第2話「troublemaker」
今回の依頼の地は神奈川県にある鄙びた温泉旅館。
大正時代末期から続くその旅館は老朽化が進み、現在は八階建ての新館が着工し、夏にはそちらがオープンする予定である。
旧館は新館のオープンを機に取り壊して露天風呂の施設に建て替える事が決定していた。
その新館がオープンするまでの半年間、旧館は通常通り利用されるわけだが、そこで最近不可解な異変が宿泊客たちの間で持ち上がっていた。
一つ一つを挙げていってはキリがないが、主だったものは夜に温泉を利用した後、脱衣所で着替えをしていると、自分が出た後は他に誰もいるはずもない浴場の方で何かの気配を感じたり、不自然な水の滴る音が聴こえたりするそうだ。
そしてそれは浴場に限った事ではなく、客室にまで及ぶ。
誰も宿泊していないという隣の客室の方から物音が聴こえたり、寝ている時に上から押さえつけられるような金縛りにあった客もいたという。
そこからは口から口にだけではなく、ネットで拡散されて各所で次第に注目されるようになっていた。
事態を重くみた支配人は、近くの神社の神主に祈祷を依頼したのだが、その後も怪異は収まる事はなかった。
業を煮やした支配人はそれから方々に掛け合い、様々な祈祷師を呼び込んだのだが、その成果はさっぱり上がらない。
やがてある祈祷師の一人が、この怪異の大本を土地にあるかもしれないと助言し、風水師に依頼する事になった。
その依頼がネットを通して今回、双葉の事務所にも舞い込んだという事だ。
旅館の名前は「喜水館」という。
れむは双葉の運転でその問題の旅館へ向かう道すがら詳細を確認した。
中ほどまで開けた車窓から流れ込む風が清々しい。
れむはふわふわな髪を風に遊ばせ、東京を出てからずっと続いている単調な景色を眺めている。
「春日君、あまり窓から首を出すなよ。危なっかしい」
真剣な顔でハンドルを握る双葉にれむは短く「はーい」と一言。窓から身体を離した。
双葉は薄いブラウンのサングラスにオフホワイトのハイネックシャツとブラックのパンツ。そして手には革製のドライバーズ手袋を嵌めている。
見るからにオシャレないでたちである。
れむはいつもの白と赤のストライプ柄のチューブトップに白いマイクロミニのスカートと白いブーツだ姿だ。
おおよそ仕事をしにいくようなスタイルではなさそうなのだが、これが彼らのいつものスタイルなのだ。
「ふぁぁ…。いつになったら到着するんですかね……」
東京を出るまではそれなりに変化に富んだ景色で退屈を紛らわせてくれたが、都心を離れるにしたがって林立していたビル群も消えていき、青や緑の山々が姿を現した。
それからはずっとこの景色が続いている。
どうも変化のない景色というものは単調で眠気を誘発する。
世間では大型連休真っ只中である。隣を並走する車には親子が楽しそうにしている様子が見える。きっとこれから楽しい旅行か観光に行くのだろう。
しかし今のれむは仕事中なのだ。いくら休日出勤とはいえ、勤務中にぐうぐうと眠っていては後で双葉に何と嫌味を言われるか、考えただけで恐ろしい。
だからせめて少しでも眠気を飛ばそうと窓を開けて風にあたっていたのだ。
そんな小さな抵抗を見透かしたように双葉は薄く笑った。
「まだ到着には時間がかかる。そんなに眠ければ眠っていていいぞ」
「そっ……そんな事出来ませんって!所長が休まず運転しているというのに、あたしだけ…」
すると双葉は前を向いたまま小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「ふっ。別に君が起きていようと眠っていようとこちらには何の影響もない。かえって眠っていてくれた方が静かで助かる」
「ううっ……」
双葉は相変わらず辛辣だが、あながち嘘ではない。
起きていたってれむには何も出来る事がないのだ。運転を代わってあげる事も出来ない。
つい先日も普通運転免許証を取得するべく奮闘するが、仮免で落とされたばかりなのだ。
仮にそれで無事に取得出来ていたとしても、免許取り立てのれむにこんな長距離の運転なんて無理な話だ。
