第22話 到着

「いやぁ、楽しみだなぁ校外学習!」

 9月24日、校外学習当日。

 溌剌とした声がバスに響き、それは最後列の席に座る荒川にも良く聞こえた。声は前方、クラス委員長が座る席からだ。

 このバスは2クラス分乗車しており、海――鬼流岬に向かっている。声は、中嶋ではなく、もう1つのクラスの委員長のものだった。

「嬉しそうだな、早乙女。行きたいって言ってたものな」

「そうそう! いやーゴリ押して良かった! だって伝説が残るパワースポットだぜ!? 気になるだろー!」

「早乙女はほんとオカルトが好きだなぁ」

 中嶋が微笑んで返す言葉に、茶髪の男――もう1つのクラスの委員長、もとい、早乙女流人さおとめりゅうとは嬉しそうに笑っている。そんな応酬を、荒川は後部座席で聞きながら――

「……あいつのせいか」

 地を這うような、地獄の底から響くのではないかと思うほど恨みの籠った声に、冷ややかな気配を感じながら隣を向いた。

「……落ち着けよ、焔」

「俺は至極落ち着いているが?」

 ――嘘付け。

 という言葉を口にするのは賢明にも押し留め、荒川は遠い目をして再び前を向く。チッ、と舌打ちが隣から響いた。最後列の五連になった椅子の左端に焔は座っており、窓に凭れて外を眺めるその姿は見るからに不機嫌である。荒川の右隣の生徒が心做しか右――即ち焔から離れる方向――に寄るが、その気持ちはよく分かった。いつも無表情で飄々としているか呆れ顔の焔がここまで不機嫌な姿は初めて見るな、と荒川は現実逃避気味に思考を飛ばす。正直怖い。

「……興味本位に首突っ込む素人はこれだからよ……クソ、山にしとけばよかった……いや、中嶋が鬼流行くなら放置できねぇしな……」

 ブツブツと低音で呟く焔に荒川も少しばかり距離を取りたい気持ちを抑えつつ、視線だけ彼に向ける。焔は相変わらず窓の外に顔を向けているが、その顔が非常に顰められていることだけは正面から見ずとも分かった。

「……お前、中嶋には過保護だよなぁ」

 呟いた言葉は、しっかり焔に届いたらしい。おもむろに、不機嫌なままの瞳が荒川を射抜いた。

「過保護じゃねぇ。適正だ」

「そうかぁ? だってお前中嶋以外にはそんな積極的に守ろうとしねぇじゃん」

 荒川がそう答えた瞬間、はぁっと深い溜息をつかれる。だが失礼なと文句をつける前に、焔が潜めた声で「あいつは聖域だっつったろ」と言うので、荒川はぐっと言葉を飲み込むこととなった。

「……なんか聞いたような……好かれやすいんだっけ? やべーのに」

「そうだ。そして、取り合われてるモンは取り合われてる拮抗状態を維持しておくのが一番平穏に済む」

「取り合われてるのに平穏?」

 その返答の意味を汲み取りきれず、荒川は今度こそ顔ごと焔に向けるが、とうに焔の視線は窓の外に戻っていた。これはもう詳しく説明する気は無いだろうと、その態度だけで察せるようになってしまった自分に悲しくなる。はぁっと息を吐き出して、荒川は背凭れに深く体重を預けた。

「ま、でも、神隠し伝説ったって昔の話なんだろ。んな心配することねぇんじゃねえの」

 これから向かう鬼流岬は、かつて神隠し伝説が語られた、知る人ぞ知るパワースポットだという。そんな場所に行って、何か厄介事が起こるのを危惧しているのだろう。どうにか焔の不機嫌を緩和しようと、出来るだけ軽い口調で荒川は笑って見せる。

 焔は暫し沈黙のまま、視線を流れる景色に向けていた。既に鬼流岬町に入り、バスは市街地を横切って予定の駐車場へと向かっている。

「――だと良いがな」

 やけに貼り紙の多い市街地のレンガ壁に、焔はそう、溜息をついた。



「海だー!」

 鬼流岬、その砂浜近くにバスは止まる。太陽に輝く水面、そこに駆け出そうとした幾人かの生徒を「説明するから集まれー」と教師が留めた。指示の元、生徒達は岬近くの灯台に集合する。整列させ座らせた教師が声を張り上げた。

