第15話 侵犯

 生まれた頃から差別されて、迫害されて、嫌われてしまうなんて、とても悲しいと思った。

 隣の席になった宋閑君は、どう見ても普通の男の子だったから。

 私が挨拶しても返してくれることは無かったけれど、私がそうすることを、否定もしなかった。

 彼の教科書がボロボロで読めなくなっていたから、私のそれを一緒に見ようと提案した時、やっぱり何も言ってはくれなかったけれど。その後の休み時間に私の机に置かれた羊羹は絶対、貴方がくれたんでしょう? 羊羹なんてチョイス、そうそう無いもの。

 彼が、そのインスタントカメラを大事にしてたことは、私にもよくわかった。だって、同じ目だったから。私も、竜ちゃんに貰った桜色の竜のストラップに触れる時、そういう手つきをするから。

 私はもう、彼のこと、友達だと思ってたの。

 だから、だから――あのカメラが、ちゃんと彼のところに帰ってきていたらいいな。


 ――とても、寒い。体が動かない。この檻の中に居るだけで、いのちが吸い取られていくみたい。


 竜ちゃん。

 お昼の電話、元気だなんて、嘘をついてごめんね。本当は、ずっと、辛かったの。先生からも、クラスの人にも、傷付けられて。いろんな物を壊されて。私ね、成績、とっても悪いのよ。テストは満点近く取ってるのにね。ちゃんと成績をつけてくれるのは坂木先生くらい。

 辛くて、痛くて、でも、宋閑君のせいにしたくなかったの。宋閑君の大事なカメラ、取られちゃって、返して欲しかったら『鏡の悪魔』に会ってこい、って。私をいじめるために、宋閑君の大事なものが巻き込まれてしまったから、私が取り戻さなくちゃって。必死で、それで。


 ――怖い。


 一緒の檻に、いっぱい、乾涸びた人達が転がってるの。この人達も、きっと、私と同じ。

 私も、この人達と、同じ。同じになる。こうして乾涸びて、元の顔も分からないくらい、そうして、死んでしまうのかな。

 竜ちゃん。

 よりによって、あんな風に、電話をかけてごめんね。怖かったの。必死で必死で、それなのに、鏡を前にして、悪魔を前にして、怖くなってしまったの。貴方の声を聞きたくなってしまったの。

 竜ちゃんは優しいから、きっと心配かけてるよね。ごめんね、ごめんなさい。


 どうか、竜ちゃんがここに来ませんように。悪魔に捕まってしまいませんように。

 竜ちゃんが見る最後の私が、乾涸びた、醜い姿でありませんように。




「――桜?」

 振り返り、荒川は言葉を落とす。そんな荒川に、前を歩いていた焔が目だけを後方に向け、顔を顰めた。

「何だ。足を止めるなよ、迷うぞ」

「お、おう……悪い」

 素直に謝って、荒川はまた前を向く。視界は、黒い。前も後ろも右も左も上も下も、黒だ。辛うじて、前を歩く焔の挙動と、隣の宋閑が見える程度で、他は全て闇に包まれている。

 焔の両腕には、何か呪文のようなものが描かれた包帯が巻かれ、それぞれ片腕ずつ、荒川と宋閑の片腕に繋がって、それに引かれる形で、焔に導かれていた。

「全く……なんでこんな迷子紐みたいなものをつけないといけないんだ? 仕方ないから細道を助けるのに協力してやるが……こんなもの……」

 宋閑がそう、ブツブツと悪態をつく。焔が少し宋閑へと顔を傾けた。表情は闇に覆われて見えないが、どうでも良さそうな顔をしているんだろうな、と荒川は察する。

「だから別について来なくていいって言ったろ」

「煩い! 助けてやるんだから礼くらい無いのか!」

「頼んでないしな」

 歯軋りをして焔を睨む宋閑と、溜息をつく焔。どうも、宋閑は素直じゃないらしい。ツンデレってやつだろうと、荒川は姉が好むライトノベルを思い出していた。反して人への気遣いや協調性というものが皆無な焔である。相性が悪い、いや一周まわって良いのかもしれない。そんな二人だ。

「仕方ないだろ。この空間は俺のものだ。これ付けないとお前ら『何処にも行けなくなる』ぞ」

 焔が面倒臭そうに、手を繋ぐのは俺が嫌だと付け加えた。

 ――全方位、黒に包まれた空間。ここは、焔が煙草を使って切り開いた、空間の裂け目の中だった。

 何故彼等がその中をひたすら歩いているのか、時は数時間前、件の鏡の前で宋閑と話していた場面まで遡る。



 『鏡の悪魔』――それは、六花代学園の都市伝説として広まっている。

 深夜零時、屋上に繋がる階段の踊り場、その鏡の前で正座をすると、悪魔との遊びに誘われる。それが、『鏡の悪魔』の文言だ。悪魔との遊びに勝てばお願いをひとつ聞いてもらえるが、負ければ――悪魔に、鏡の中に閉じ込められてしまうという。

