第3話「accident」
歩くたびにギシギシと音を立てる長い廊下を二人並んで歩く。
怪異の噂がたって以来客足は遠のいたというが、宿泊客が全くいないというわけでもない。
ここまで来る途中、何組かの宿泊客たちとすれ違った。
その誰もがれむのような若年層ではなく、髪も白くなった五十代以降の年配夫婦が多い。この辺りには家族連れで観光を楽しむ施設がないからなのだろうか。
「あのおばちゃんも言ってましたけど、ここって本当に若いお客さんいませんよね」
「あぁ、ここの温泉は元々他の観光の娯楽施設と違って保養目的として作られたそうだ。昔、この辺りの土地で疫病のようなものが流行ったらしい。ここら辺にある旅館や宿泊施設はその当時の名残があるサナトリウムだったんだよ。だから宿泊費用も比較的安価なんだ。サラリーマンの姿を見るのもその関係だろうな」
「へぇ……」
しばらく歩いただろうか、突然れむの少し先を歩いていた双葉が立ち止まった。
すぐ後ろを歩いていたれむは、そのままムギュっと彼の背中に顔を押し付ける格好になってしまう。
「ぶぎゅっ、…って、所長っ!急に立ち止まらないでくださいよ。それでなくても低い鼻が潰れちゃったらどうしてくれるんですか~」
痛む鼻を押さえて抗議するが、肝心の双葉の耳にその声は届いていない様子だ。
刃物のように鋭い視線の先には何もないというのに、この表情は幾分強張っていた。
「所長?」
さすがに不審に思ってか、回り込んで双葉の表情を確認するのだが、彼はまだ厳しい顔つきで何もない空間を睨んでいる。
やがて双葉が口を開いた。
「私たちがここへ来る前にも多くの祈祷師や宮司が立ち入ったと聞きましたが、まさか貴方までもが来ているとは思いませんでしたよ」
双葉は相変わらず何もない空間に向かって声を張っている。
「え、本当にどうしちゃったんですか。所長」
明らかに今の言葉はれむに向けられたものではない。しかし彼の前方に人の姿はなく、何の変化も見られなかった。
れむはますます困惑の色を深める。
「………全く。貴方という人は。まぁ、いいでしょぅ。お互い干渉はなしという事で」
双葉は苦笑交じりに、まるで誰か目の前にいるかのように会話らしきものを交わしている。
れむにはさっぱり。何が何だかわからない。
やがてれむは何か思いついたように、恐る恐る双葉の服の裾を引いた。
「あの…、所長。もしかして「怪異」ってのに憑りつかれちゃったんですか?どうしよう。あたし、悪霊退治~…っみたいなの出来ないんですけど」
真剣な表情で悩んでいるれむの様子に双葉がようやく気付く。
「ああ、すっかり君の存在を忘れていたな。……いい加減、姿を現したらどうなんですか?これでは私が空気に向かって会話をしている変人のように見えます」
「え?」
双葉の言葉と共に、突如前方の空間がぐにゃりと歪んだ。
「えぇぇぇぇっ!」
「おっ、悪い、悪い。いつもの癖で隠形してるの忘れてたわ。こんな可愛いお嬢さんを前に申し訳ない」
そんな声が突如聞こえたかと思うと、たった今まで誰もいなかった双葉の前には墨染めの山伏装束姿の青年が立っていた。
「だ……誰ですか、何で、あれ、さっきまで…えぇぇっ?」
「落ち着け。春日君」
あまりの驚きに支離滅裂な言動を繰り返すれむに双葉は呆れたようにため息をつく。
山伏装束の青年はそんな二人を見て楽しそうに笑っている。
そしてれむに向けて友好の握手を求めてきた。
「はっはっは。初めまして、可愛いお嬢さん。オレの名前は黒崎希州。将来、君の夫となる男だよ。そしてコイツが……夜斗だ」
「きゃんっ」
「うわぁ、可愛い」
希州の着物の合わせから飛び出したのは豆シバと呼ばれる小型の柴犬だった。
れむは躊躇いもせず夜斗を抱きしめ、ふわふわで温かな感触にうっとりしている。
その様子を見て双葉の柳眉が激しく吊り上がる。
「れむっ、バカ。早く離れろ。それはただの犬ではない」
「ふぇ?」
双葉が珍しくれむを名前で呼び、強引に夜斗を引き離した。
その瞬間、夜斗の姿が一瞬揺らぐ。
………!
「こんにちは。お嬢さん。ワシ……いや。オレの名前は狗神夜斗。将来お嬢さんの伴侶になる男……ぶわっ」
「ばかやろっ。勝手にネタ被せてくんな。それからご主人様の命もなしに勝手に人型になるなっ!」
突然目の前で始まった漫才のようなやり取りにれむはただただ圧倒された。
「何なんですか……。これ」
犬の姿から人の姿になったのは萌黄色の髪をした少年だった。白と浅葱色の狩衣を着ている。そして額にはマロ点があった。その少年は希州と殴り合いのようなじゃれあいをしている。
「小動物とみると何でも抱くのは良くないというのに…」
頭痛を覚えたのか、双葉が額に手をあてている。
するとようやく希州が夜斗を攻撃する手を止めた。
「いやぁ、悪いな。コイツ、女の子を見ると若者ぶってなぁ。もう相当な老犬だってのにさ。それよりも驚いたぞ。双葉。まさかお前さんが女連れで旅館に来るとはなぁ。一時は本気で女に興味がなくなったのかと心配してたんだぞ?」
「大きなお世話ですよ。それに彼女はそんな関係ではありません。あ、まだ紹介してませんでしたね。彼女は春日れむ。この春から私の事務所を手伝ってくれています。ただの半人前の所員ですので誤解なきよう」
「あぅあぅ、所長。相変わらず身も蓋もない痛烈なお言葉っ」
きっぱりと言い捨てた双葉に縋るれむを見て希州は呑気に笑っている。
「まぁまぁ。あ、そんじゃれむちゃん。今度ゆっくりお茶でもしようや。双葉抜きで、昔のアレコレ教えてやるからさ」
希州がさりげなくれむに耳打ちする。
「えっ、本当ですかっ?」
「春日君っ」
「そん時はオレもお忘れなく」
そう言うと夜斗は再び犬の姿に戻ると、希州の懐へ飛び込んで見えなくなった。
着物の乱れを直し、希州はそれをぼんやりと見つめていたれむに微笑みかける。
「オレはね、狗神使いなんだよ」
「狗神……使い…ですか?」
「う~ん、れむちゃんのような子には見慣れない言葉だよね。簡単に言うと「狗神さま」っていう家に代々伝わる「妖怪」を使って、悪い霊をバリバリ成敗する愛と正義の退魔師なんだよ」
「へぇ~……そうなんですか」
「……今の、全然簡単ではなかったですね」
双葉はいつの間にか牽制するようにれむの前に立っている。
華奢な双葉と比べて希州は着物の上からでもわかるくらい胸板も厚いし上背もある。
病的なまでに白い肌の双葉に対し、希州は健康的に太陽の光を浴びて浅黒い肌をしている。同じ整った顔立ちをしていても、二人は対極にある。
貴族的で一遍の隙もない氷の美貌が双葉なら、野性的で男らしい精悍な顔立ちをした太陽の似合う容貌が希州だった。
早い話が二人ともタイプし違えど、滅多に出会えないくらい「イイ男」だという事だ。
「ははは。まぁ、そのうちわかるよ。オレは双葉の実家も所属している七竜会っていう退魔組織の四国支部に所属している退魔師なんだ。たまにその枠を超えて色々出張ってたりもするから、これからも顔を合わせる事があるかもしれないからよろしくな」
「………出来ればアンタと出会うのはこれっきりにして欲しいですね」
「まぁまぁ、そう言うなって。仕方ない。これ以上双葉のご機嫌を損ねちゃいかんな。オレ達はこの辺で失礼するよ。そんじゃ、また会おう」
希州は軽く微笑むと、夜斗を抱えなおし、再び唐突に姿を消した。
後には何も残らないただの長い廊下が広がっているだけだった。
「所長って期待を裏切らないっていうか……とにかく変わった方とお友達なんですね」
「おい。さりげなく君、私を貶していないか?半人前のくせに。それに友達だと?ヤツがか?こんな時に冗談を言っても面白くも何ともないぞ」
「え、だってあんなに親しそうに話してたじゃないですか」
すると双葉は忌々しそうに息を吐きだした。
「……高校の時の先輩だったんだよ。黒崎希州は」
れむは瞳をまんまるにして驚いた。
「そうなんですか?「先輩」って事は部活か何のですか?所長の事だから部活は帰宅部かと思ってました」
「………二度と口を開けないようにしてやろうか?」
「い…いえ」
「まぁ、その話はまた今度にしてくれ。気分が悪い。とっとと部屋へ行こう」
双葉は荷物を取り、再び歩き出した。
先ほどのやり取りで相当疲れたらしい。
これにはれむも何も言えなくなり、黙って後に続いた。
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