第9話「humanfactor」

「双葉はね、怖かったんだと思うよ」


あれかられむたちは旅館へ戻り、一先ず落ち着く為にロビーでコーヒーを飲んでいた。

「怖い?」

紙コップに手をあてて、希州は少し困ったように笑った。

今の彼の姿は先ほどまでの山伏装束ではなく、黒のハイネックシャツに同色のチノパン姿になっている。

この方が年相応に見えるので、れむとしては構える事なく話せた。

「うん。どこまで話したらいいかなぁ。その前にれむちゃん、双葉の事をどう思ってるの?」

「えっ、……あの、すごく尊敬してるっていうか…その…雇用主ですし」

突然デリケートな質問を直球で投げてくる希州にれむは顔に熱が集まるのを感じた。

双葉に対し、自分がどう思っているのか…。

確かに容姿も華やかで、冷たい態度の裏側にしっかりとした優しさも感じる。

しかし、自分と双葉はあくまで雇用者と被雇用者だ。

相手への個人的な興味を抱くには少々抵抗がある。

そしてそれ以上にれむには強い想いがあった。


それを感じ取ったのか、希州は小さく頷く。

「うん。いや、いいんだ。今はそれで。それで敢えて言うけどね、もしかしたらこれは、れむちゃんにとって聞きたいない種類の話かもしれない」

「えっ?それって何ですか」

希州は言いにくそうにすっかり冷めたコーヒーを口にした。

「………双葉の過去」

「えっ、所長の過去ですか?だったら話してください。お願いします」

それを聞いてれむは身を乗り出すようにして希州に顔を近づけた。

「はははは。そんなに食いつくとは…。双葉に興味津々だね。れむちゃん。まぁ、いいか。どうせ双葉は自分から話さないだろうしね。実はね、そこの夜斗は俺の二代目の狗神なんだよ」

「二代目…ですか?それじゃあ、夜斗くんの前に……」

希州は頷いた。

「あぁ。それが白羽といってね。真っ白な体毛の狗神だったのさ」

不意にれむの膝の上で眠っていた夜斗の耳がピンと反応した。


「あの……、その白羽さんも夜斗くんのように人の姿になったりしたんですか?」

「白羽はちょうど今のオレくらいの年齢の女性の姿になったよ」

希州は双葉の一つ先輩だというから、現在25歳のはずだ。

するとれむにとっては白羽は大人の女性という認識になる。


「そしてね、白羽は双葉が初めて心を開いた女性だったんだ」

「!」

「びっくりしたかな?」

軽く組んだ指の間から覗き込むようにして、れむの表情を窺う。

れむは素直に頷いた。

「それって所長の昔の恋人って事ですか?」

「う~ん。そいつを聞かれるとどうなんだろうなぁ。正直当人同士でしか分からんのだが、あれは肉親に対する情の方が強かったように思えるな。あいつの家の事情については知ってるかな?」

「ええ。はい。あまり詳しくは知りませんが、凄いお家の生まれだって」

「それってあいつから?」

「前に事務所で話してくれました」

すると希州はすごく嬉しそうな顔をした。


「そうか。じゃあ少なくともれむちゃん、全くの脈ナシってわけじゃないよ。双葉が自分から実家の話をしたのは恐らく君が初めてだ」

「えっ、嘘ですよ。黒ちゃんはどうなんですか?」

希州は形の良い唇に笑みを浮かべ、れむの頭に手を軽く乗せる。

「オレはある程度の事は出会う前に知ってたからね」

「そうなんですか……」

「うん。れむちゃんも知っての通り、あいつの家は代々風水師の家系…星詠みの一族なんだ。気脈を読み取り、神羅万象を司る神の目をもって多くの要人の未来を占ってきた。そうやって生きてきた一族なんだ。双葉は生まれながらにして一族でも随一の力を受け継いで生まれてきた。元来あの家は長男が継ぐ習わしだったのだが、兄貴の方はほとんどその力を持たずに生まれた。それが双葉には負い目というか負担だったんだろうな。兄貴の方も色々思うところがあるに違いないが、絶対にそういった羨望や不満を双葉にも周りにも口に出さない人間だったからな~」

