第23話 分断
鬼流岬は、島根県上部、日本海側に小さく飛び出た島――鬼流島の先端に位置する岬だ。
先端、と言えど小さな島なので、実際の岬部分に加えて住人の暮らす居住地区を含めて島のほとんどを指して『鬼流岬』と呼ばれている。『四ツ谷海峡』と名付けられた海峡に橋がかかっていて、それが島と本土を繋ぐ唯一であるらしい。島の周辺は四つの海山に囲まれており、そこからついた名前のようだ。学生達を乗せたバスもその橋を通ったので、四ツ谷海峡の名はちらと見た者も多かっただろう――
「ともかく、その海山の影響で海流が複雑で……外から入るのは簡単でも中から船を出して外に出るのは難しくて、転覆や遭難の危険が高い海なんです。だから島といっても漁業はあまりされていなくて、そのかわりに温泉や鉱山が豊かな土地なんですよ」
なので、と噛み砕いて上記の説明をした天城が、困ったように笑った。
「この海では泳げないんです……」
「えー!!」
盛大な不服の声が辺りに響いた。
最初の集合場所である灯台のすぐ下。白い砂浜に最初は大勢の学生がはしゃぎ回って足をつけていたものの、それだけではやがて目新しさも無くなるというものである。学生達がそれぞれ思い思いのレジャーに向かっていく中――早乙女は「ちょっとだけ泳ごうぜ!」などと言って堂々と注意違反をしようと向かっていこうとしていた。九月も末に近く、涼しくなった気候だというのに元気なことである。勿論看過する訳にもいかず、中嶋が慌てて止めるも早乙女はなかなか聞かない。そんな中、砂浜での押し問答に気付いた天城がわざわざやって来て何故いけないのかを懇切丁寧に説明してくれ――冒頭に至るというわけである。
「あんまり困らせるんじゃないぞ早乙女。事前に泳げないとは言われていただろう?」
「そうだけどさー、折角の海だぜ!? こーんなに綺麗なのにな〜」
気の長い中嶋も流石に少々呆れ気味になだめて、漸く早乙女は不満げながらも足を止め、ちぇっと拗ねたように砂を蹴った。とはいえ多少は聞き入れる気になってくれたかと、中嶋は安堵に少し微笑んだ。
「海流の関係じゃ仕方ないよ。いや、それよりさ……」
ひとまずこちらは解決だろうと、中嶋は息を吐いてちらと視線を向ける。
「大丈夫か? 焔……」
視線の先には、ぐったりと砂浜傍のベンチに座り頭を抱えて俯いた焔がいた。荒川はその隣で背中を摩っていたが、やがて焔自身にその手を払われる。
「いて。回復したか?」
「お前の体温が気持ち悪い」
「人が心配してんのに……」
相変わらずの焔の悪態に荒川は呆れ顔になるものの、珍しくこの弱った様子ではそれ以上文句をつけるのも憚られた。なにせ、酷く顔色が悪い。普段から白い肌からはさらに血の気が引け、暑さとは別要因であろう冷えた汗が首筋を伝っている。頼んでねぇよ、などと吐き捨てる声にすら覇気がない。こうなったのは灯台での説明が終わって砂浜に戻って暫くしてからで、段々と顔色が悪くなっていく焔に荒川と中嶋が半ば強引にパラソルの下に連れて行って座らせたのだ。先生を呼んでくるかという進言には焔自身が断固辞退し、そんな中早乙女が駄々を捏ね出すものだからそれぞれの対応に二人が苦戦していたのである。天城が早乙女への説得に回ってくれたのは僥倖だった。
中嶋が歩み寄って焔の前に膝をつく。彼が背を撫でるのには焔は抵抗しなかった。
「熱中症とかじゃないんだよな。体調悪かったのか?」
「……」
浅く息を吐いて、焔は、やや潜めた――すぐ側の中嶋と荒川にしか聞こえない程度の声で、「淀みが」と答えた。
「“淀み”が、渦巻いている。島に入った時から感じていたが、この砂浜が特に酷い。……気持ち悪い……」
「淀み……?」
淀み。単語としては伝わっても焔がそう示す意味は掴みきれず、荒川は眉を寄せて首を傾げた。とはいえそれでも一般的な意味のそれではなく、オカルト的な、そういう用語なのだろうとは察しはつく。対して、中嶋は既知の――恐らく焔に教えられて――単語なのだろうか、焔の言葉に目を瞬かせた。
「淀み……そうか。ええと、この砂浜が特にまずいんだな? じゃあとりあえず街の方に行こうか」
「ええー!? 街!?」