双葉も許さないだろう。その前に彼が愛車を他人に運転させたりもしなしはずだ。実は彼は他人を車にも乗せたりはしない。その車に乗っているのは後にも先にもれむだむなのだが、れむはまだその事実を知らなかった。
「わっかりました~。それじゃお言葉に甘えてお休みなさ~い」
「おぅ。存分に眠れ」
助手席をわずかに傾けさせ、れむは双葉に背を向けて眠る体制をとった。
そうは言ってもいざ家族以外の男性と一緒の車で眠るとなると中々緊張するものだ。
れむはそっと首を双葉の方へ向けて薄目を開けた。
(本当に綺麗な横顔なんだよな~。それにあの髪ってどこの美容院で色を入れてるのかなぁ。それとも自前なのかな。それに近くに寄るといい匂いがするんだよね…。何の香水かな。あ、よく見たらまつ毛長いな~。髪の色と同じだし、やっぱり地毛かな……)
ぼんやりと双葉を観察しながら取り留めのない事を考えていると、いつの間にかれむの意識は深く沈んでいった。
すると静かな寝息を耳にした双葉は軽くため息をついた。
「やれやれ…。やっと眠ったか」
先ほどかられむの視線がちくちく刺さって落ち着かなかったらしい双葉はようやく解放されたように肩の力を抜いた。
車はやがて厚木ICから小田原に入った。
「春日君、着いたぞ。起きるんだ」
ユサユサと肩を揺すられ、れむはトロンとした目で辺りを見渡した。
「あ……れ?ここどこですか。もしかしてもう着いたんですか?案外早かったですね」
眠たげにコシコシと瞼を擦りながら、れむはシートベルトを解除する。
そんなれむに呆れたという目を向けつつも双葉は車のドアを開けてくれた。
「早かっただと?あれから昼が来ても一向に起きる気配も見せず、延々と眠ったままだったというのにか?随分と呑気なものだな。こちらは空腹を抱えたまま運転をするハメになったというのに」
盛大なため息と共に吐き出された嫌味の応酬だが。れむの方は意外とけろりとしたものだ。
「え~、そんなに経ってたんですか?どおりでお腹が空いてるはずですね。それにしても所長、あたしなんかに構わずご飯に行っても良かったんですよ」
軽く伸びをするれむを見て、更に双葉の眉間の皺が深くなる。
「車に君一人を残して行くわけにはいかない」
「えっ、それって車に眠っている女の子を残すのは危険だっていうお気遣いですか?所長、紳士~」
…………ぎにゅっ。
「ふへっ、いひゃいっ!」
「君を車に一人残せば必ずといっていい程、何か厄介事に首を突っ込む。それもわざわざ巻き込まれなくともいい事件にな。それを未然に防ぐ為にだっ!」
双葉は思い切りれむの鼻をつまんだ。
れむは涙目になりながら恨めしそうに双葉を睨んだ。
「うぅっ。何もこんな事しなくてもいいじゃないですかっ。所長のばかーっ」
「ほぅ、まだ言うか?」
「い……いえ。何も」
長く形の良い指が頬に触れそうになる寸前でれむは慌てて身を引いた。
鼻の次が頬では冗談ではない。
「では中に入るぞ。これ以上の時間のロスは無意味だ」
双葉はさっさとキーをポケットにしまうと、れむを置いて旅館の方へ歩き出した。
「あっ、所長。待ってくださいよ~。本当に厳しいんだから」
置いていかれまいと慌てて双葉の後を追う。
れむは改めてパーキングエリアから旅館の外観を眺めた。
建物の規模はかなりものだが、老朽化が進んで老舗の旅館というよりはお化け屋敷を思わせる。元は白かったと思われる外壁は長い年月を経てすっかり退色し、何となく本当に怪異があっても不思議ではない雰囲気があった。そのすぐ隣に建設中らしき建物がシートに覆われているのが見える。それが現在建設中だという新館だろう。
連休真っ只中だというのに、旅館の中はあまり人がいない。
フロントで双葉が仕事の手続きを取っている間、暇なれむは辺りの様子を見にロビーの探検に出た。
大体どこにでもある旅館のロビーと同様、年期の入った大きな革張りのソファとテーブル。そこには数人の宿泊客とおぼしき年配の夫婦がコーヒーを飲んでいたり、ビジネスマンと見られるスーツ姿の男性が経済新聞を読んでいた。
彼ら以外の客は見当たらない。