「………」


「まぁ、それはいいとして、オレが初めてあいつに会ったのは高校一年の入学式だ。オレはもうそう当時から七竜会の見習いしてたんで、あいつの事は知ってたんだよ。実際に会ったあいつは何ていうか、寂しい目をしたやつだなと思った。そんな目をする理由が何か知りたくなった。それがヤツに興味を持つきっかけになった」

「高校の?黒ちゃんは所長の先輩なんですよね」

「ああ。あいつが入学したての頃、新入生の案内をしていたのさ。うちの学校は当時、部活動に必ず参加する事っていう決まりがあったんでな。そんでオレが半ば強引に自ら部長を務める奉仕部に引きずり込んだんだよ」


「奉仕?それって何をする部活ですか」

れむが率直な質問をする。

「平たく言えば「何でも屋」。皆の役に立つだろうな~って事を率先してやる。それが活動内容」

れむは眉根を寄せた。

「それってただのおせっかいじゃないですか?」

「まぁまぁまぁ、そう言われちゃ寂しいなぁ。それでな。俺は何とかしてあいつと友達になろうと毎日のように話しかけたのさ。結果はまぁ…冷笑されるただけで終わったけどな」

「ふふっ。そういうの、今と変わらないんですね」

むれは少し笑みを浮かべ、コーヒーを口にした。


「まぁね。何度話しかけようともあいつの態度は一向に変わらなかった。他人を一切寄せ付けない、だけど寂しそうな目をしたヤツだった。だけどな、たった一人だけそんなあいつと言葉を交わしたヤツがいたんだ」

「………それが白羽さん…なんですね?」

その名前を口にした時、れむの中のどこかでツキンとした痛みを感じた。

希州はそれに気付かずに頷く。

「そうだ。最初に二人がどこで出会ったのかは知らないが…ある時な、龍星会からの仕事があって、その帰りに途中で白羽がいなくなったんだよ。それで探しに出たら、ちょうど双葉の姿を見つけたんだ。あいつは白羽と一緒だった」


その時の事を思い出したのか、希州の顔が優しいものになる。

「市の図書館でな。二人楽しそうに一冊の本を読んでいた。それを見て、あぁ、あいつはあんな風に笑えるのかって思ったよ。その日は二人に声をかけられずにそのまま帰ったよ」

「そうなんですか……。あれ、でも今黒ちゃんのパートナーって夜斗くんですよね?」

その言葉に希州の顔に一瞬影が差した。

「白羽は仕事中に命を落としたんだ。……まぁ、人間じゃないから消滅といった方

が正しいのかもしれない。双葉はそれをずっと自分のせいだと思っている。そして俺から狗神を奪った事に負い目を感じているんだ」

切なそうに語る希州にれむはかける言葉が見当たらなかった。

多分、二人はその事でずっと苦しんでいたんだろう。それが伝わってきて、何も言えなくなった。


「本当は白羽を失ったらもう新しい狗神は持たないつもりだった。けどな、そうでもしないと双葉の心がもたなかったし、俺も前に進めなかったと思う」

「…………………」

「白羽を失った事で、俺は身体に傷を。双葉は心に傷を負った。身体の傷は時が経てば癒える。だけど心の傷はどうだ?あいつの傷は俺が思うよりずっと深い。今でも見えない血を流している。白羽が去ってから双葉はまた心を閉ざしてしまってな……。俺も責任を感じていたんだ。だから俺に出来る事として新しい狗神を持つ事にしたんだ。白羽とは全く違ったタイプのな……」


沈黙が訪れる。

それっきり希州は何も話す事はないとばかりに冷めたコーヒーを取って、窓の方へ視線を向けた。

れむはまだ彼に聞きたい事があったが、やはり口には出来なかった。

二人の間に暗く重い空気が漂っていた。

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