男の子なら、水遊びをするだろうけど。
「セリカちゃん、僕を覚えてる?」
「もちろん。ボブ・レーナンでしょ。久しぶりね。今日はお世話になります。」
「基礎学校を九歳で卒業して以来だね。レイチェルもセリカちゃんも綺麗になっててわからなかったよ。」
そういうボブも背が高くなって、
昔のソバカスで味噌っ歯だった子どもの頃の面影はどこにもない。
「セリカ、この盥に手をつけてみろよ。ボブが濃い石鹸水なら指輪が外れるんじゃないかって言うんだ。」
あっちゃ~。
レイチェルの勘違いをそのままにしておいたのは不味かったかな。
ハリーが期待を込めて、セリカの左手を見ている。
もしかしたら、指輪が外れたら今日、ハリーと結婚できるとでもレイチェルに言われたのかもしれない。
困ったな。
魔法の指輪の意思とやらで、こんなことでは外れないんだけど。
でも少しはやってみないとこの場は収まらないだろうな。
「じゃあ、やってみるね。」
セリカは左手の袖をめくって、手を盥の中につけてみた。
確かにぬるぬるして濃い石鹸水だ。
右手で引っ張ってみるが、やはり抜けない。
セリカを手伝おうとレイチェルも手を入れて指輪を回したが、当然外れない。
これ、私も一度やってみたんだよね。
指輪は回るんだけど、外そうとするとびくともしないのよ。
「男の力じゃないと外れないかも。ボブがセリカの手首を持って、ハリーが指輪を引っ張ってみてよ!」
ボブとハリーがレイチェルの言う通り、盥の中に手を入れてセリカの左手に触った時だ。
ザバッという音と共に辺りが白い光に包まれて、ボブとハリーがビューンとあっという間に空高く飛んで行った。
「「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」」
水しぶきを浴びて、セリカとレイチェルは呆然と飛んで行く二人を見ていたが、セリカはハッとして魔法を使うと二人を干し草の山の中に落ちるように誘導した。
「何?! 何が起こったの?!」
レイチェルはパニックになって金切り声でキーキー叫び続けている。
外にいた男の人たちが何人も走って行って、二人を干し草の山の中から掘り出し始めた。
しばらくしたら全身が干し草まみれになった二人がよろよろと歩いて出てきたので、セリカはホッとした。
……でもこれ、大変なことになっちゃったね。
― 指輪、凄い威力だね。
侯爵様が「守り」って言ってたけど、結構危ない道具じゃない?
どんな風に守りが発動するのか言っておいて欲しいよね。
もしかして男の人がセリカに触ったら、みんなあんなことになってしまうのだろうか?
◇◇◇
外の騒ぎに、使命を果たして帰ろうとしていたクリストフ様が裏庭までやって来た。
後ろからぞろぞろと街のお偉いさんたちもついてくる。
「派手にやったなぁ、セリカ。」
「私じゃなくて、やったのはこの指輪なんです。」
私が魔法を使ったなんて思われたらとんでもない。
ここはちゃんと言っておかないと。
「そうか。さすが侯爵家の指輪だな。守りの力が半端ないわ。」
クリストフ様の言うことを後ろで聞いていた町長が、どういうことなのか訪ねてきた。
「侯爵家の指輪の守りとは、何のことですか?」
「ここにいるセリカは、友人のラザフォード侯爵の婚約者なんだよ。この騒ぎは、侯爵家の婚約指輪がセリカに寄って来た虫を撃退したということかな。」
あー、言っちゃったよ。
「この娘さんが侯爵閣下の婚約者なんですか?!」
町長や周りに集まっていた人たちのセリカを見る目が一気に変わる。
レイチェルは叫ぶのをやめて、セリカの左手を恐れるように見ていた。
― なんかいっぺんに大勢の人にバレちゃったね。
これで私に近付く人は誰もいなくなったりして……。
― 大丈夫よセリカ。
私がいるでしょ。
奏子。
…どっちみち魔法を使えることがバレても、こういうことになったんだろうね。
― そうかもね。
でも貴族社会では異質じゃないんだから、
これからの生活ではセリカはの存在は普通になるんじゃ
ない?
うん…。
セリカはショックを受けている自分の気持ちをなんとか立て直そうとしていた。
けれどレイチェルの異質なものを恐れているような目が、セリカの心に突き刺さる。
セリカが落ち込んでいるのがわかったのだろう。
側にいたクリストフ様がセリカの左手を握って、大勢の人に見えるように上にあげる。
「ほら、みんな見て。セリカによこしまな気持ちや恋情をまったく持っていないと飛ばされないだろ? 普通の人は指輪に触っても大丈夫だから。」
そう言って、クリストフ様は茶目っ気のあるウィンクをしてみせた。
街の人たちは曖昧な笑顔を浮かべて、ダレニアン卿の言うことに一応納得したふりをしていたが、言葉通りに信じたわけではないだろう。
― うーん。クリストフ様は自分たちとは違って、
平民は魔法を使えないということを忘れてるわね。
ふふ、そうだね。
魔法使いは大丈夫でも平民だとどうなるんだ?と皆疑問に思うよね。
でも、クリストフ様がかばってくれて嬉しかった。
この人がお兄さんになるのなら、知らない家でもなんとかやっていけるかもしれない。
ダレニアン伯爵と結ぶ一週間後の養子縁組が、ほんの少しだけ怖くなくなったセリカだった。
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