第16話 対面
ぷるるるる。ぷるるるる。
そんな音で、桜子は目を覚ました。視界は相変わらず暗がりで、己が閉じ込められている檻が反射する光もなく重く存在する。自分の足元に、乾涸びた死体が多く転がっていた。
ぷるるるる。ぷるるるる。音がするのは、震えているのは、己の携帯電話だ。かつて幼馴染みにUFOキャッチャーで取ってもらった桜色の竜を模したストラップはどこかに落としてしまったらしいが、電話そのものは未だ己の手の中にあった。だがこの空間では圏外になってしまって、使い物にはならなかった、はずだった。
自身の携帯電話、フィーチャーフォンを開く。
暗がりの中で明るく照らす画面は――よく、わからない。番号は文字化けしてしまっている。わからない。わからないが、指は誘われるように、電話を取るボタンを押す。携帯電話を、耳に当てた。
「私、メリーさん。今、鏡の前にいるの」
知らない、少女の声だった。
黒の空間が晴れる。晴れる、とは言っても、その先に明るい景色が広がっていた訳では無い。全くの暗闇という訳では無いが、明かりに該当するものは無いらしい――薄暗い、白と黒の市松模様で飾られた一本道の廊下。それが、焔達の降り立った場所だった。
「平衡感覚狂いそうな廊下だな……」
天井も、床も、壁も同じ市松模様が広がって、目が回りそうだと荒川は顔を顰める。蹴りつけた床には砂粒一つ転がっておらず、ただ、カンッ、と無駄に小気味良い音が反響したのみだった。
「とりあえずは細道桜子を探すか。この空間のどこかに、『食料庫』があるはずだ」
そう、なんでもないように焔は言う。その言い方に荒川はさらに顔を苦くするが、焔は見向きもせずに煙草を蒸かした。
黒い煙がまるで意志を持つかのように廊下へと広がっている。この煙草が、煙が、普通のものでは無いことくらいは荒川ももう知っている。もしかしたら探索でもしているのかもしれない。
「未成年で煙草を吸ってると思ったら奇妙な……何なんだお前は」
反して、宋閑は納得がいっていないように唸った。そういえば宋閑は苗字に寺が入っていたが、実際に寺の子なのかもしれない。それは荒川の想像に過ぎないが、少なくとも未成年喫煙を窘めるだけの良識はあるらしかった。勿論、あの焔がそんなことを聞くわけが無いのだが。
煙草を咥えたまま、焔は無言で歩き出す。「無視か!」と喚いた宋閑が怒りながら着いていくのに、荒川も倣って歩を進めようと顔を上げる。
――ぷるるるる。
「、あ? 何だ?」
懐の携帯電話が震えて、荒川はそれを咄嗟に取りだした。開くと、薄暗い廊下で光る液晶画面が荒川の顔を照らす。電波状況は、圏外。着信元の電話番号は――文字化け。
ぴ。
気付けばその電話を取っていた。耳に当てたそれが笑う。
「私、メリーさん。今、市松模様の廊下にいるの」
「――おい荒川!」
電話の言葉を理解する前に、宋閑の怒声が飛ぶ。顔を上げれば、道の先、宋閑が「早く来い」と続けた。その顔は怒っているが、荒川に、というよりは、焔と二人きりなんて冗談じゃない、という類の感情だろうとわかる。
携帯電話の液晶は、いつもの待ち受けに戻っていた。
「――わ、悪い! 今行く!」
慌てて携帯電話を懐に戻し、荒川は駆け出す。その頭からもう先程の電話のことは消えていて――だが、遠く、少女の笑い声が聞こえた気がした。
「――桜!」
前を行く焔に着いて歩いて、暫く。
開けた場所に出た三人は――荒川は、その場所が同様の市松模様の空間であること、その空間にいくつもの巨大な鳥籠が置かれていること、そして――その内の一つに、乾涸びた何かに埋もれて、探した彼女が倒れていることを視認して、叫んだ。
「桜! おい起きろ! 大丈夫か!?」
真っ直ぐに駆け出して、鳥籠にしがみつく。勢いよく飛びついた事でガシャンと金属が鳴ったが、中の桜子は微動だにしない。近付いて、彼女の周りの乾涸びたものたちが人間であることに気が付いて、荒川は更に青ざめた。
「桜……! 桜! 起きろ! 起きてくれよ!」