「事前に説明したように鬼流岬は海水浴ができる海ではないが、足をつけるくらいは自由にしていい。ただし危ないことのないように! 配布資料にあるようにいくつかのレジャー体験があるから、班ごとに自由行動しなさい。集合時間になったらこの灯台に集まるように!」

 そこまで説明して、教師は己の隣に並んでいた壮年の男性と、歳若い――荒川達と同年代に見える――少女を指す。

「こちらは鬼流岬の灯台守を務めてらっしゃる足立さんと、お手伝いの天城さんだ。今回の校外学習のサポートを引き受けてくださっているので、何かあれば先生かお二人に相談すること」

 紹介を受け、男性と少女はそれぞれ会釈した。教師に促されて、生徒達は「お願いします」と声を張り上げる。荒川もまた顔を上げた時、偶然、少女――天城と目が合った。

 にこり、と天城が微笑みかける。切り揃えられた長い黒髪は清楚な印象を与え、同色の瞳を縁取る睫毛は遠目に見ても長い。

「……び、美人だな、天城さん」

 気恥ずかしくなって、軽く会釈を返した後そそくさと隣の焔に囁きかけると、焔は怪訝な顔をした。

「お前幼馴染みが好きなんじゃないのか?」

「ばっ……!? さ、桜は関係ねぇだろ!? いや、つか、別に天城さんにも変な意味じゃねぇからな!?」

 裏返った声を何とか抑えるが、周りの何人かの生徒が不思議そうに荒川を見る。ハッと我に返り、咳払いをして荒川は身を屈めた。焔が呆れた目をしているのが恨めしい。

 教師の解散の号令と共に、生徒はそれぞれ班ごとに散っていく。真っ先に海へ向かう者、レジャー体験のために用意されたいくつかのパラソルへと向かう者――その中で、焔と荒川の元に、委員長として教師と何やら話していた中嶋と、早乙女がやって来た。

「済まない、待たせた。事前に伝えていたけど――俺達は人数の調整の関係で俺と荒川と焔と、あと他クラスだけど早乙女が同班なんだ。よろしくな」

「よろしくー! 焔君はあんま話したこと無かったよな! よろしくな! 流人って呼んでいいぜ!」

 中嶋の紹介を受け、早乙女が如何にもの様相で晴れ晴れしく片手を挙げる。焔は盛大に顔を顰めて、隣に立つ荒川ですらその刺々しい雰囲気に引き気味になっているのだが、早乙女には効いていないらしい。鈍感なのか大物なのか、ニコニコと笑ったまま焔の手を強引に取ってぶんぶんと振るう。

「(鈍感でも大物でもなくバカかもしれねぇ)」

 そう荒川が考えた瞬間、チッっと大きい舌打ちが隣から響く。

「……焔圭太。手ぇ離せ。痛ぇ」

 低い声。焔なら握手くらい振り払うかと思ったが、どうやら早乙女の力が強く振り払えなかったらしい。確かに、早乙女は焔よりも身長が高く、運動部という程でもないが快活な印象を与える程度の筋肉も備えている。細身の焔では無遠慮に掴まれた手を払うことは難しいだろう。

「あ、ごめんごめん! 焔君細いなー! 肌も白いし! 女の子が羨んじゃうな!」

「離せっつってんだろ」

 もう一度睨まれて、漸く笑いながら早乙女は手を離した。そして、ぐるんと今度は荒川の方を向く。

「荒川も! 久し振りだなぁ! よろしくな!」

「っ、えっ? 会ったことあったっけ」

 いきなりそんなことを言われ、荒川はやや怯んだ。隣のクラスの委員長として名前くらいは聞いたことはあるが、荒川は早乙女と同じクラスになった覚えも話した覚えもない。しかし、早乙女は「えー!?」と不満そうに声を張り上げる。

「俺達小学校同じだったじゃん! 中学は俺が受験したから違ったけどさー!」

「え、……あっ、そうだっ、け?」

「そうだって! 由良塚小だろー?」

「あっ、……あー……」

 そこまで言われて、荒川は薄ぼんやりと、そういえば早乙女という苗字の男がいたようなと思い出す。だがあまり話したことはなかったはずだ。よく覚えているものだと、いっそ感心のようなものを抱く。その明るい性根とよく人を覚えている細やかさが委員長の資質なのだろうか。

「まあいいか! 今日一日よろしくな。同じ班になれて嬉しいよ!」

 早乙女はそう笑って、荒川の手を取った。

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