第25話 誘寄
「海岸冒険しようぜ!」
砂浜でひとしきりはしゃぎ満足するかと思いきや、次に早乙女が言い出したのはそんな言葉だった。遠く砂浜の向こう、道が続く先に次第に草木や岩が増えていくようで――確かに男児の好みそうな、丁度よく雑然とした光景が広がっている。
「あの崖とか冒険心擽られるじゃん? 行ってみようぜ!」
「だ、駄目ですよ! あっちの方は立ち入り禁止です!」
今にも歩き出そうとする早乙女に、慌てて天城が声を張り上げた。えー、と早乙女は不満の声をあげる。
「立ち入り禁止ってなんで?」
「それは、危ないので……」
「崖の先には行かないって! 近くまで探検するだけ! この島は地盤もしっかりしてるし毒とか猛獣とかの危険生物もいないだろ? ちゃんと調べたんだぜ!」
自慢げに早乙女は胸を張る。中嶋からしても、確かに遠目から見て先の道は整地はされていないとはいえ、道幅も広くさほど危険そうには見えなかった。見晴らしも良く、太陽光で明るく照らされている。
「なぁ何が危ないんだ?」
「早乙女、あんまり困らせるんじゃない」
とはいえ天城に詰め寄る早乙女を放置も出来ない。流石に割って入って引き離そうとすると、背後に庇った天城が、――震える唇を割った。
「――行方不明、に」
俯き、困ったように目線を彷徨わせて、天城は小さな声で呟くように言葉を紡ぐ。
「人が、行方不明になるんだそうです。この道の先は、特に……。原因は、分からないんですけど……崖の先で自殺してるんじゃないかとか、よく言われています」
――その場に沈黙が走る。
少しの後それを破ったのは、やはりと言うべきか、目を輝かせた早乙女だった。
「それってつまり、オカルトってことか!?」
言うな否や、中嶋の静止も聞かず早乙女は例の道に駆け出していく。思わずそれを追えば、そう離れてはいない場所で早乙女は急に立ち止まった。彼の前には看板があり、そこには自殺を止めるような文言の、比較的新しい張り紙が貼られている。看板自体は随分長くここに立っているのか、かなり古びていた。
「なるほどなー! 自殺スポットかはたまた違うオカルトか!? 血が騒ぐなー!」
「駄目だって言われてるだろ!」
流石に温厚な中嶋も早乙女の襟首を掴む強行に出て、ぐえ、と間抜けた呻きが上がった。だが連れ戻そうとその襟首を引っ張った時、思いの外強い抵抗がかかる。
見れば、早乙女が看板にしがみついていた。かなり古びた看板だ、あまり力を加えては折れかねない――中嶋は渋顔をして手を離した。
「早乙女……」
「だってー! せっかく鬼流岬に来たんだぜ!? 心行くまでオカルト探索しないと気が済まねぇよ!」
そうならせめて学校行事ではなく個人で来て勝手に自滅しろ――と、焔が居れば言っていただろうが、中嶋は気の優しい男だった。どうしたものかと眉を下げていると、ふと早乙女が振り返る。
「じゃあ中嶋と天城さんも一緒に来てくれよ!危なかったら注意してくれたらいいしさ、詳しい天城さんが居れば安心だろ?」
あっけらかんと厚かましいとも言える提案をする早乙女に、中嶋もやや呆れてしまって閉口した。早乙女という男はこういう男なんだよなと、高校からの一年程度の付き合いでついた印象に若干の諦めも込めて溜息をつく。問答無用で周囲を巻き込み、(本人的に)楽しいことに突き進んでいくというのは――楽しさを共有するクラスメイトと共鳴して学校行事を盛り上げるという面では良い学級委員長なのだが、こういう風にスイッチが入ると立派なトラブルメイカーだ。
「この島の出身ではないので詳しいという程では……ううん……、分かりました」
「早乙女、天城さんを巻き込むんじゃ――、いいんですか?」
だから間に入って静止しようとしたのだが、悩むように頭を抱えていた天城が、そう顔を上げたのに虚をつかれて目を丸くする。天城はといえばやはり困ったように、だが意を決したような顔で微笑んだ。
