第26話ㅤ正体
――焔の目がこちらに向いて、荒川は失言に気付いた。
「ッいや、ちがっ!! 覗き見しようとしたわけじゃねぇぞ!? ちょっと気になって追いかけ、いやたまたま見ちまって!」
「うるせぇボリューム落とせ図書館だぞ」
慌ててどうにか取り繕うとする荒川を焔が一刀両断する。焔達しか客は見当たらないとはいえ正論である。むぐりと口を閉ざした荒川に、焔は目線を再び本に落としながら呆れたように溜息をついた。
「何を見た?」
声音は冷静で、動揺も怒りも見当たらない。大したことでもないように、ページをめくる指もいつも通りだ。それに安心したような、逆に不安になるような。微妙な心持ちで、荒川は口を開いた。
「……お前が……孤児院の院長さん……? に、寄付渡してるとこ。その後、院長さんにちょっと話も聞いた。お前がいた二ヶ月で……、事故、が相次いだって」
「ふぅん」
他人事のように焔は
「……なんで寄付してんの?」
「俺がかけた迷惑だからな。尻拭いはする」
荒川の問いに、焔は目を上げない。どうでもいい事なのだと、態度で示している。それでも無視はしないでいてくれるらしく、そう淡々と答えた。
「建物を壊したのも怪我人を出したのも、俺を食おうとした怪物共がやったことだ。あの頃は煙草も持ってなかったからな、俺が死ぬか、誰かが肩代わりを続けるかしか無かった」
煙草の煙を自在に操る焔は、恐ろしいまでに強く、そして守られる側であった荒川にとっては実に頼もしいものだった。だが、目の前でページをめくる指は細く、肩や体は薄い。子供の頃であれば余計にだろう。――そんな子供が、人智を超えた怪物に狙われ続ける脅威は、察するにあまりある。
「……でも、それは、お前のせいじゃないだろ」
つい吐き出した言葉は、情けなく震えていた。焔は目を向けない。
「肩代わりする人間を慕う奴等からしたら同じことだ」
――院長の、年老いた首元に残る傷跡が、荒川の脳裏に思い出された。彼はどこか、中嶋に似た雰囲気を持っていた。
「……院長さんは、お前のこと、優しい子だって言ってたぜ。自分のことよりも人のことを優先してしまう子なんだって」
荒川の言葉に、焔ははっと噴き出すように笑った。
「俺は他人なんか優先しねぇよ。俺が優先するのは俺がそうしたいものだけだ。そうだな、院長のことは嫌いじゃなかった。中嶋もそうだが、ああいう底抜けの善人が作る空気は楽だからな。
だからそうだな、寄付はあの院長への好意っちゃそうだ。今生きるだけの金があればあとは邪魔だからな。でもあの院を出ていったのはシンプルに院長大好きなガキ共の怨みが鬱陶しかったからだぜ」
本を立て、少し隠した口元は笑っている。焔はそう、荒川ににまりと歪めた目を向けた。
「極力余計なもんは溜め込みたくないんだよ。不味くなるだろ」
その悪戯な笑みと、この話題に続くには不適切な形容に、荒川は虚を突かれて思わずやや仰け反った。背中が背もたれにあたる。焔はそんな荒川にひとつ鼻を鳴らして、また手元の本に視線を落とした。そのまま無言で読み始めるので、荒川もそれ以上言葉を紡げないまま、暫く沈黙が続いた。
「面白い本はあったかな」
ふとそんな声がかけられて、荒川はぱっと顔を上げた。声の主は司書らしいあの老人で、唯一の客である若者二人の様子を見に来たようだった。焔の手にある本の種類を見て、「歴史が好きかい」とにこやかに笑いかけてくる。
「私も暇だし、この島について多少のことなら教えられるかもしれないけれど」
その言葉に、焔が老人に目を向ける。本を閉じて、「それなら」と老人に向き直った。
「この島に神社があるとか、昔あったとか。そういう話はご存知ですか」
焔の問いに、老人がぱちりと目を瞬かせた。そして記憶を辿るように明後日の方を向いて、暫し思案する。
暫くして、ううん、と唸った。
「昔、岬の方、海に面する形で神社があったという話は聞いたことがあるよ。私が産まれる前……百か、二百年くらいは前かな。取り壊されただか天災があっただか……無くなってしまったんだけど。神主もとっくに社を手放して離れていたくらい寂れた神社だったから、そのまま復旧なんかもなく今では跡形もなくなってしまったそうで」
