第9話 結末

 信が一匹死んだところで、この世は何も変わらない。特に、八百万への信仰が薄れた現代日本において、とうの昔に切り捨てた小さな山の信が滅びたところで、人々の日常に何ら影響は及ぼさない。ただ、また一つ、信の住まわぬ土地が増えただけだった。

 信の住まわぬ地は荒れる。人間界の外から這い寄る人外種が住み着き、ありとあらゆる信や怪奇による天災の皺寄せが向けられる。しかし、信仰を失った人間にとってそれはあくまで『無理な環境破壊による災害』の一つとしか見えぬだろう。だからかの山も、その数多の荒地の一つとなるのみであろうと、焔はとうに察していた。

 余談ではあるが、裁判者から逃げ回る幽霊が溜まり場とするのもそういう土地だ。故に、かつて大猿が住まい、山神となり、切り崩されて駅になり、太助が過ごし、死んで、地震に全てを飲み込まれたかの土地が、肝試しにはうってつけのホラースポットになったのも当然の摂理であった。

 『猿の駅』――東京の外れに存在した「猿の駅長がいる駅」――それを起点とする怪奇が、そこから離れた烏間町にまでやって来たのは即ち、夏休みの肝試しとやらで学生の誰かが『縁』を持ち帰ってきたのだろう。その学生が食われなかったのは『縁』を広げるための取っ掛かりであったためで、そいつは怪奇のことなど何も知らずに今日もきっと呑気に学生生活を謳歌している。さらにまた余談であるが、夏休みの終わりの肝試しとは、「猿の幽霊が出る廃駅」の冒険だったそうである。

 ――ただ、焔が今回の事件に巻き込まれたのは、肝試しのせいだけではない。

 それくらいもう察してはいるが、だからと言って今はその文句をつける相手が居ない。ならば、腹を立てても仕方が無い。ならばと焔は取り戻した平穏の日々を謳歌することにしようと、昼を過ぎてから漸くゆったりと登校した教室、その隅の己の机に突っ伏した。9月頭の日差しはまだ強いが、エアコンがついた教室では寧ろ心地が良いほどである。昼寝には丁度良い。

「よぉ、堂々と昼休み登校しといてさらに昼寝とはいいご身分だなテメェ」

 そんな声をかけられて、焔はゆっくりと顔を上げた。人工の金髪が太陽に照らされてギラギラと輝いている。

「露骨に嫌そうな顔してんじゃねぇよ!」

「……うるせぇぞ、荒川」

 頭に響く。と文句を落として、荒川を改めて見上げる。ただでさえ金髪ヤンキー風の見た目は目立つと言うのに、荒川は声まででかい。教室中の視線がちらちらとこちらに集まっているのを察して、焔は息を吐いて立ち上がった。

「用があんなら外で聞く。こっち来い」

 それだけ言って、焔は教室を出ていく。荒川もまた人の多い教室で話せる内容ではないと分かっているのだろう、大人しくついてきた。


「どういうことだよあれは! 起きたら知らねぇ荒地だし! ぼーぼーの雑草と木とぶっ壊れた駅しかねぇし! 辺りに知らねぇ奴らがグースカしてるしよぉ!!」

 人気のない校舎裏に到着するや否や、荒川は溜め込んだ鬱憤を晴らすかの如くに怒鳴った。やかましい、と焔は顔を顰める。

「どういうことも何も、あの空間の主が死んだからあの空間が壊れて、起点だった『猿の駅』――もとい、猿農山駅跡に送還されただけだ。寝てた奴らはお前が一緒に食われた電車の乗客だろうな。良かったじゃないか、助けられて」

「帰んの大変だったんだぞ! 倒れてる奴らほっとけねぇから警察とか病院とかにも電話したりしたしよ! んでテメェは既にどこにもいねぇし!!」

「なんでお前が起きるのを待たないといけないんだ。さっさと帰るに決まってんだろ」

 溜息をつく焔に荒川は更に憤慨してだあああと叫ぶ。叫び切って肩を落として項垂れたが、鬱憤を叫んだらある程度スッキリしたのか、荒川は改めて顔を上げた。

「……太助とか、駅員達とか、食われた奴らとか、……あとあの元山神とか、どうなったんだ?」

「太助は本来の太助の墓に返しておいた。駅員達も食われた奴らも、山神の消滅で解放されたよ。裁判者が回収したらしいから、太助を含め、また輪廻に還るだろうな」

「裁判者?」

「裁判者機関。人間の魂を回収して転生させたり、暴れる『外』からの人外種を裁いたりするような人外組織」

 息を吐いて、焔はまた言葉を続ける。

「山神は、元々は江戸時代、あの山で人と親しんでいた大猿……その動物霊から派生した信だったらしい。ただの信……概念なら何も無く消滅しただろうが……元が生き物、動物霊だったからな。細かくちぎっておいたから、あれももう色々切り離されて、ただの動物霊として輪廻に還されただろう」

「……そっか……」

「心配してたのか? お優しいこったな」

 馬鹿にしたような声音に荒川の眉が顰められる。焔はそのまま、自分より大きい荒川を見上げた。

「十分怖がらせたつもりだったから、もうお前は俺に話しかけてこないと思ってたんだが」

「……カミツキノコとかいうアレかよ」

 荒川が胸を張り、フンと鼻を鳴らす。

「カミツキノコだかカミツキガメだか知らねーけどな、てめーみてぇな貧弱野郎なんか怖いもんかよ!よくわかんねーけどあの変な力だって煙草がねぇと扱えねぇんだろうが!」

 強がりだなと、焔は察する。荒川は生来嘘をつけないタチなのだろう。そして、それを察したからこそ、焔は次の荒川の言葉に目を丸くした。

「だからこれからもテメェについてまわってやるからな!」

「……。……はぁ?」

 思わず間の抜けた声を上げてしまった焔に、荒川はフンと鼻を鳴らす。

「俺はよーくわかったぞ。テメェあれだ、コミュ障だろ。説明は足りねーし協調性はねぇし、あと人に対する情けがねぇ!」

「余計なお世話なんだが」

「まあでも今回は一応、百歩譲って脱出できたのはお前のお陰だしな。その礼だ、俺がお前とダチになって協調性ってもんを教えてやる」

「余計なお世話すぎるんだが」

 盛大に顔を顰めた焔とは反対に、荒川はしてやったりとでも言うようににんまりと笑う。そして荒っぽくバシバシと焔の背を叩いた。痛くはないが鬱陶しいと、焔はそれを払い除けて睨んだが、荒川は堪えた様子もない。荒川の瞳から、焔への恐れは消えている。なんだこいつ、と、焔は未知の存在に眉を寄せた。

「まあそういうわけだ、ダチとしての手始めに、一緒に飯でも食おうぜ!」

「……やっぱお前なんか見捨てときゃ良かった……」

 一瞬だけ校舎の影に見えた人影に、焔は全てを察する。

 そうして、深く深い、溜息を吐いた。

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