第24話 路裏
鬼流島市街地。今回の校外学習のためのレジャー体験のほとんどは市街地に集まっており、表通りは住民と学生で賑やかだ。やや過疎の進んだ島らしく、若い人達が多く来てくれて島の人達も喜んでいる――と、天城は話していた。かく言う天城本人も縁あって期間限定で灯台守の手伝いをしており、タイミングが合ってこの校外学習の手伝いもすることになったというだけで、この島の出身であったわけではないらしい。
それは余談であるが、そんな賑やかな表通り――を避けて、焔は裏路地に入り込んで静かな日陰で座り込んでいた。変わらずぐったりとはしているが、先程よりは顔色はましになったようだ。
「おい焔、水分とっとけよ」
表の自販機で買ってきたペットボトルを片手に、戻ってきた荒川が声をかける。焔は無言で受け取って、飲み口をひねった。パキリとプラスチックが割れる音が響く。
「少しはマシになったのか?」
「……海に居るよりは遥かにな。だが島全体に淀みが溜まっている。これはもう土地柄だろうな」
一度ペットボトルを煽って、三分の一ほどを一息に飲んだ焔は蓋を締め直しながらそう答えた。その顔色はましになったとはいえ悪く、睨めつけるように街を見ている。
「鬼流島は元々は流刑地だった土地だ。大っぴらには言われてはいないがな、調べたらすぐに出てくる」
次いで、半ば独り言のように続けられた言葉に、荒川は目を丸くした。そんなことは初めて聞いた、とは、言葉にはしなかったが視線で十分伝わったのだろう。焔はやや面倒そうな顔をして、しかし世話を焼かれた自覚はあるのか、そのまま説明を続けた。
「さっきあの女が言ってたろ。海流の関係で入るのは簡単でも出るのは難しい。橋がかけられていなかった時代、この島は罪人を流すのにお誂え向きだったんだ。そもそも地形的にあらゆる流れの溜まり場になった島だからな、そういう場所は“淀み”も溜まりやすい。流刑地じゃなくなって軽減はしたんだろうが……」
そこまで言って、いや、と首を振る。
「この様子じゃ自浄作用はとっくに死んでる。そういう意味では流刑地だった当時より酷いかもな」
「自浄作用?」
思わず反復して疑問符を飛ばした荒川に、焔が視線を向けた。そこからか……という顔である。とはいえ――世話を焼かれた自覚があるからであろうが――焔が自ら色々と説明してくれるのは珍しい。その誠意を汲んで、荒川は「お前の説明が前提をぶっ飛ばしてんだよ」とでも言いたい気持ちをぐっとこらえて焔の答えを待った。
「……そもそも、淀みってのは溜まると厄介なんだ。あいつらは怨念だ、世界を恨むエネルギーの塊だ」
その甲斐あって、焔は少しの沈黙の後、少々柔らかい声音で言葉を続ける。
「あいつらは、生命を妬む。世界の恵みを受けたあらゆるものを羨んでいる。世界の全てが、自分達と同じものになればいいと願っている。一つ一つは大したことは無い。所詮亡霊のようなものだからな。だが、あんまり溜まってエネルギーを高めていけば、あいつらは生命に干渉できるようになる。淀みが溜まった土地では、生命はあらゆる方法であいつらの仲間にされる。例えば天災、疫病――直接的なもので言えば、」
そこで言葉を区切って、焔は路地の壁を指差した。ついその指の先を視線で追いながら、そういえば、バスに乗ってこの島に来た時に見えた街のあらゆる壁にやたらと張り紙があったなと考えて――その張り紙の正体に気がついて、荒川の背筋にゾッと寒気が込み上げる。
「神隠し」
――その路地の壁に貼り付けられたおびただしい紙は、全て、行方不明者を探すものだった。古びたものから新しいものまで、時に重なり合って画鋲に止められた全てが――。
道中のバスの中から見えた張り紙もこうだったのかもしれないと考えると、薄ら寒くなると同時に、表通りの賑わいが酷く空虚に思えた。思わず、荒川は壁から距離をとって腕を擦る。その横を、立ち上がった焔が過ぎて一枚の張り紙に指を滑らせた。
「だからこそ、こういう土地には多くは自浄作用がある。淀みの存在に多くの人間が気付かなくとも、昔の人間は災害だの疫病だの――行方不明だの、そういったものに人ならざるものの作為を見た。だから、土地の人間は“神”に縋る」
その言葉で、はっと荒川は思い至る。
「――信」
人間の信力で生み出される『怪奇』。その中でも、信仰心によって生み出された――八百万の神。その存在を口に出した荒川に、焔が視線を投げた。
「そうだ。淀みという名を知らずとも、人は悪いものから人間を守る
言って、ふと焔が自分の懐を探る。取り出したのは携帯電話で、焔は、壁に張り付いた一枚の紙を見ながら番号を打ち込んでいく。荒川が何をしているのかと聞く前に、送信ボタンが押された。スピーカーフォンに設定されたその携帯電話から聞こえるのは――電子音。
この番号は、現在使用されておりません。そんな無機質な音を聞き届けて、焔は携帯電話を閉じた。目線は打ち込んだ番号が記載された、探し人の張り紙に向いている。情報はこちらまで、と書かれた隣、警察の他に家族の連絡先も書いてあり、恐らくは後者に送信したのだろう。そして、それが繋がらないということは、家族はもう諦めたかどうにかなったか、――居なくなってしまったのだ。
荒川は再度張り紙の顔写真を見上げた。長い間野ざらしになっていそうな劣化した紙の中で笑うのは、九歳の少女である。名前の欄には、
「……守り神として祀られた信には、それを祀る神主がいることが多い。そういう神主の家系には、祀る対象に倣った苗字がついていることもある。この鬼鎮の家系が、まあ十中八九神主の一族だろうな」
だが、と焔は言葉を続ける。
「……この淀みの溜まり具合から希望はほぼ無かったが、確定だな。
この島の信仰はとうに死んでいる。信奉者も、神主ももう居ないんだろう。神秘は科学に塗り替えられて、島の人間達は必要なものまで捨て去ったんだ」
お手上げだな、と焔は溜息をついた。投げ出したような言葉に荒川が顔を顰める。
「お手上げって……、どうにか出来ねえのか」
「できるわけねーだろこのレベルの淀みなんか。そもそも俺は慈善事業しに来てんじゃねぇんだぞ。信仰を捨てたのは島の選択だ、その結果滅びるなら自業自得だろうが」
同じく顔を顰め、嫌そうにした焔は、溜息をつきながら「せいぜい帰るまで淀みに連れてかれないようにすることくらいだな」と首を振った。なんとも言えない気持ちで、荒川は再度張り紙を見上げる。無邪気に笑う少女は、己に待ち受ける悲劇など知らずに過ごしていたのだろう。
――ふと。荒川は首を傾げた。
「おい。行くぞ荒川」
いつの間にか歩き出していた焔が振り返って声をかける。ハッとして、荒川はその後を追った。焔は無表情のまま隣に並んだ荒川を見上げる。
「何か気になることでもあったか」
「や……気のせいだと思うぜ。大したことねぇんだけど……」
最後に一度振り向いて、張り紙を遠目に見た。人通りの無いこんな場所に取り残された彼女を探す人間は、もう居ないのかもしれない。画鋲が外れたひとつの角が、風ではためくのが物悲しい。
「あの女の子に見覚えがある気がしてさ。……でも島に来るのはこれが初めてだし、別に似てる奴でもいたんじゃねぇかな」
ふぅん、と焔が答えるのが妙に居心地悪く、「行くんなら行こうぜ」と声を張り上げた。
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