「信仰されていた神についての史料も残ってないんですか?」
「そうだね、少なくともこの図書館には……、ああそうだ」
難しい顔をしながら焔に答えていた老人は、顔を懐かしむように和らげて「老人の思い出話なんだけど」と前置いた。一旦彼はスタッフルームらしき奥へ引っ込んでいき、そう時間を置かずに一冊のノートを持ってやって来た。少し黄ばんだそれは、小学生が使うようなマス目の大きいそこらで買える安物のノートだ。表紙には子供の字で大きく、うみがみさまについて、と書いている。
「十年近く昔かな、君達みたいにこの島の昔の神様に興味を持った子がいてね。その子が持ってきたノートなんだよ。この図書館には子どもは勿論、人があんまり寄り付かないからその子と話すのが楽しみでね。
とはいえ、その子が考えた神様のただの設定なんだと思っていたんだが……でもこうやって話しているともしかするとこのノートの神様は本当に昔神社で祀られていたものなのかもしれないと思ってね。そういえばその子の苗字も昔出ていった神主の一家と同じだった気がするし……ちゃんとした史料ではないけど、見てみるかい」
「……見せてくれ」
老人に辛うじて使われていた取り繕った敬語が取れて、焔がやや鋭くなった目をしてノートを毟った。荒川も覗き込むが、ぱらぱらと捲るページの文字は十に満たないような年齢のものらしくひらがなが過多で読みにくい。とはいえ頑張って綺麗な文字で書こうという努力はあって、分からない文字は無く内容は読み進めることが出来る。
――このしまにはうみがみさまがいます。
うみがみさまは、じゅうろくこの目をもっていて、おろちをしたがえています。
うみがみさまは、つるぎをつかって、よどみをはらいます。
うみがみさまが、よどみをはらうことで、しまはまもられています。
うみがみさまは、ひとびとのしんこうが、ちからになります。
おもいだしましょう。わすれないでください。うみがみさまはいます。
「おい、これ……!」
どこか必死なような、ところどころよれた紙に書き連ねられた文字は――思い当たる節のありすぎる文章だった。荒川は跳ねるように顔を上げ、焔に確認の意を込めて腕を掴んだ。焔は、それを振り払いもせずにノートを見下ろしている。
「……なあ、このノートを持ってきた人間ってのは、鬼鎮か?」
「あ、ああ、そうだね、そんな感じの苗字だった気がするよ……」
「女だったか? 鬼鎮清がこれを作ったのか」
雰囲気が変わり、矢継ぎ早に質問をぶつけてくる焔にやや戸惑いながら老人は答える。しかし、次の問いには眉を顰めて「いや」と首を振った。
「男の子だったよ。十年近く昔のことだが間違いない。
……ああそうだ、清ちゃんは十年前に行方不明になって……来たのは、彼女の弟君だったんだ。お姉さんが居なくなって、だから妄想の神様に縋ったんだと……」
――ふと、荒川の脳裏に、あの行方不明者の貼り紙が過ぎる。その既視感の正体を思い出す。
そして同時に、その行動の違和感を理解する。
「……鬼鎮だ、」
荒川の呟きに、焔の視線が向けられた。
「思い出した。早乙女の奴、小学校の時親が離婚して苗字変わってんだよ。だからピンと来なくて……。
鬼鎮清って人の写真に見覚えがあったんだ。わかった、あの人早乙女に似てたんだ。
――早乙女の旧姓は『鬼鎮』! あいつの名前は鬼鎮流人だったんだ!」
この島に来ることを提案し推し進めたのも、淀みの酷い海に興味を示したのも早乙女――否、鬼鎮流人だった。姉を淀みによって失ったであろう彼がそれをする理由など――
「焔さん! ここですか!?」
――その時、扉を勢いよく開ける音が大きく響いて、図書館に女の声が飛び込んできた。その入口に立っているのは、手伝いの少女、天城だった。手には何か、淡く光るお守りのようなものを持っている。その光は焔を指していて、それに導かれてやってきたようだった。
彼女の傍に、流人も中嶋もいない。
それを視認した焔が、ノートを放り捨てた。「やられた」と低く唸る。
「あの野郎、最初から目的は中嶋だったな……!」
吐き捨てるような声が図書館に響く。漣が、遠く鳴る音がした。
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