第10話「lostmemory」
その後、部屋にどうやって戻ったのか記憶はない。
考える事は山ほどあった。
祠の事は勿論だが、その心の半分以上を占めているのが双葉の事だった。
部屋に戻ってもしかしたら彼が戻っているのではと思ったが、残念な事にその姿はなかった。
れむは彼の帰りを待つように、しばらくの間ロビーにあった文庫本を借りて来てパラパラと捲ったり、携帯端末をぼんやり眺めたりしていたが、やがて睡魔に勝てず、そのまま平机の上に突っ伏すようにして眠ってしまった。
やがてれむはまどろみの中、不意に覚醒した。
思いのほか頭は明瞭で冴えていた。
改めて自分の身なりを見てみると、その肩には大き目なジャケットがかけられていた。微かに柑橘系のコロンの香りがする。
「………所長?」
れむは弾かれたように身体を起こし、辺りを見渡した。
机に突っ伏した不自然な恰好で眠っていたせいか、身体の節々が痛い。
水を飲もうとして立ち上がろうとしたれむは、窓際の方に気配を感じてゆっくり振り返った。
「あ……」
そこには窓から差し込む柔らかな光に包まれ、壁にもたれて眠る双葉がいた。
「戻って来てくれたんだ……」
れむは安堵のため息を漏らした。
蜂蜜色の前髪がふわりと白い額にかかっている。
顔色はやや疲れがあるのかやや影があったが、昨日見た時よりは赤みが差している。
今は光彩の浅い飴色の瞳は長い睫毛に縁どられた瞼で覆い隠されていた。
れむは切なげに視線を彼から逸らせる。
「ずっと……貴方に憧れていたなんて言ったら何ていうだろうな。出会ったのは白羽さんよりもずっと前なんだよ。きっと貴方はあの時のあたしの事なんて忘れているんでしょうね……。ねぇ、あの時貴方が求めていた「自由」は手に入れられたのかな?「双葉さん」……」
れむは彼の傍らへ移動し、壊れ物に触るように恐々とした手つきで彼の頬に触れた。
頬はなめらかでやや冷えている。
一見体温を感じない人形めいているが、薄く形の良い唇からは規則正しい吐息に似た寝息が聞こえる。
しばらくの間、れむは傍らでその眠りを見守った。
「春日君、いつまで寝ているつもりだ?全く、君は……」
数時間後、眠りから冷めた双葉は傍らで自分の肩にもたれ掛かるようにして眠るれむを見て呆れたとばかりに息を漏らした。
「君は本当に………」
眠る双葉にれむがかけた言葉はそのまま彼の心を抉った。
双葉の脳裏に懐かしい映像が浮かんだ。
………あれは「僕」がまだ本家にいた頃だった。
外の世界に憧れ、いつか解き放たれる事を夢見ていた籠の中の小鳥。
それがあの頃、まだ少年だった自分だった。
どこまでも続く高く白い本家の壁は双葉から全ての自由を奪った。
生まれながらに一族の中でも高い力を持った双葉は、物心つく前から両親から引き離され、本家に半ば幽閉状態で閉じ込められ、数々の欲望の為にその力を使ってきた。
彼の持つ力は先の未来を見通す千里眼。
彼の目にはいつも少し先の未来が映る。
その力は歴代の政治家や企業家には大いに求められた。
抗う事は出来ない。
許されたのは毎日鉄格子の向こうから覗く高い空を眺める事だけだった。
そしていつも決まった時間に自分を訪ねて来てくれる幼い少女。
「ねぇ、貴方はいつもどうしてこんな暗くて怖い場所にいるの?もしかして貴方は天使さまなの?だってこんなに綺麗なんですもの。だからこのお家の人が逃がさないように閉じ込めているのね?」
無邪気な少女は「僕」を天使だと言ってきかなかった。
「僕」が天使なわけないじゃないか。
こんなに汚れている「僕」が……。
少女はいつも小学校が終わると「僕」のところへ来て、その日あった事を楽しく丁寧に聞かせてくれた。
そう……家族の事も。
「これね、お母さんが買ってくれたの。可愛いでしょ。レムこのうさぎさん、大好きなの」
彼女はそう言って得意そうにうさぎのキャラクターがプリントされたシャツを見せてくれた。
「僕」はその日、知ってしまった。
望んでもいない力のせいで。
「僕」の目は彼女の未来の映像を垣間見てしまった。
彼女の両親が火事で亡くなるという未来の映像を…………。
彼女を悲しませたくなくて「僕」はその事実を伝えてしまった。
あの頃の「僕」はまだ自分の力が普通の人間に与える影響をよく知らなかったから……。
後にそれがどんなに悲しい結果を生む事になるのか、まだその時の「僕」は考えもしなかったんだ。
ただ初めての友達を悲しませたくなかった。それだけだった。
「嘘っ、どうしてそんな事言うの?お父さんとお母さんが死ぬなんて、お兄ちゃんの意地悪っ!」
大きな瞳に大粒の涙を浮かべて「僕」を睨んだ。
そしてそれ以来彼女はここに来なくなった。
「僕」はまた一人になった。
……その時、「僕」は思った。
「僕」は他人と関わってはいけないんだと。
関わってしまえば必ずその人を不幸にしてしまう。
この力は悪い力なんだ。
「僕」はその後、親代わりの祖父に頼んで「本家」を離れた。
そして祖父の奨めで龍星会の術者として契約し、千里眼も封じてもらった。
それでもあの女のコの事はずっと忘れる事はなかった。
「「僕」はまた君を悲しませてしまうのだろうか……れむ」
双葉はそっと眠るれむの指先に唇を当てた。
まるで中世の騎士が忠誠を誓う儀式のように……。
その後、双葉はゆっくりと部屋を後にした。
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