「どうしていけないのかを説明できないのはこちらの落ち度ですし……不満なままお帰しして、後でおひとりで事故にあったりしたら大変なので。この島の出身じゃないけど、灯台守のおじさんにはお世話になっていて……やっぱり来てくれた皆さんには、島のこと好きになってもらいたいですし。
早乙女さん、先導は私がしますからね。崖は登らないで、ちょっと見るだけですよ!」
ぱあ、と早乙女が顔を輝かせる。その顔は無邪気な少年そのもので、彼の無茶も許してしまいそうだ。そういうあたりも、なんだかんだで委員長を務めあげる資質なのかもしれないと中嶋は一種の尊敬を抱いた。
同様に絆されたらしく天城も苦笑をこぼす。そんな彼女と中嶋の目が合って、同時に噴き出した。仲間意識のような、そんなシンパシーが結ばれた瞬間だった。
――看板の先に、三人が歩いていく。その背後で、黒く、靄のようなものが彼等を見ていた。
「つうかどこ行くんだよ」
先導する焔の背中に荒川は声をかける。当然のようにレジャー体験をやるつもりは無いらしい焔は、学生達の活気から離れてどんどん歩いていっていた。すっかり人通りの少なくなった道は周囲を住宅に囲まれてはいれど閑寂な空気が漂っている。これが本来の鬼流岬の姿なのかもしれないと思うと、確かに学生達をああも歓迎するのも納得する気がした。地図を開きながら先を歩く焔が一言、「図書館」とだけ返す。
「図書館?」
「さっさと帰りたいのは山々だがそうもいかねぇからな。静かな場所で本でも読んどく。別に着いてこなくていい」
「こちとら一応お前を心配して着いてきてんだよ……」
体調が戻ってすっかりいつもどおりの焔である。呆れはするものの、焔を一人にして戻ろうとも思えずに、先を歩く彼に着いていく。やがてついたのは、随分こじんまりとして寂れた図書館だった。焔が自動ですらない引き戸を開ければ、中にいた司書らしき老人が目を瞬かせる。
「おや、学生さんかい? そういえば来るって聞いたね……ここにはレジャー体験は無いけれど……」
「いいです。土地の伝承とか歴史の棚はどこに?」
「それなら向こうの窓際の棚だよ、量はあんまりないけれどね」
司書の指さす方を確認して、焔は会釈してそちらに歩いていく。木造らしい建物は全体的に古びていて、床は歩く度にギシギシと鳴いた。ラインナップも少なく古そうで、漫画などは全く無いであろうことは想像がつく。そもそも本に囲まれることなどほぼ無かった荒川としてはやや居心地が悪く、ぎごちなく司書に会釈して焔の後を追った。
「お前そういうの好きなの?」
棚の前に立ち本を物色する焔に声をかける。何冊かめぼしいものを読書スペースに持っていくつもりらしく、既に三冊程度抱えていた焔は、一度荒川に目を向けてから、また一冊棚から抜き取った。
「役に立つものは嫌いじゃないな。知っていれば対策ができる。超常事象は土地の成り立ちだのに由来するものも多いからな」
「対策って……」
それって楽しいのかよ、と言いかけた言葉は、本を抱えた焔が歩き出したことに遮られて口には出せなかった。焔はといえばいつも通りの様子で、読書スペースの一角を陣取り、机に本を並べて椅子に座って足を組む。荒川に構うことなく読み始めた焔に二の句が告げず、微妙な顔のまま荒川はその向かいに座った。積まれた中の一冊を手に取って開いてみるが、見るからに小さい文字がびっしりと張り付いていてさらに苦い顔になる。対する焔は表情一つ変えずにページを捲っていた。
――神憑きの子ってのは良質な力と魂を持ってるから、人外や怪奇からすれば最高品質のご馳走なんだとよ。
だから狙われる。餓鬼の頃からずっとそうだ。人には見えないものが見えるのも、妙な体質なのも、俺が望んだことじゃねぇってのに。迷惑な話だ。
焔の顔を見ながら、ふと、その言葉を思い出す。猿の駅、山神の成れの果てを刻みながら、焔はそう笑っていた。
対策が必要なほど、ずっと狙われてきたから。
「だから孤児院を出てったのか?」
そんな言葉が、ふと落ちた。
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