第20話 与救
「この度はご迷惑おかけしました」
白いベッドの上、ぺこりと礼儀正しく桜子は頭を下げる。その腕には点滴の管がいくつか繋がっているが、顔色はそこまで悪くはなかった。
「本当にな」
「焔テメェぶん殴るぞ!! 桜! 気にしなくていいからな!」
溜息をついた焔に荒川が怒鳴るが、すぐさまパッと顔を上げて、桜子に笑いかけてみせる。そんな様子に、桜子が笑いを零した。
「ふふ、竜ちゃんに仲良しの友達ができてて良かった」
「仲良くねぇ」
即答した焔に荒川は苦い顔をする。ただそれ以上文句は付けずに、代わりに溜息を吐き出した。
――彼等が居るのは六角にある病院の一室だ。あの後桜子を背負って学校を出ようとした荒川と宋閑の前にたまたま居合わせた坂木と名乗る教師が車で病院まで連れていってくれたのだ。焔はその日はもう会うことは無かった。だが翌日、素知らぬ顔で烏間高校に登校したのである。悪魔がどうなったのかは気にならない訳では無いが、荒川には聞くことは出来なかった。そのまま、今日に至る。
衰弱と軽度の栄養失調と診断された桜子は一週間の入院となった。入院の三日後の今日、随分体調も回復してきたという話を聞いて、荒川が焔を引き摺って見舞いに来たのである。
「良いんだよ竜ちゃん。私が迷惑かけたのは本当なんだから」
柔らかく微笑む桜子に、荒川はぐっと口を噤む。焔はといえば素知らぬ顔でそっぽを向いていたが、桜子は気にした様子もなく焔を見た。
「私は、自分一人で背負えないくらい弱かった。それなのに背負おうとして、迷惑かけないようにしようとして、結局背負いきれなくて、余計に迷惑かけてしまった」
――自分一人で背負うと言うなら、苦痛や弱さなど欠片も見せるな。
そんな焔の言葉を、荒川も思い出した。目の前の桜子は目を伏せている。彼女の静かな声は、それでも、沈んではいなかった。
「……自分のしてることが間違ってないと思うなら、きっと、一人で耐えるんじゃなくて助けを求めるべきだったの。ああなる前に」
彼女は顔を上げる。その目元は優しく下がって、微笑みを浮かべていた。
「だから、ありがとう焔君。教えてくれて。ありがとう竜ちゃん、宋閑君。助けに来てくれて」
がたん。
物音が背後で響いて、荒川がぱっと振り向いた。その先に――宋閑が、滑りかけたような微妙な体勢で病室の扉の影に隠れているのが見える。否、もう隠れられてはいないのだが。
「……お前来てたのかよ宋閑、さっさと入れよ」
「煩い、今入るところだったんだ!」
唸りながら宋閑は病室に足を踏み入れる。乱雑に進む歩幅は照れ隠しだろう。大股で進んで、進んで――ピタリと、荒川より少しベッドから遠い場所で、宋閑は立ち止まった。
そのまま、彼は言葉を発さない。何か言いたそうな顔をして、むぐむぐと口を動かしては、いた。
「宋閑君」
びくりと、宋閑の肩が跳ね上がる。桜子は微笑んだままだ。
「カメラ、大丈夫だった?」
「……問題無い。自分で取り返せたんだ、あれくらい……」
言いかけて、宋閑は変な顔をする。ぐ、と口を噛んで、「だが」と唸る。
「お前が、取り返すための時間稼ぎになったのは事実だな」
何とも不器用なフォローだと、荒川は呆れた。焔に至っては欠伸をしているが、対する桜子は優しく微笑んでいる。
「あのね、宋閑君。私、今でも貴方が悪い人だなんて思わないし、今まで挨拶してたことが間違ったことだなんて思ってないの。今でも、貴方と友達になりたいと思ってる」
桜子が、そう告げた。宋閑が桜子を見る。荒川が知るよりも痩せた彼女は、それでも、荒川が知るよりも強く見えた。
「だから、宋閑君。退院してからも、また、学校で挨拶しても良いですか?」