遅れて駆け寄った宋閑が、状況を把握して顔を顰める。ガシャガシャと鳥籠を鳴らして叫ぶ荒川を見ていられなくなったか、その肩に宋閑が手を伸ばした、その時だった。
「――……、……りゅう、ちゃん……?」
細い声、それでも確かに荒川に届いて、その声は鳥籠を鳴らす手を止めた。
鳥籠の中、死体の山の中で、少女の黒い瞳が――弱々しくも、確かに開いている。
「桜……!」
「竜ちゃん……どうして……宋閑君、まで」
「助けに来たんだ! 宋閑も協力してくれて! だから、もう大丈夫だからな! すぐにここから出してやるから……!」
桜子を勇気づけるためか、自分の安堵のためか、荒川は下手くそに笑って声を上げる。だが、桜子は少し目を見開いて、それから泣きそうに顔を歪めた。
「逃げて、竜ちゃん」
「……桜?」
「逃げて……まだ間に合うから……ごめん、ごめんね、私が、電話なんかしたから……っ」
桜子の体は、荒川の記憶よりも痩せ細っている。その腕で、無理矢理に体を起こして、桜子は言う。必死に、荒川をはねつけようと。
「ごめんね、私が、巻き込んで……っ逃げて竜ちゃん、宋閑君も、ここから、早く……!」
「……何言ってんだよ、桜……?」
「私、私一人で大丈夫じゃなきゃだめだったのに……! 私が選んだ事だから、いじめも、今も、私が自分で受け止めなきゃいけなかったのに! 電話なんかしてごめん竜ちゃん、早く、ここから――ッ」
「うるせぇな」
募った桜子の言葉を止めたのは、呆然とする荒川でも宋閑でもなく、そんな冷たい声だった。
先程まで遠くで眺めていた焔が、歩み寄って鳥籠を一つ叩く。
「成程。この鳥籠は物理的に壊すのは無理だな。これそのものが『成立した契約』だ。契約主に契約の上書きをふっかけるしかねぇか」
「な、何……? 誰……?」
「……焔?」
困惑し、僅かに後ずさる桜子と、未だ全ての言葉を飲み込みきれずに呆然と名前を呼ぶしかない荒川、同じく困惑の顔で焔を見る宋閑。そんな多くの瞳を受けて、焔は溜息をついた。
「お前の事情なんか知ったことじゃねぇよ」
冷たく、焔は吐き捨てる。びくりと桜子の肩が跳ねた。
「どんな考えで『大罪人』に手を差し伸べたのか。何を思って自分の状況を荒川に隠したのか。どういう覚悟で他人の宝物のために都市伝説を実行したのか。俺は知らねぇし、知ったことじゃねぇし、どうでもいい。
だがどれほど高尚な考えがあろうが、お前は恐怖に耐えきれずこいつに助けを求めた。それが全てだ」
こいつ、と言いながら、焔は荒川を顎で指す。
「その結果がこれだ。お前の弱さがこいつを呼んだ。ついでに俺は巻き込まれた」
桜子の瞳が揺れて、顔が俯いた。体の前で――無意識だろう――片手を包むようにもう片手が握り締める。怯えている。それに気が付いて、漸く我に返った荒川が焔を睨んで口を開きかける。
「自分一人で背負うと言うなら、苦痛や弱さなど欠片も見せるな」
だが、そう言った焔に、荒川は告ぐべき文句を失う。焔の表情はいつもと変わらないように見えるのに、何かが違っていた。その何かは、荒川には見当もつかなかったが。
「――それが出来なかったお前に、一人で背負う『権利』は無い。お前に残された未来は二つ。俺達に救われるか、俺達がお前の目の前で悪魔の餌になるのを見るか。そして、それを選べないまま、見届けるのがお前に課された責任だ」
びくりと、桜子の肩が震える。俯いたその顔は、焔への怯えを映し――同時に、投げつけられた言葉を、必死に飲み込もうとしていた。
しかし、ばっとその顔が上を向く。それは純粋な恐怖――捕食者に見付かった被食者の顔だった。
「竜ちゃん! 宋閑君!」
その声で、荒川と宋閑も上空を見る。そして、『それ』を視認して目を見開いた。
焔もまた、ゆるりと顔を上げ、口角を上げる。
「――さて。願いと引き換えにゲームをしないか、『鏡の悪魔』」
上空に浮かぶのは、百足のような、虫の手足を大量に背に生やした一人の男。
焔の言葉に、明らかに人間ではないそれが、ぬちゃりと舌舐めずりをした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます