第31話 行末

「名付けは契約だ。鬼鎮の信力で存在の地盤を整えたうえで、名前をもらうことで荒川の使い魔として存在を安定させたか」

 病室でベッドに腰掛け、やってきたを呆れ顔で見る焔はそう端的に状況をまとめると、深くため息をついて片方――荒川を睨んだ。

「だから名前をつけるなって言っただろうが」


「――こんなことになるとは思わねえだろ!?」


 思わず叫んで、荒川は頭を抱えた。


「いやあ、半ば賭けやったんよ。何とかなって良かったわあ」

 その隣で、この心労の犯人である男が朗らかに笑う。その声が恨めしくて、荒川はぎぎぎと油の乾いた機械のようにぎごちなく振り向いて睨んだ。

 その睨みに微笑みで返す男は――歳は二十代といったところだろうか。着物を身に着け、体中にいくつものが開いている。どう見ても人間ではないありさまだが、その目はどうやらやろうと思えば消せるらしい。荒川の家にやってきた時は消していて、まるで普通の人間のようで――その顔立ちは、声は、流人が大人になったらこんな姿になるだろうとすぐにわかるようなものだった。

「そない睨まんといてなご主人様。悪いことしよいうことやないんよ?」

 四ツ谷、と荒川がやけくそで付けた名を名乗った男――元海神は、そんな、軽薄そうな方言のまがい物で小首をかしげた。


 ――要は、つまり、冒頭焔が言った通りの顛末である。流人の信仰によってある程度の地盤を得た海神は、焔の蓄えていたらしい力――このあたりは荒川にはよくわからないことだが――を使って淀みをすべて浄化した。が、流人が命を懸けて作り出した信力も永遠のものではない。海神が存在を保つことができるのももって数年と言ったところだった。そこで、海神は荒川から名付けを受けたのだ。名前を付けるとは、かなり大きな意味を持つようだ、ということは荒川にもわかりつつあることだった。怪物と化した太助を本来の姿に戻し、淀みに形を与えて生命に干渉する力を与える。そしてどうやら、それは契約にもなる。

 にこり、と笑った四ツ谷は、口元を袖で隠す。そして、「つまりだね」と口調で荒川を指した。

は今、荒川竜一、君の使い魔として存在している。君の魂を少し借りて、君自身としてこの世に顕現し続けている。一心同体になったというか、君という存在の中に私の存在が間借りしている状態だね。君がいる限り、私も消えることはない。ああ、私がダメージを負ったとて君にダメージが行くことはないからそこは安心してほしい。あくまで存在の主軸は君だし、このままずっと君に付きまとおうというわけではないんだ。ほら、百目って妖怪とかいるだろう? あのあたりの認知に乗っかって、そっちに存在を移行して、そのうち君から存在を切り離しても消えないようにするつもりだよ」

「うるせえよもう小難しいことはよ……」

 そう説明されても荒川には正直理解が半分も追いつかない。原理も何もわからない。焔はそうではないらしく、「力技やりやがるな」とぼやいているが、もう荒川は考えることを放棄したくて頭を抱えて椅子に座った自分の膝に突っ伏した。

「八対の目、蛇――はヤマタノオロチの要素か。海に、極めつけはあの草薙剣。こいつは忘れられた信だが、あの信仰の元は須佐之男命スサノオノミコトだったんだろうな。武の神でもあるし、流刑を受けるような武士だの皇族だのが抱える信仰としては妥当なところだろう。猿の駅の山神と違って元々地力はあったということか」

 その言葉には沈黙で、ただ笑みを返した四ツ谷の、それこそが肯定のようなものだった。既にパンクしてしまって突っ伏したままの荒川とは反対に、焔は変わらぬ無表情のまま冷静に四ツ谷を見る。


「あの島から出てきてどうするつもりだ」


 その問いに、荒川も顔を上げて四ツ谷を睨んだ。流人によく似たその風貌は、四ツ谷のをそのまま示していた。海神は、信奉者の殉教を以て――流人の命を犠牲にして、顕現したのだ。今ここにあるのは、荒川が名付けた故だけではない。

「あの島の淀みは、もうああやって浄化することは出来ない。あの島にあった信仰は無いからね」

 四ツ谷は静かに笑んだまま、窓の向こう、遠くを見る。島の方角だ。

「ただ、外に出て少しづつ力を蓄えて、その力で少しずつ浄化していけば、あそこまで悪化することは無いと思う。やってみないと分からないけれどね。必要とあらばこの存在を投げ打とう」

 当然のように、最初からそうするつもりだったように、四ツ谷は微笑んだ。その顔は皮肉にも、流人と同じ顔だった。むぎゅ、と荒川の顔がなんとも言えず歪んで、黙り込む。


 彼は守り神だ。流人が信仰するに値した。理解ってしまったのが、嫌だった。


「……なんなんだよあの変な喋り方はよ」

 行き場をなくした感情のまま、下らない文句をつけて、荒川は再び顔を埋めた。

「堅苦しい喋り方やと馴染まんやろ? の真似するんも良うないやろし」

 喋り方を切り替えて、四ツ谷はあっけらかんとそう言う。ああ確かに、きっとこの神が流人のように喋ってきたら殴っていただろうなと、荒川は半ば諦めと共に息を吐いた。

「ほな、説明責任は果たしたし。怪我しとる子無理させるのも良うないしね、はそろそろお暇するよ。いろいろあるやろけど君の使い魔になったことには変わらんし、必要があれば僕のことは好きに使ってくれて構わんよ」

 四ツ谷は立ち上がり、着物の裾を軽く直して突っ伏したままの荒川の頭を撫でる。顔を上げないまま、その手を払い除けもしないまま、荒川はその手が頭から離れる感覚を感じていた。

 病室の扉が開いて、閉まる音がする。下駄が鳴る音が遠ざかっていくと共に、病室には沈黙が訪れた。

「……鬼鎮清は解放され、島の淀みは解決し、未来もどうにかなりそうな気配がある。結局、鬼鎮流人あの野郎の本願が全て叶った形になったわけだ」

 溜息とともに、焔がそんな言葉を呟いた。見れば、撃ち抜かれた脇腹を少し擦りながら、焔は不機嫌そうな顔で窓枠に頬杖をついていた。青々とした空が見える。今日は実に麗らかな快晴だった。

「完敗だな。大したもんだ」

 その言葉に、荒川は一度二度目を瞬かせて。思わず噴き出してから、髪を掻き混ぜて頭を下げる。

「……焔が人を褒めんの初めて聞いた気がするわ」

「そうかよ」

 端的な言葉が有難い。もう出し切ったと思った雫が目尻を熱く燃やすから、きっとこちらに見向きもしていない焔の冷たさが救いだった。

「そうだよなぁ。大したやつだったよな、あいつ」

 ――だから、覚悟も、理解も足りなかった荒川がどうにかできるわけがなかったのだ。そんな当たり前が、酷く口惜しいけれど。

「ダチになりたかったなぁ、あいつと」

 焔は何も返さなかった。病室からさっさと出ていけとも言わなかった。それに甘えて、暫し、荒川はそのまま目を閉じていた。



「……長居して悪いな、そろそろ帰る」

 少し空が赤らんだ頃、荒川は立ち上がって身を伸ばした。来たのが昼過ぎで、9月も中旬を超えてだんだん日が短くなったとはいえ流石に長居しすぎたなとやや据わりが悪い気持ちになるが、焔は「ああ」とだけ返して本を読んでいた。

「つーか焔お前、全然連絡しやがらねぇけど退院いつとか決まってんのか?」

「学校始まる辺りには出れるらしい。部屋に結界張ってるとはいえ煙草もねぇしさっさと出たいのはやまやまだがな……手続きに身元保証人も必要だしマジでめんどくせぇ」

 心底面倒くさそうに焔は顔を顰める。焔が不思議な力を使う時に吸っている煙草は、あの海ですべて湿気って駄目になってしまったらしい。病室にしれっと結界を張っているのは流石と言ったところだろうか。勝手にいいのかよと荒川は思いはしたが、死活問題なのだろうとも察せはしたのでそこを指摘することは無かった。

「あの煙草どうすんだよ。無いとまずいんだろ」

「退院したらバイトついでに調達に行く」

「調達?」

 どこで調達してるんだあんなもん。とは思いつつ、焔がさっさと帰れと言わんばかりに手を払ってきたので荒川は口を噤んだ。流石に今日は迷惑をかけた自覚もある。

「……わぁったよ、帰る。また学校でな」

 手を払われるままに荒川は荷物を担いで病室を出る。西日の差す廊下を進んで階段をおり、そのまま裏口から帰ろうと外への扉を開けて――「失礼」と横から声がかかり、振り向いた。

 声の主を目に入れて、荒川は思わずぎょっとする。そこに居たのは2m程はありそうな、長身の男だった。銀髪と言うよりは白髪しらがのような長髪はぼさぼさで、太いフレームの眼鏡から見える目は濃い隈がある。男はぬっと顔を近付けて、まじまじと荒川を見下ろした。

「……な、なんすか……」

「ああ、失敬。これはただの興味だった」

 さすがに怯んだ荒川に気付いたか、男は背筋を直して顔を離した。言葉の意味を荒川が把握する前に、「受付はどこかわかるかね」とさらに言葉を重ねる。

「う、受付? は向こうの廊下の突き当たりで……ここ裏口すよ」

「そうか。外に出ることはあまりないのでね、助かった」

 頷いて、男はずんずんと歩いていく。何もかもに置いてけぼりにされた荒川は、暫し呆然と突っ立って、その背中を見送ることになったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

焔少年の事件簿 ミカヅキ @mikadukicomic

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