「『鏡の悪魔』は都市伝説になってはいるが、怪奇じゃない。六角に住み着いた人外種、悪魔族だ」

 己の『提案』を一蹴され、一頻り焔に文句を言い倒した宋閑は、未だ不機嫌そうながらもそう言った。

「まあそうだろうな。怪奇ならお前みたいな怪奇堕ちが足踏みしてるわけが無い」

 対してしれっと肩を竦める焔を宋閑が睨みつける。しかし、若干置いていかれ気味な荒川が「そうなのか?」と首を傾げると、宋閑は少し機嫌を直したように、やれやれとでも言いたげに鼻を鳴らした。

「無知には呆れるが、荒川だったか、まあ素直に聞いてくる姿勢は評価してやらなくはない。そこの失礼な奴はともかく」

 先程名乗った名前を、荒川については呼ぶ気になったらしい。明らかに刺々しく指を向けられた焔は意に介した様子もないが、最早諦める他ないだろう。荒川は既に諦めていた。

「俺達『大罪人』は怪奇との関わりが深い。この町の怪奇を操ることも出来る。だから俺達にとって怪奇は脅威ではない。……だが、人外は別だ。俺達とは完全に『違う』モノだからな」

 宋閑がそう、後半は顔を顰めて告げる。

 人外と怪奇は違う。それは、猿の駅で焔にも聞いたことだった。怪奇は人間界で産まれた概念だが、人外は人間界の外の生き物――バケモノ、だという。

「人外はな、単純に、普通の人間界性種族より『上位』なんだよ」

 そう、言葉を繋げた焔に、宋閑が顔を顰めたまま視線を向けた。だが訂正はしない。つまりそういうことだろう。

「怪奇と違って、『生き物』だ。信仰なんざなくたって生きていける。人間と違って魔力も使えるし、種族固有の能力を持ってるのが殆どだ。転生可能なくらいしか取り柄のねぇ人間はエサ程度にしか考えてない奴も多い。悪魔族ってのは地獄界の種族だが、地獄界は常に戦争やってるような土地柄だ。好戦的で、戦い慣れしてる。ついでに今回は、都市伝説という形で『条件を設定してる』のがまずい。

……悪魔族には三パターンいる。魂喰らいと、肉喰らいと、淫魔だ。今回は魂喰らいだろうな。こんな面倒な『契約』取り付けるようなの、それくらいだ」

 焔は鏡の傍、壁に凭れ、コツコツと鏡を指で弾いた。

「人間界性種族はな、魂が丈夫なんだよ。普通に死んでも魂が壊れないから、輪廻に還り、生まれ変わる。それは俺達の特権だ。種族固有能力と言ってもいい。

だから、魂喰らいは人間界性種族の魂が大好物だ。美味いエサは、喰うだろ。


喰った事でその人間の魂が『壊れ』たって、知ったことじゃねぇよなぁ?」


 その言葉で――荒川の顔が青ざめる。

 既に、桜子は恐らくは鏡の中なのだ。だが、焔の言葉で察してしまった。魂が壊れなければ生まれ変われる。だが、人外に食われれば、壊れる。

 桜子は、悪魔に殺されてしまえば、その命の終わりどころか――輪廻にすら、還れなくなってしまうのだ。

「まだ、細道桜子は食われてない。タイムリミットの知らせは、荒川、お前に『細道桜子』が分からなくなることだ」

 ――怪奇や人外に殺された人間は、人間界から存在記録が抹消される。関係者の記憶も消される。荒川はごくりと、唾を飲む。喉が張り付くようだった。

「……は、やく、助けねぇと……、っ深夜零時まで待たねぇと駄目なのか!?」

「逆だな。『都市伝説は実行してはいけない』」

 振り絞るように叫んだ荒川に反して、焔はどこまでも冷静だ。

「本来、人間界の外の生き物が人間界性種族を喰らうのはご法度だが、その掟の穴を突く為に契約がある。条件を取り付け、場を支配し、魂の捕食を『合法』にする、悪魔族の種族固有能力。

都市伝説こそが、今回の契約だ。わざわざ向こうの土俵に乗るなんて不利なことするかよ」

 焔が、笑う。猿の駅で、助けてやると笑った、あの顔だった。

「俺の力で、悪魔の空間に侵入するぞ」

 焔がいつの間にか取り出した煙草を咥え、火を灯す。黒い、黒い煙が、鏡を塗りつぶして――



 三人は、空間の狭間へと足を踏み入れた。そして、歩く。歩く、歩く。

 数時間、歩いて、ここまで辿り着いた。

「……見付けた。悪魔の作った異空間の、抜け穴だ。入り込むぞ」

 そう、焔が言った。くん、と腕を繋ぐ包帯が引かれる。

「気を引き締めろよ。あくまで向こうは『正当に』契約を成し、獲物を手に入れた。俺達はそれをかっ攫う、大罪人だぜ」

 言葉に反して、焔の口角は上向きだ。宋閑は鼻を鳴らし――荒川は、望む所だと真似て笑った。

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