話は聞こえていなかったはずだが、耳敏く最後の一言は聞きつけたらしい。中嶋の言葉に早乙女が明らかな不満の声を上げた。
「俺もうちょっと海に居てたいんだよなー。焔君は体調不良なんだろ? 先生に任せようぜ! 何も中嶋も荒川も付き合うことないじゃん」
大股に歩み寄った早乙女が焔の腕を掴んでぐいと引き上げる。痛みにやや顔を顰めた焔を庇うように、慌てて中嶋が間に入った。
「早乙女、もう少し丁寧に……、まあ確かに街の方にも先生はいるはずだけどさ」
「……教師は、嫌だ」
絞り出すような焔の声に、板挟みになった中嶋が困った顔をした。早乙女はといえば「駄々こねるなよぉ」などと不満げだ。
そんな様子に、荒川もやや苛立ってきた。元来、荒川は気が長い方では無いのである。強面を更に顰め、一歩踏み出して早乙女の胸倉を掴んだものだから、中嶋はハッと慌てて間に入る。
「テメェいい加減にしろよ、駄々はどっちだ」
「うわっ、暴力はんたーい!」
「待て待て、喧嘩は駄目だって! ほら、じゃあこうしよう! 俺が早乙女についてるから!」
今にも殴りかかりそうな荒川とわざとらしく身を庇う早乙女を引き剥がし、中嶋がそう叫んだ。
流石にこの中で一番困っているであろう中嶋に諌められては荒川にも早乙女にこれ以上食ってかかることは出来なかった。代わりに、中嶋の言葉にやや顔を困惑の形にして視線を向ける。案じるような呆れたような――言葉にすれば「良いのかよお前……」とでも翻訳されそうな表情に、中嶋は苦笑した。
「荒川、悪いけど焔のこと任せていいか? 海に何かあるなら早乙女のこと放っておくのも不安だし……いっそ満足するまで付き合った方がいいかなって。“淀み”相手なら、俺は多少強いと思うんだ」
な、と言い聞かせるように、言葉の後半は焔の方を見て続けられた。対して、焔は何か言いたげな顔で見上げていたが――変わらず、顔色は悪い。座っているのも苦しそうだ。本人もそれが分かっているのだろう、やがて深く息を吐いた。
「……中嶋、お前、お守りは」
「持ってるよ、心配するな」
「……、……分かった」
苦虫を噛み潰したような顔をしてはいるものの、焔もそう頷いた。だがと、言い聞かせるように付け加える。
「手放すなよ。かなり溜まってるとはいえ、――この砂浜程度の量ならお前自身の聖域が結界になってくれるだろうが、好かれることに変わりは無いからな。それから、深くは入り込みすぎるな」
その言葉に、中嶋は微笑んで頷いた。それで漸く焔も納得したのか、溜息に似た息を再度吐き出して、ぐるりと方向転換した。ふらつく足取りで街の方へと歩いていく。置いて行かれかけて、荒川があっと叫んだ。
「おい無理すんなって! 悪い中嶋、あのバカ任せた!」
「荒川も焔のこと頼むな」
中嶋に見送られ――話の半分も理解出来ていないであろう早乙女が「人にバカって言っちゃいけないんだぞー」などと不満をたらすのを無視して――荒川は焔を追いかけた。
ふらついた歩みに追い付くのは簡単だ。あっという間に焔の隣に並んだ荒川はやや強引に、嫌そうな顔の焔を無視してその細い腕を自分の肩に回す。焔自身も多少は楽なのだろう、顰めた顔を隠しもしないが、強く抵抗はしなかった。
「焔お前、お守りなんか渡してたのか」
道中、ふと気になって聞いてみる。無抵抗になって肩を貸されていた焔は一度荒川に視線を向けて、再度前に逸らした。
「中嶋はオカルトホイホイだからな……。俺の力を込めて作ってある。あれがあれば、余程が無ければ身を守れるはずだ」
「余程って……」
「俺が直接対峙しても勝てない相手とかな」
「……そりゃ安心だわ」
そんな相手がいる想像がつかない、と、荒川は苦笑した。また少し会話なく街の方へと歩みを進めて、建物が見えてきた頃。荒川が口を開いた。
「なあ、“淀み”って何だ?」
――少しの沈黙。
それから、静かな焔の声が返る。
「無念、憎悪、苦痛。どこにもあれず、どこにも行けないもの。そういったものが溜まったものを、淀みという。
すなわち、生命の“怨念”――『世界』を否定するエネルギーの塊だ」
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