「……そんなの、」
宋閑は――視線を、一度逸らす。口を変に動かして、言葉をくぐもらせる。だが、それが悪い意味でないことは、誰が見ても瞭然だった。
「……そんなの。友、ならば、許可を取るまでも無いだろう」
逸らした顔は、耳まで赤い。笑いだしたいのを堪えて、代わりに、荒川は宋閑の肩を小突いた。
「転校しないんだな」
和やかな空気が流れかけたのを途切らせたのは焔だった。視線が桜子に集まる。宋閑は少し苦い顔をしていて、桜子は、ベッドの立てられた枕に背を預けるように座り直した。
「しないよ、私は間違ってないから。それに味方ならいるもの、宋閑君も竜ちゃんも、あと坂木先生とかね。坂木先生は大罪人って悪く言わない人なの」
微笑む桜子に迷いは見られない。
「それに、私達の下の世代にも同じように酷い事をされる子達は産まれることになる。間違ってることがわかるからこそ、私は、この街に残るよ」
「女傑だな」
ふん、と焔は鼻で笑う。彼なりの賛辞だろう。それを桜子も分かってか、彼女も、また笑った。
「……そーだ、宋閑! メアド交換しようぜ」
「は、はぁ? めあど?」
「携帯くらい持ってんだろ」
戸惑いながらも懐から携帯電話を出した宋閑の手からひったくって、荒川はそれと、もう片手で自分の携帯を操作する。手早く打ち込んでから、宋閑に返した。
「ほら、俺と焔のアドレス入れといたぜ! 桜の友達なら俺達とも友達なんだからな! 桜にも後で焔のアドレス教えてやっから!」
「どういう理屈だ」
「勝手に俺の個人情報共有してんじゃねぇよ。つか教えた覚え……中嶋か」
宋閑、焔にそれぞれ呆れられるが、荒川はふんと鼻を鳴らして胸を張る。桜子がくすくすと笑って、宋閑は携帯電話をしまいながら、溜息をつきつつも満更でもなさそうに少しだけ笑った。顰めっ面は焔だけになる。
やがてそんな焔は、心底面倒臭そうに溜息をついた。
「……もういい。とにかく、細道桜子は救出した。義理は果たしたんだから、俺は帰る。用事あんだよ」
「用事ぃ?」
聞き返した荒川の言葉には返事を返さず、焔は踵を返して病室を出て行く。宋閑が呆れたように「最後まであれか」と肩を竦めた。
「ったく、悪い桜」
「ふふ、良いの。竜ちゃん、焔君と居て楽しいんだね」
「そう見えっかぁ?」
くすくすと笑い続ける桜子は、疑問符を浮かべる荒川を見上げて、優しく目を細めた。
――荒川の今までに、特筆すべきことは何もない。両親が揃って昔ヤンチャしていたことを除けば至って普通の家庭で、至って普通に育った。普通に愛されて、普通に友達を作って、普通に遊んで、普通に学んで生きてきた。普通じゃなくなったのは焔とあの駅に巻き込まれてからだろう。楽しいかどうかは、分からない。命の危機を感じたこともある。だが、焔に友人になることをもちかけたのは荒川の方だ。
「きっと二人は大人になっても友達だと思うな」
だがそう桜子が言うのだから、そうなのかもしれないと思う。そして何となく、そう言われたことに悪い気持ちはしなかった。
夕暮れ、予定より長く滞在してしまった病院からの帰り道を荒川は歩く。あの日、桜子からの電話を受け取った横断歩道が見える。そこで、じんわりと、この事件の終わりを実感した。
なんだかんだと言っても、宋閑、そして焔のおかげで幼馴染みを助けることが出来た。それから、焔にはまだその礼を言っていなかったと思い出す。
「ま、明日学校で言ってやっか」
ふ、と息を吐いて、荒川は顔を上げて。
――横断歩道の向こう。T字路を横切る、帰ったはずの焔が見えた。
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