まぁ、怪異があると噂の旅館である。連休中でもこのような有様なのだろう。
中央の壁には大きなテレビが掛けられており、誰も見ていないドキュメンタリー番組が流れていた。
れむは彼らから目を背け、反対側にある土産物を売っている売店に気付いた。
「へぇ、どんなものが売っているのかな?」
大した期待をしているわけではないが、れむは売店を物色する事にした。
「えーと、どれどれ…。安眠枕にアイマスク、煎餅の詰め合わせに温泉饅頭。ぺ…ペナント~?これっていつも何に使うのか分からないお土産のトップなのよね」
それは神奈川県だというのに美しい富士山が刺繍されたペナントだった。
「はいはい。いらっしゃいませ~。何を差し上げましょうかねぇ」
ふの時、不意に無人だったレジにふくよかな初老の女性が顔を出してきた。
「ひぃっ。えっ…、あの……あのこれっ!これください」
咄嗟に差し出した物を女性は目尻の皺を深めて嬉しそうに受け取る。
「はい。このペナントですね。ありがとうございます。お若いのに珍しいわねぇ。これ、もうずっと長い事売れてないのよ?」
「え………えぇ、はい。集めてるんですよ~。その土地土地で変わったのを見つけるとついつい…」
………わぁぁぁぁっ、何言ってんのよ。あたし~っ。
しかし嬉しそうな女性を前にれむは渋々ピンクのがま口財布を取り出すのだった。
女性は手作りのような紙製の袋にペナントを入れると綺麗に封をした。
「ありがとうね。このところ色々あってね。お客さんがこうして何でもいいから買い物してくれるのが嬉しいのよ」
「色々……ですか?」
袋を受け取り、代金を手渡し、れむは思わず女性の言葉を繰り返した。その言葉に女性の表情が曇る。
「そうさねぇ…。それも龍神様の祠があんな事にならなければねぇ……」
「祠?龍神?それって何の事ですか?」
それはれむに向けて話したわけではなく、無意識に口から飛び出したとしか思えないくらい小さな呟きだった。
言った途端、女性は口元に手を当てて慌てたように取り繕う。
「あらやだ。いやだねぇ。本当にあたしったら。ごめんよぉ。お嬢ちゃん。お嬢ちゃんのような若い人と話すのなんて久しぶりだったからね。ついね。さっき言った事は忘れといてね」
「えっ、あっ……」
女性はそう言うとそのまま奥に引っ込んでしまった。どうやらレジの奥に部屋があるようだ。
「……ほぅ。君はペナントを蒐集する趣味があったと初耳だよ。今度地方へ出張の際は何か買ってきてやろう」
「うわっ、所長。いつからそこにっ。急に話しかけないでくださいよ」
不意に背後からかけられた甘いバリトンにれむは思わず大きな声をあげそうになるのをぐっと堪えた。
「しかしなかなか興味深い話だったようではないか。君にしてはやるなぁ」
「だから違いますよ。ペナントなんてあたし全然興味なくて、あれはただの成り行きというか…、おばちゃんの喜ぶ顔がですね……」
「……君は何の話をしているんだ?」
見ると双葉は複雑な顔でこちらを見ている。察したれむの耳が瞬時に真っ赤になった。
「あ、えーと、何の話でしょう?」
「先ほど話していただろう。龍神様の祠がどうとか」
「あ~っ、それでしたかっ!って、所長、いつから聞いていたんですか?」
双葉は笑いながら土産物コーナーを指さした。
「ちょうど早く手続きが終わってね。君を呼ぼうと思ったらフラフラと売店の方へ行くものだから、面白そうだったのでそのまま様子を見る事にしたのさ。何しろ君ときたら事件を呼び込むトラブルメーカーだからな。だがそのおかげで早々にして有益な情報を得られた」
「ううっ、トラブルメーカーって……。所長、酷い」
「まぁ、今日のところはもう遅い。その祠とやらは明日聞き込みしてみるとしよう。さぁ、部屋にいくぞ。食事を用意してもらっているからな」
うっとりするような笑顔をこちらへ向けて、双葉はれむの荷物も持ち上げると、エレベータのボタンを押した。
「くぅぅぅっ。いつか絶対所長に認めてもらうんだからっ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます